5 お疲れ様、メンズショップ店員……。
バレンタイン当日の店内はなかなか大盛況でレジには常に客がいると言っても誇張ではない状態だった。俺は俺でちゃんと今日は本番だと気合を入れて出勤したし、スタッフも普段より数人増やしているし、このくらいの混み具合は予想の範囲内ではある。しかし実際に体験してみると、多い。毎年このくらい込みはするのだが、やはり多い。もう夕方なのだが、多い……俺はいちゃつきながらリングのサイズ確認をしているカップルの相手をしながらそこそこ疲弊し始めている……。そして本日は残業込みの出勤だ……。
俺は午後二十一時、閉店時間までガッツリと働いた。バイトには無理をさせなかったが社員は開店から閉店まで店にいて、二十一時半に店を閉められた時にはそれはもうみんな疲弊していた。冬場なのに暖房のせいもあり汗までかいていた。みんなお互いを労った。売り上げ自体はめちゃくちゃ良かったので悔いのない満身創痍ではあった。
でも俺はまだ店にいたかった。
「最後、発注内容だけ確認して店出るよ。施錠もしとくから、みんな先に帰っててくれ。お疲れ様」
こう言ってみんなを帰らせた。言葉通りに発注確認はしたけど不備はないので三十分もせず終わってしまった。俺は伸びをして照明を落とした店内をぐるりと見回す。それから奴原の顔を思い浮かべる。あいつも多分今日はまだ仕事してるかやっと終わって帰宅してるか、とにかく忙しかっただろう……お疲れ様、メンズショップ店員……。そう心の中で労ってから別のことを考える。先日のメシのことだ。腸を派手に吐いて派手に捌いて派手に食った。そんなハプニングのせいで俺はすっかり忘れていた。
本当はあの日、どうして部位が取れまくるのかと目が取れた時の話は嘘だったりしないのかと、とにかく色んな部位取れについての疑問を投げようと思っていたのだ。
「まあ、聞かれてもわかんねえのかもしれないけどな……」
閉店後のアホほど静かな店内に俺の呟きはアホほど大きく響いた。響いて跳ね返って俺の胸にダイレクトに迫った。
俺は奴原が好きだし心配だしできるだけ部位が取れないまま暮らして行ってほしいと思っているが、それとは別で部位が取れる現状についてどうしようもないことを考えてしまっている。腸を吐く姿を見た日から考えるようになってしまっている。
取れる部位、心臓や脳みたいなとんでもない部位だったとしても大丈夫なのか?
大丈夫なのだとしたら、俺はいつか奴原の重要部位を胃袋に収めてしまうのか?
そうだとして俺は、好きな子の全てを物理的に食べ尽くした男になってしまうのか?
これらをぐるぐると考える。ついでに成し遂げてしまった未来予想をして高揚した後にすかさず落ち込む。奴原が好きだ、大事にしたい、でも食いたい、あいつを俺のものにしたい。そんな気持ちがぐるぐるぐるぐる、腹に収まる小腸のようにぐるぐる巻きで巣食っている。
とか言って干渉に浸ってネガティブシンキングしてんじゃねえよ!!!
頭を勢いよく振って立ち上がる。ジャケットを着てマフラーを巻いてきっちり施錠して店を出る。その後にスマホを確認していくつもある通知の中から奴原のメッセージを選び取ってすぐ開く。お仕事お疲れ様です久坂部さん。今日はすごい人でしたね。明日か明後日空いてませんか。俺は温度差で曇るスマホの画面を手袋で擦る。その後に明日会いたいと返信する。もうこれほとんど無意識だった。明日は夜の十九時に退勤できるから会えると慌てて追加送信してから俺は、晴れて星が散っているバレンタインの夜空を見上げる。
返信はすぐに来た。明日の十九時半に会えることになって、俺はガッツポーズ、はしなかった。
くしゃみを一つしてから鼻を啜って、鞄の上からプレゼント用に買った銀色のブレスレットをそっと握った。
翌日の夜、顔を合わせた奴原はいつもよりもなんとなく饒舌だった。にこにこと笑い、俺に最新で購入したボラー小説の感想を話し、この先にあるステーキ店を予約したと言って、俺を案内しながら後ろでまとめた髪を揺らした。どこも取れていなさそうだった。なんてことを考えるようになっちまってるな、と即座にがっかりした。
美味いから好きなのか、好きだから美味いのか。とは言っても生の踊り食いは不味かったからどっちでもねえか。
「久坂部さん、お肉は好きでしたよね」
ステーキ店について話していた奴原にそう問いかけられて頷いた。
「うん、肉はだいたいなんでも食う。つっても野菜もだいたい食うしゲテモノって言われるもんも食う。前に友達数人とジビエ食いに行った時なんかは限定メニューで置いてあった虫アイスクリームってやつ食ったよ、そんなに美味くはなかったけどまあ食えた」
「芋虫とか、羽虫とかですか?」
虫の種類が気になるんだ。
「ああ、芋虫も羽虫も刺さってたし甲虫がウエハースみたいに添えられてたよ」
「すごい。ものすごく虫ですね」
「アイス自体は普通のバニラだったけどな」
話している間にステーキ店にはついていた。奴原が予約の奴原ですと受付に言い、奥のテーブル席まで連れていかれた。
メニュー表を先に奴原に渡し、礼を言ってから中を見始めた奴原をじっと眺めた。
そして俺は黙っているつもりだったのに言ってしまった。
「牛のステーキより奴原さんのステーキの方が美味そうだけどな……」
ハッとして呆然とした。ごめんとも今のなしとも言えない俺の視界の中で、奴原はゆっくりと顔を上げて視線を絡ませてきた。
薄く笑っていた。ぞっとするくらい官能を滲ませた笑みだった。ああこれ今夜はワンナイトカーニバルだなと俺は思って、飲み込んだ唾液はいやにねばついていた。
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