5 この人の必死さなんやろう

 小学生の頃、俺はいわゆるいじられキャラだった。今は多少鍛えて背も伸びたがあの時代はチビでぽっちゃりだったから、まあいじられちゃうのも仕方ない部分はあった。子供って純粋で素直だからこそ残酷じゃん。久坂部のクサはクサいのクサっていつも言われて鼻水垂らして泣いていた。

 このいじりはいじめほどではないっていうのがポイントだった。今だとゴリゴリにいじめ扱いになるだろうが十年単位で昔の話だ。クサいクサい言われて給食に変なもの混ぜられて、たとえば俺は昔野菜がマジで食えなかったんだがそれをみんなに知られていて囲まれて無理やり野菜食わされて、のたうち回って泣きながら飲み込んでたらクラス中に笑いの渦が巻き起こった。この笑いがダメだった。担任は口ではコラ! っていうんだけど野菜食ってること自体はいいことって考えみたいで、クラスメイトの明らかな嘲笑いにはお咎めなしの「久坂部くんの食事のお手伝いしてあげてみんな偉い」ってスタンスだった。終わりだよ、今思うとほんとバカ。

 まあこんな小学生時代、ふらっと姫野が転校してきて、ふらっと隣の席になった。

 この頃の俺の給食は野菜じゃないものを食わされていた。皮膚とか爪だ。スープ類には血とか唾液とかも入れてたかもしれねえ。もうどんどんどうでも良くなってたし血は肉類に振り掛けられるとわからなかったし、爪は奥歯でゴリゴリ噛んでた。クラスメイトはクスクスしてた。隣の席の姫野は一週間後に急に怒った。

「クサカベくん、クサくん」

「は、はい」

「もっとさあ、こうさあ、うまいもの食いたいって、思わない?」

「うまいもの」

「好きな食べ物は?」

「えーと、魚と、酸っぱいもの、多分」

「じゃあ今日の給食いいじゃん!」

 その日の給食は焼き鯖があった。あとは豆類のスープと茹で野菜のポン酢和えと白米があった。いつもは俺が給食を貰いに行くと誰かが爪やら皮膚やら放り込んだけどこの日はそうはならなかった。姫野にいいじゃん!と言われて確かにいいな今日と思って、なんか、急に視界が明るくなった感じだった。

 爪を入れようとした豆スープ配る係のガキ大将を俺は殴った。

 女子の悲鳴を受けながら馬乗りになって更に殴った。豆スープの入っていた給食用の食缶がひっくり返ってなかなか阿鼻叫喚になった。俺は泣いてた。なぜか鼻血が出て、ガキ大将の服にぼたぼた落ちた。口に広がった血の味が今まで食わされた爪とか皮膚とかカサブタとか髪の毛とか思い出させてきて耐えられなくて嘔吐した。阿鼻叫喚指数が一気に上がった。

 この時に姫野だけが笑いながら親指を立てていた。

 俺は飛び込んできた先生軍団に引き摺っていかれ、めっちゃ怒られ、その日は一旦帰されて家の中でも親にめっちゃ怒られた。次の日から俺のいじりはなくなった。でもいじられた日々がなくなるわけではなかった。爪や皮膚の舌触り、ずっと覚えてた。忘れたかった。泣きべそ弱者なイジられキャラに戻りたくなかった。

 どうにか背が伸びて標準体型になった後はまあこんなもんかなって人生に軌道修正できた。高校の頃に買ってみたアクセサリーをつけてみて、鏡を覗いた時に嬉しかった。違う自分になれていると思った。実際になれた。武装ってこういうことだと腑に落ちた。

 けど、根底部分は変わらない。

 俺、奴原の取れた部位を食うことに抵抗がマジでなかった。

 それは奴原をいいなと感じて好きになったからってだけじゃないとはわかりたくないと思いつつわかっていたし、なんていうか俺は、奴原を好きだからこそ根底部分を知られたくないからこそ、食い続けてついには心臓が取れてしまうまで来させちまったんじゃねえかなって、思うよ。

 

 姫野が仕上がった奴原のハツの野菜炒めを眺めながら「これ、私も食べようか?」と言い出した。気を遣ってくれたんだとはわかった。でも丁重にお断りして、俺は一人でハツ野菜炒めの入った皿を前にした。

「奴原さん、早く起きてくれよ……」

 手を合わせながらそう呟いて箸を持った。いざ実食。俺はハツを三枚ほど掴み上げて口の中に放り込む。味付けはシンプルな醤油ベースの甘辛炒め、ハツの歯応えは非常にいい。噛み締めて噛み締めて、飲み込んだ。鉄分の風味が舌と鼻をゆっくりと刺激する。

 無言でそのまま食べ進めた。いつの間にか近くに来ていた姫野と市平さんが、固唾を飲んで俺の実食を見つめていた。市平さんの顔には「この人の必死さなんやろう」と書いてあって、横目でそれを読み取った姫野があはは! と大きく笑ってから市平さんの背中を軽くポンポン叩いた。

「純愛だよ」

「呪術すな」

 俺は噴き出して吐き出しかけた最後のハツを力強く飲み込んで、自分の手をちらっと見た。指輪は一つも嵌めていない。

 ああでもこれ、選び取った指輪を嵌める日が来るかもしれない。お互いに。

「……っ、ん、ゲホッ! ゲホゴホッ!」

 突然響き渡った大きな咳の音に俺も姫野も市平さんも同じところを振り向き見た。もちろんベッドだった。

 肩にかかる長髪を揺らしながらゆっくりと起き上がった奴原は、更に何回か咳き込んだ後に俺たち三人を見た。

「あれ、お揃いで……?」

 俺は涙腺が一気に緩むのを感じた。堪えようとしたがまろび出てきた小学生の俺に肩を叩かれ決壊し、鼻水垂らしながら泣いちゃった。

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