4 思い出さないようにしてるでしょ
思考が全く追い付かなかった。寝起きだからというのもあったしめっちゃ最高の初デートを終えた後だったからギャップで飲み込めなかったのもあったし、単純に、生で動いている心臓を見たのが初めてだったから「あ、これ心臓か」と理解するまでに時間が必要だったのもある。
寝ぼけ眼が完全に覚醒したのは「あ、これ心臓か」が脳に染み渡った後だ。
跳ね起きた。
「奴原さん!!」
抱き起こして頬を叩いた。奴原はぐったりして動かなかったが体温はまだあって、口元の血液はまだ乾いていなかった。どうする、どうすればいい、なんて考えてる時間が無駄だと思って俺は奴原を一旦寝かせ直してスマホを取った。午前六時半過ぎ、マジでごめんと心の中で謝ってから姫野に電話をかけてベッドに転がる心臓を丁寧に持ち上げた。姫野は五コールくらいで欠伸しながら電話をとった。
『もしもし……? ちょっと〜、朝何時だと思ってんの〜……?』
「助けてくれ姫野、頼む」
姫野は一瞬止まってから
『今どこ?』
真剣な声で返してくれた。心の底から感謝した。
「今ラブホ」
『あー、わりと把握した。どこ取れた?』
「心臓」
『はっ?』
「心臓」
『やばいどころじゃない、すぐ行く』
「お前の部屋からだと来てもらったりするより俺の最寄り駅で落ち合う方が早い、駅名と路線図送るからそれ見て来てくれ」
『りょ。市平ちゃんとカードする約束してたから連れて行く』
「頼む、それから本気でありがとう」
『見返りたっぷりもらうから気にすんな!』
通話はこれで終わった。この間に俺は心臓をティッシュに丁寧に包んで部屋に血で汚してすみませんの金を置いて奴原の口元を拭って服を着せていた。通話後に俺も服を着て、指先一つ動かさない奴原を背負って部屋を出た。もうかなり火事場の馬鹿力だった。急いでホテルを出て電車に乗ったところで自分のネックレスを忘れてきたことに気が付いたけどそんなもんどうでもよかった。自分の武装とか言ってる場合じゃなかった。背中で呼吸もせず俺に全てを預けてる奴原を、早くどうにかしてやらなきゃいけなかった。
でも俺は本当は二度と奴原の取れた部位は食べないでおこうと思っていた。俺が食べ続けるから奴原は取れ続けるのかもしれない。だから次取れた時は食べずに様子を見ようって、今日奴原に相談しようと思っていたんだ本当は!
最寄り駅前に姫野と市平さんはいた。二人は改札近くの壁に寄りかかりながら何か話をしていたが奴原を背負う俺を見るなりどっちも黙った。かなり酷い顔をしてるんだろう、通行人も怪訝な顔で見てきた後に慌ててさっと避けるからよっぽどだろう。でも取り繕えない。俺は二人に素早く頭を下げてから、性急に俺の部屋へと向かって歩き始めた。
「クサくん」
ついて来ながら姫野が話しかけてくる。
「部屋ついてからどうすんの、心臓食べるの」
「食べる。姫野と市平さんは奴原の様子を見てて欲しい」
「あー、うん、……応急処置とかして意味ある?」
「わかんねえ」
「あるんちゃうかな、多分やけども」
市平さんは「こんな大事になってまうと思わんかった」と顔でも声でも言った後に鞄の中からこの前読ませてくれたオカルト系統の本を取り出した。
「細かいとこ読んでみたら、結構重大な内臓系統が取れてもうた事例が一個だけ書いてあってん。限界集落のちっさい写真の横にちっさい文字で、肺が取れてしまった少女はしばらく呼吸停止していたが、肺の再生と共に息を吹き返し一週間もすれば完治した、って」
ほら、と言いながら市平さんは件のページと写真を見せてくれた。確かに今話された通りのことが書いてあり、結構重大なバグじみた事例なのに小さく載せすぎだろとちょっと思った。
でもこれで少しだけ緊張感が和らいだ。俺が一番避けたい事態は当然今背中にいる、俺の愛する恋人の死亡だ。付き合ったばかりであんまりだろという気持ちもあるがそれ以前にもう、奴原に苦労してほしくねえなと思う。苦労した上でこんな死に方最悪だろと思う。俺が食いまくることが原因なら食わずに改善していきたいと思う。俺は俺よりも優先したい大事にしたい幸せになってくれと思える相手を好きになったのが初めてなんじゃねえかなと思う。
俺の部屋に辿り着いた。姫野に鍵を渡して扉を開けてもらい、中に入ってベッドの上に奴原を横たえた。背負っていたからわかるが、体温が落ちない。体はどういう仕組みになってるのか知らねえけども血液がしっかり循環している。息はしてない。意識はない。でも死に切っていないとわかる。
「姫野、市平さん、奴原さんのこと頼む」
俺は鞄から心臓を取り出して台所に向かった。まな板を置いて包丁を持ってフライパンをコンロにセットしたところで、姫野が俺の隣に来た。
「調理手伝う方が良さげだからこっち来た」
「……悪い、マジで」
「しおらしいクサくんって枯れかけの植物みたい、シャキッとのびのび生えててよ」
姫野に拳で背中を叩かれた。腐れ縁だがいい友達だ。こうして頼りにしちまうわけだし、なんだかんだで一番信用してると思う。
一口大に切った心臓をフライパン前にいる姫野に託す。俺は冷蔵庫を開けて余らせていたカット野菜を取り出して、軽く水洗いした後に水切りカゴに放り込んでコンロのそばに置く。姫野は焼き加減を見て一旦心臓を取り出してから、野菜をフライパンに入れた。同じく冷蔵庫から取り出した味噌汁入りの小さな鍋はフライパン横のコンロに置いて弱火をつけた。その後に大皿を持ってきて包丁とまな板は流しへ置いた。
手伝ってくれているおかげでスムーズだ。俺はまたもう一段階肩から力が抜けた。ちらっとベッドを見れば奴原の体温を測ったり本をめくって打開策を探したりしながら「ほんまに死んでへんなこれ」と顔で言っている市平さんと、ただ眠っているだけに見える穏やかな表情の奴原がいた。大丈夫、大丈夫だ久坂部。俺は自分に言い聞かせつつ首元のネックレスを握ろうとして、忘れて来たからなかったことを思い出した。何もない空中を指は掴んだ。あのさクサくん。奴原の心臓を再度フライパンに入れながら姫野が話す。ジュワッと叫んだ心臓は、奴原のものだったのか俺のものだったのかわからない。
「小学生の頃のこと、あんま思い出さないようにしてるでしょ」
俺は開きかけた記憶を無理やり閉じるが、姫野が真っ直ぐな強い目で見つめて来たから結局緩んだ。
小学生の頃俺はカーストが低かった。
クラスメイトが切った爪や捲れた瘡蓋なんかを給食に混ぜて食べさせられていて、俺は、俺は、つまりそう、
人を食べることに慣れていた。
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