6 懐かしいですね、久坂部さん

 味は普通だった。僕は僕の料理の腕を特に信用してはいないので妥当だし、そもそも脳を食べた経験がほぼないために、好きとも嫌いとも言い難い。敢えて言うのであればなんというか濃厚だった。肉のような弾力はあまりなく、噛んだ途端に舌の上でほろりと崩れて、粘度のあるペースト状の物質が遠慮なく広がってゆく。あん肝を思い出した。あと白子。焼肉のタレの味が、内臓の風味と少し喧嘩しているかもしれない。何にせよ普通で、妥当で、無難だ。

 残してしまうと復活が遅くなってしまうと思われるので、とりあえず食べ切ろうと次々に口へ運んだ。炊かせてもらった白米も食べさせてもらい、なんとか味に飽きないようにした。久坂部さんの脳と思えば愛しいのだが味に変化はうまれない。人間はともすると味覚が一番貪欲で我儘なのかもしれないなと、恋人の脳を食べながら考える。

 三十分ほどで久坂部さんの脳は実食終了となった。水を頂き、喉を潤してから、ベッド上で滾々と眠り続ける久坂部さんの様子を眺めた。瞼や指先は動かない。胸板も上下せず、しかし耳を当ててみれば心音は一応聞こえて来る。なるほどと納得をしつつ、頭を持ち上げて重さを確認した。特に変わらない。脳が復活するのであれば、頭は重くなるはずだ。

「……はじめての部位取れで、はじめての部位再生だから、うまくいってないのかな……?」

 声に出してみると疑問の輪郭がはっきりし、たぶん恐らくそうなんだろうなと腑に落ちた。

 その後にふと、自分の場合はどうだっただろうかと記憶を探った。

 僕の体の部位が初めて取れたのは確か小学生の頃だった。因習村と呼ばれそうな田舎の集落に暮らしており、隣家との距離は百メートルほど離れていて、雑木林があちこちにあった。クラスがひとつしかない小学校からの帰り道だった。僕は一人で、夕方だった。雑木林の間の小径を特に何も考えずに歩いていた。途中で何かに躓いた時に、体の位置がずれたような感覚が全身を撫でた。片足の靴が脱げていた。靴だけでなく、足首から下も脱げていた。体重を支え切れずに僕は小径の上で転んでしまった。

 取れてしまった足を靴ごと回収し、片足でぴょんぴょんと跳びながら、家まで帰った。足を持ったまま玄関に入った僕は母親に靴は脱ぐようにと怒られて、靴を脱がせた取れた足は持ち去られた。どこへやるのか問うと、裏の雑木林に埋めると言われた。

 これがよく話に聞いていた部位が取れる奇病なんだなあと納得をしていると、取れた足はそのうち勝手に生えてくると言い添えられた。言葉の通り、確か一週間ほど後に、足は勝手に生えてきた。家族がみんな部位取れに慣れているので、サポートの絶妙さにより一週間の片足生活は然程不便に感じなかった。

 これが一番はじめの部位取れだ。今こうして思い返すと、取れた部位を食べたことはほとんどなかった。食べてもいいとは言われていたが、食べる必要も感じなかったし、僕ではなく家族の部位が取れたときも、やっぱり食べようとはならなかった。

 久坂部さんだけだな、とふと思う。

 ベッドの上に沈んだまま動かない僕の恋人は、取れた僕の腕を差し上げると、煮物にすると言ったのだ。

「懐かしいですね、久坂部さん……」

 話し掛けつつ再び過去の部位取れを思い出す。はじめての部位取れは、再生まで一週間。その次の部位取れは確か中学生に入ってからで、授業中に左手がぽろりと落ちたが、これは三日ほどで再生した。その次は高校の頃だ。なんとなく自分の親指を引っ張ってみたところ、難なく取れた。反射でくっつけようとしたが無駄だった。しかし二日もすればあっさり生えた。

「……段々、再生速度が早まってるんですね……」

 それならば部位取れ初心者の久坂部さんがすぐに起きないのも道理ではある、あるけども、どうしても不安は滲み出る。

 本当に目を覚ましてくれるだろうか? 本当に脳は再生するだろうか? 本当に僕と同じ部位取れ症状で間違いはないだろうか?

 目を覚ました久坂部さんは、再生された久坂部さんの脳は、ちゃんと記憶や機能が間違いなく戻っているだろうか?

「……、考え込んでも仕方ないか……」

 溜め息を吐きつつ、動かないままの久坂部さんの顔をそっと撫でた。体温はちゃんとある。死ぬことはないだろうと思える程度には、ただ眠っているだけに見える。

 待つことしかできない。そう自分自身に言い聞かせながら、スマホを手に取った。脳を食べ切った旨と久坂部さんはまだ目覚めない旨を打ち込んで、姫野さんと市平さんに送信する。姫野さんからは「りょ。起きたら教えて」とすぐに返事があった。もちろんですと返信し、今晩はこのまま見守りますと追送し、私も何かわかったらすぐ連絡すると返事があった。現在進行として部位取れ患者の死亡例を調べてくれているようだった。感謝の返事を送ったところで、市平さんからのメッセージがきた。

 通話がいけるか書いてあったので了承した。すぐにかかってきた電話をすぐにとり、どうかしたのか聞けば食い気味の返事を受けた。

『取れた部位を食うてた人の記事見つけた!』

「えっ?」

『しかも自分で食うんやなくて人に食うてもろてた例で、つまりつまり、めっちゃ奴原さんと久坂部さんのケースと同じやねん!!』

 驚きや喜びや予想外の進展や、とにかく様々なものが綯い交ぜになって言葉を失ってしまった。

 呆然とする僕のそばで、久坂部さんはじっと眠り続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る