4 本当に平気です

 モツを食ったことは何回でもあるがモツを食うために下処理をしたことは一度もない……。そう現実逃避気味に考えながら机の上に吐き出されたモツを眺めていた。ていうかこれはモツがどうとかメシがどうとかの問題を越えてるな。食う食わないの話じゃないな。大腸か小腸か見ただけじゃあまったくわからねえけどどっちにしろこんなもんが外に出ちゃったらタダで済むわけがねえ。

 俺は急いで奴原の隣まで移動した。

「おい、大丈夫か!?」

 肩を支え背中をさすり、口元に手を当てたままの奴原を覗き込む。合わさった目は涙目ではあったが意外としっかりしていた。

「大丈夫、です」

「いや……無理だろ、腸出たじゃねえかすぐ帰った方が」

「いえ。吐いた時は呼吸がしにくく辛かったですが、吐き終われば痛みなども特にないので本当に平気です」

 奴原は口から垂らしている血液の混じった唾液をお手拭きで拭いた。

「むしろ、なんとなく具合いの悪かったお腹がすっきりしています」

 などと言ったので、あー本当に平気なんだなと納得はした。それならばいつものあれである。

 いざ、実食。

 机に吐き出されたままの腸に目を向ける。モツ自体は好きだから、まあ食えるだろうと思いはする。下処理なしでもいけそうなぶつ切り具合いでもあるし……しかしこの前の目玉をちょっと思い出しちゃうな。どれだけ好きな相手の肉体でもちゃんと調理しないとぜんぜんおいしく食べられないって知っちゃったんだよな、俺。

 などと考えるけども、今度は鍋に目を向ける。本当にめちゃくちゃちょうど良い具合に鍋がある。俺は奴原産のモツを一旦皿に取り分けてから鍋の蓋をさっと取り、ぐらぐらと煮込まれている白菜ともやしを横へと詰めてスペースを空けて、ちらっと確認がてら奴原を見た。奴原は無言で頷いてから親指まで立てた。それならええいままよ、出汁の匂いが腹を刺激し美味そうな飴色をする鍋のスープよ唐突なモツも美味くしてくれ!

 奴原のモツを鍋の中に放り込んでから蓋をした。煮立つまでどうしようかなと考えていると、奴原は何食わぬ顔でアルコールを一口飲んだ。本当に腸を吐き出すことによって不調が良くなったらしい。そういえば俺は最近大腸を摘出した漫画家さんのエッセイ漫画などを読んだ。あんな感じなのだろうか。俺の大腸も小腸も十二指腸も元気だから想像しかできないが。

「久坂部さん、飲まないんですか」

「あ、いや、飲むけど」

「急に腸を吐いたりして、すみません」

 奴原はぺこりと頭を下げる。うーん、しおらしいとかわいい。不敵で得体が知れない時もかわいいが、なんというかここまでくると恋は盲目その部位が取れちゃっても受け入れられるような気がする。

 別に問題ないと返してからアルコールを飲んだ。取り分けたサラダを食べ、唐揚げを二人で分けた。その間に色々と話をした。取れ部位のことではなく、最近よく話していたバレンタインのことが主だった。服屋も服飾屋もこの時期は商戦に殺気立つ。そもそも今日のディナーはバレンタイン・ウォーに疲弊した俺たち二人を労うディナーでもあるのだ。バレンタイン前日と当日の必死の接客に向けて充分癒されておかなくてはいけない。

 ペアリングの売り上げが意外にも悪いのだという話をしていると、鍋の蓋がごとごと揺れ始めた。

「あ、そろそろ食べられそうですね」

 と奴原が言って、俺は神妙に頷きながら鍋の蓋をゆっくり開けた。

 もわっと膨れ上がった白い湯気が一瞬視界の全てを埋めた。その次に出汁の芳醇な香りが鼻の中を通り抜けていき、口の中に無意識な涎が滲み出た。散った湯気の向こうに現れた煮立ったモツはすっかり火が通っていた。出汁汁を吸ったらしく、ほんのりと醤油色に染まっている。えー普通に美味そうだな、人気店様様だ。俺は喜びながら奴原モツをせっせと器に入れていく。

「奴原さんも自分のモツ食うか?」

「そうですね、美味しそうなのでいただきます」

「あれでも、俺が全部食ったほうが復活早いのか?」

「いえ……さほど変わりないとは。どちらが食うかより、全部食い切れるかの方が重要だと思われます」

 そういえば一番初めの左手の時、食い切ったらいい感じになったんだっけか。あれからそこそこ時間が経ったんだなあ……。

 さて、今度こそ実食である。

 手を合わせ、いただきますとしっかり声にしてからモツを一つ箸で摘み上げる。出汁で光ったボディは艶めかしい。そしてなんというか、人間のモツだし仕方ないけど、なかなかでかい。餅のようにもちょっと見える。全部食い切れるかどうかが心配だ。

 かぶりついて食いちぎった。噛みごたえが半端ではなかった。口の中に広がるのは出汁の風味とモツの脂身、ホルモンと呼ばれる部位の旨味……いやほんとに普通に美味いなこれ。めちゃくちゃ噛むことになるけど、美味い!

 もっちゃもっちゃと噛みながら、このモツを提供してくれた奴原に向けて親指を立てた。奴原もでかさには困ったらしく頬を膨らませながら必死にモツを噛んでいたが、俺と同じ気持ちらしく数回頷いてピースサインを見せてきた。うーむこれは出汁汁が絶妙にあっているのもあって余計に美味く感じるのだろうか。なんにせよぜんぜん食えた。俺たちは会話もしないまま、たくさんある奴原モツを一生懸命食べ続けた。

「腸、戻りつつあるように感じます」

 食べ終わった後に奴原が言った。下腹の辺りを掌で撫でさすっているのでなんだか妊婦のようだったがそんなわけはない。というか俺も下腹をさすっていた。モツの食べ応えが凄かった。


 いいディナーだった。吐き出された腸もすぐ調理できたし、奴原の体調も問題なくなった。

 だからすっかり忘れていた。

 なぜ奴原の部位は取れまくるのか、どうして最近は頻繁に取れるのか、この間の逆の目が取れたという話は嘘だったりしないのか、あらゆる部位取れについての疑問を聞くつもりだったことを、完全完璧に忘れていたのだ。

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