5 脳吐いてもうたけど

「あっ、やっぱ簡単に取れるんだ……」

 姫野さんは悩むような声色で言いながら取った人差し指をくっつけようとしたが、当然くっつかない。血も出ておらず、断面図は非常に綺麗だ。見覚えしかない。姫野さんと市平さんに目を向けられたので指を取って見せようとしたがそこまではしなくていいと止められた。

「でもそうだよね、やっぱこれ、明らかに奴原さんの部位取れ症状だよね」

 姫野さんは自分の指で久坂部さんの指を挟んで持ってしげしげ眺める。

「えっとー、奴原さんからうつっちゃったとして……いや……そもそも今まで、誰かにうつったことってあるの?」

「僕が知る限りでは、ありません」

「うちが調べた限りでもあらへんかった」

 話に入ってきた市平さんは手に本を二冊持っていた。一つは奇病図鑑、もう一つは因習村怪奇ファイル創刊号と書かれてある。市平さんは奇病図鑑の方をベンチの上に置いた。スマートフォンで照らしながら、付箋の貼ってあるところを開いた。

 姫野さんと共に覗き込む。そこには体の一部が取れてしまう病気と、臓器を吐き出してしまう病気について書かれてあった。後者に関しては罹患すると死んでしまう可能性が高いと記されていた。

 どきりとするが、僕の焦りを救うように市平さんが首を振った。

「これ、どっちも奴原さんの部位取れ症状とはちゃうねん。取れたら生えてこおへんらしい。せやから違う病気やとは思う」

 市平さんは本を閉じ、スマホのライトを消した。辺りが一気に暗くなる。

「じゃあ、どうするのが最適かわかんないな……」

 表情を暗さで塗り潰しながら姫野さんが呟いた。

「脳は、ひとまず僕が食べます」

 呟きを返すと、表情の見えない顔がこちらを向いた。

「それ、だいじょぶかな」

「というと?」

「いやほら、クサくんは多分奴原さんを食べまくってこうなったわけでさ。奴原さんが食べ返すのって、どうなんだろう。奴原さんに症状を返す、ってことになるのかな」

「わかりません」

「だよね、じゃあもうちょっと」

「わかりませんが、久坂部さんに起きてもらうには、食べるしかないと思います」

 姫野さんと数秒見つめ合った。市平さんは何も言わないまま固唾を飲んで見守ってくれていた。そのうちに姫野さんは息を吐き、肩を竦めながら笑みを浮かべた。何かを決めたような笑い方だった。

「私か市平ちゃんが食べるよりは、奴原さんが食べたほうが絶対にいいだろうしねん」

「はい。お二人にも部位とれを起こさせるわけにはいきません」

「よしじゃあ、今日のところは……このまま誰かの家でクサくんの脳食べパーティー、と言いたいけどもごめん、かなり深夜になってきてるし私はそろそろお暇したい」

「あっ、うちもぼちぼち帰りたい……脳吐いてもうたけど死ぬことはなさそうやし、今日は一旦この辺で」

「はい、後はお任せください。ちゃんと食べておきます」

 二人を駅まで送ろうとしたが、自分たちよりも久坂部さんを頼むと言われ、公園の中から見送った。姫野さんは立ち去る前にタクシーを呼んでくれており、少しすれば一台の黒光りしている車がやってきた。僕の部屋ではなく久坂部さんの部屋までお願いした。彼の明日の仕事予定を確認しておきたかったし、目覚めた時に自室にいる方が落ち着くだろうと思い、そうした。

 運転手はぐったりしている久坂部さんを泥酔客だと思ったみたいだった。深い事情を話す必要もないためそうだと答え、あまり会話はしないまま車に揺られた。椅子からずり落ちないよう、久坂部さんの体をしっかり支えた。体温は失われておらず、暖かかった。それにはじわじわ安堵したが久坂部さんは少しも動かなかった。タクシーは繁華街を走り抜けて住宅地の小道へ入り込み、夜に浸かったアパートの前でゆっくり止まった。

 

 部屋の鍵は久坂部さんのポケットから取り出した。中は真っ暗だったが数回来たことがあるので電気の位置は知っていた。なんとなくの間取りも覚えている。電気をつけ、内鍵を閉め、久坂部さんを引き摺って奥へと連れて行く。

 部屋は何度見てもアクセサリーと本が多い。本棚の隣にアクセサリー置き場となっている鏡台があり、鏡の端にもいくつかネックレスがぶら下がっている。それらを横目にしながら久坂部さんをベッドへと寝かせた。目はずっと閉じられたままだが、よく聞いてみれば息をしており心臓も動いている。

 ないのは脳だけ、という状態だ。

「……早く食べないと……」

 久坂部さんはいつもすぐに食べてくれていた。僕はこの人と出会ってから、部位が取れたことによる不便を感じにくくなっていた。それだけ大事にしてくれていたのだ。なら今度は僕が返さなくてはいけない。

 鞄を開き、久坂部さんの脳を取り出した。少し形が崩れてしまっているが、鞄の中で潰れたというよりは、久坂部さんが吐いた時に変形したようだった。形を維持する意味もない。いっそミンチ状態にしたほうが食べやすいだろうか。ううん、でも脳といえばどんな食べ方がデフォルトだろう。蟹味噌だと生が美味しいけども人味噌はえぐみが強そうだ。悩みながら刻んだ。火は通そうとフライパンを熱した。冷蔵庫を覗かせてもらい、余った焼肉のタレを見掛けて取り出した。悩むくらいならシンプルイズベスト。焼いてタレで食べるのが手っ取り早いしそれなりの味で食べられるだろう。焼き上がりのクサ味噌を皿に盛って焼肉のタレをかけて完成だ。

 皿を前にしてぱちりと手を重ね合わせる。

「待ってててください、久坂部さん」

 意識を失い続けている久坂部さんに声をかけてからお箸を持った。

 いざ、実食……。

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