6 行きますか、久坂部さん……
安価で特になんの変哲もないサーロインステーキをミディアムで注文した。奴原はヒレ肉のステーキをレアで頼んでから、二人分のグラスワインを追加で入れた。店内はファミレスなどのように子供や親子連れが一切おらずとにかく静かだ。俺は息を吸い込み厳かな店内BGMを聴き少しだけ身を乗り出して、薄く笑ったままの奴原に話し掛けた。
「……今の、どう捉えた?」
なんて確認してしまう俺の意気地なし……。俺が自分に幻滅していると奴原は笑ったまま片手をスッとテーブルの上に置いた。そして拳を作り、親指だけを立てた。立った親指は人差し指と中指の間に押し込まれた。俺は堪えきれずに歓喜の笑顔を浮かべてしまい、奴原は相変わらず妖艶に笑ったまま押し込んでいる親指を抜き差しして見せてきた。ちょっと恥ずかった。
「や、奴原さん、いいってそんな……その、あれ……」
「ピストン運動を示しているだけですが」
「いいっつうの!!」
うわーもうなんていうか奴原ってこういうとこあるよなあ! とかなんとか思いながらあーじゃこーじゃの直結厨乙、俺は親指の動きから目を逸らしつつ思いっ切り手持ち無沙汰になっていた。おかげでせっかく届いたサーロインステーキミディアムの味が全然しなかった。肉肉しさと血の風味だけが抜けていって、それでこう、あーやっぱり牛のサーロインよりも奴原のモツの方がうまかったし初めて食べた右手の方が柔らかくて食いごたえがあって胃腸が大喜びだったよなあとか考えている間に食べ終わっていた。俺だけじゃなく奴原もだ。空になったステーキ皿を見下ろしながら無音で水を啜っている姿は異様に凛としていた。冴えていた。奴原はそもそも全体像に妙な魅力があるんだよなと思いながら数分見惚れていた。
「行きますか、久坂部さん……」
やがてそう湿った声で呟かれて俺は頷くしかなかったね、全然堪能できなくてごめんなステーキまた今度。
まだまだ冬なので外は寒い。そんなに長く歩きたくないが、ステーキ屋からだと俺の部屋より奴原の部屋の方が近い。しかし濃密な時間を過ごすのであればどっちかの部屋よりもどっかのホテルの方がいいかもしれない。声、声とか、抑えなくていいし。ゴムなどのアメニティ完備だし。ベッド綺麗だし。
そんなわけでホテルにしよう。俺が提案する前に奴原がさっさとスマホで近場のホテルの空きを調べて部屋の予約までしてくれていた。ズコー! と転がりかけた。俺がまごまごのデモデモだってをしている間になんて手際のいい人だ。いや俺が動揺しすぎではあるのかもしれないがそりゃあ動揺するだろう。なんせ男とこのような関係になったのは初めてで、女とは諸々勝手が違うように感じる。なんていうか、どこまで優先すればいいのかわからないというか、そうか親指を挟んでピストンする側が俺だからなんか困っちゃってるんだこれ。同時に腕とか目とかバンバン取れちゃうから余計に困っちゃってるんだこれ。女の子みたいにとにかく丁寧に扱うにしては奴原はしっかり男な上に何もしてなくてもどこか取れたりするんだから、どう触れようか迷うんだ。
とかなんとかもだもだ考えているとホテルに到着した。奴原はさっさと中に入って受付を済ませ、ルームキーを片手に俺を促して狭いエレベーターに乗り込んだ。部屋は三階だった。細長くて少し暗い廊下に人の気配は全然ない。俺と奴原はどっちも無言であてがわれた部屋の中に滑り込む。
後は野となれ山となれ……。
部屋の中でのアバンチュール詳細は伏せさせてもらうけどもびっくりするくらい会話はした。誰も聞いていないし二人きりだし、そりゃもう密着しちゃってるからお互いになんだか口が開いた。
奴原は今までほとんど話したことのない話を俺に聞かせた。
「内緒ですよ……」
と静かに笑いながら、ちょっと汗ばみながら、訥々と話し始めた。
「久坂部さん、僕の体の色んな部位、定期的に取れるの変だと感じていると思うんですが」
「思わない奴、いねえよなあ……」
「取れる頻度は確実に上がってます」
「あ、やっぱそう」
「久坂部さんに出会ってからです、確実に」
俺はすぐ間近にある奴原の顔を凝視して、何か返そうと口を開くが結局何も出てこなくて閉じた。奴原は取れたことのある目を細め、食ったことのある右手の指で汗に濡れた俺の前髪を柔く撫でた。
「僕が生まれたのは周りを山に囲まれた田舎の町……いや、村って呼んでもいいくらいには寂れた集落でした。僕が好きなホラー的にいうのであれば、因習村っぽいところですね。因習はありませんでしたが奇病というか、姫野さんや市平さんがいるときにも少し話しましたが、早い話が僕のような、体の部位が取れてしまう住民がいるんです。僕の生まれた奴原家が顕著でした。その他の家に生まれた場合はおかわり様と呼ばれて丁寧に扱われていましたね」
「因習村ビギニングって内容になってきたぞ……?」
「でもこの取れてしまう奇病、本当なら、自然治癒するんです。遺伝というか、僕の母親は僕を産んだあとにこの症状はなくなりましたし、おかわり様もおかわりしているのは子供時代だけなんですよ」
雲行きが怪しくなってきた。体を少し起こして奴原と視線を合わせ、一瞬躊躇ったけど引くと男じゃないと思い、この前食べたばっかりの奴原の腸を下腹部越しにさすった。その後に噛みちぎったこともある耳を食もうとしたが避けられた。奴原は俺の背中を緩く握った拳でトントンと叩いてから息を吸った。
「実家にも問い合わせたんですが、成人済で僕ぐらい頻繁に色々取れてしまうのは前例がないそうです。なので、今のところ解決法や改善方が不明で手詰まりなんですが……ちょうどよく久坂部さんと出会えて、そばにいてくれてよかった。あなたが今日取れた部位を今日食べてくれるから、部位のない不自由さがかなり軽減されています。本当に、ありがとうございます、久坂部さん」
俺はまた何も言えなくなった。あーもしかしてこれ、と思いついてしまって何も言えなくなった。
あーもしかしてこれ、逆説なんじゃねえか。
俺は前例のない取れをカバーしてるんじゃなくて、俺がいるから前例のない取れが起こってるんじゃねえか。
そう思いついてしまったからには、俺は奴原に好きだ付き合ってくれなんて言えねえよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます