3 耳隠すためか!
仕事をしながら耳について考えていた。ちょうどピアスを探しに来た男性客の対応をしたから人の耳をじろじろと眺める機会ができたこともあって、これが取れるとは……と何とも言えない気分になった。ピアスは試着をほぼしないので男性客の耳に触れたりはしなかったがリングピアスのついた軟骨部分を横から見ていると「まあこのあたりは食えそう?」とか考えちゃって食欲がわりとまずかった。客を食うな久坂部!
ピアス接客が終わり時間が過ぎて、退勤の十九時になったあとは用事があると話してすぐに店を出た。十二月、さすがにかなり寒い。厚手のジャケットを羽織って前もしっかり締めてから外に繰り出しスマホを開いた。奴原の住むアパートがある地域までは電車で四駅くらいだ。今から向かうとメッセージを打ち込んで、俺はいそいそ駅へと向かった。まだ十二月前半なのだがクリスマスイルミネーションが至るところにあしらわれていて夜だけども明るかった。奴原に会える! っていう俺のテンションの上がりが余計に明るく見せてるような気もした。
最寄り駅前では奴原が待っていてくれた。顔を合わせるのは右手を食い切った日以来であり、一ヶ月も経ってはいないと思うんだけど奴原は前回よりも厚着になっていた。膝上まであるロングコートにヘッドホンを装着している。耳冷えないようにかな? とか一瞬思ったが耳隠すためか! とすぐに思い直せて俺は奴原に急いで近付いた。
「迎えに来てくれてありがとう、待たせた」
「あ、久坂部さん。ご無沙汰です」
にこっと微笑んでくれて、うーん好きだなとほっこりする。恋愛感情ってまあまあバグだから奴原が色々謎だらけで色々取れて色々わからないところだらけなのを置いておいてうーん好きだなが先行する。いいことだ。早速奴原の隣に並び、こっちですと案内を始めてくれる姿についていく。
住宅街が基本の駅で、駅前にありがちな飲食店の並びなんかはあんまりない。そのうちにスーパーはひとつ見えたが奴原曰く弁当はうまいが食品は然程安くないらしい。それはいけない。でも安すぎても品質的に微妙だったりする。なんでもほどほどくらいが一番だ。
「住心地はいい地域ですよ」
息を白くしながら奴原は言う。
「居酒屋などもあまりないので、酔っ払いが騒いでいることもなく……僕はもうこのあたりに五年ほど住んでます」
「へえ……アパートも同じ?」
「そうですね、特に不満はないですし。近所のネグレクト猫ちゃん以外は」
そうだその子がいたんだった。俺はすっと背筋を伸ばす。
「ネグレクト猫ちゃん、大丈夫そうなのか?」
「どうでしょう……。会えた時には何かしら食べさせてあげていますが、鳴き声は常にか細いです」
「……心配過ぎる……」
「僕の取れた部位も欲しいかな……」
ここでアッと思う。ネグレクト猫ちゃんが食べていたものを俺が奪った形になってるじゃないかと気付いた。慌ててそう言うと奴原はきょとんとしたあとに首を振りながら笑った。
「前回の伝え方が説明不足でした。取れた腕などはあげてましたが、食べさせてたわけではなくて」
「あっ、そうなの……?」
「はい。ちょっとした遊び道具として渡していました。飽きた頃に律儀に返してくれるので、その後は燃えるゴミで捨ててましたね」
「それ何かに引っ掛かったりしねえか……?」
「うーん、傷んだ生肉だから平気かと……?」
そう言われればそうではある。傷んだ生肉。腐りかけの生肉。もったいないというか、今の俺の心情としてはなんだか悲しい。
取れた部位だろうと奴原なのだから丁重に扱いたいって気持ちが俺の中には存在してる。
「あ、あのアパートです」
奴原は見えてきたアパートを指さした。三階建てのアパートで、住まいは三階の端らしい。奴原はアパートの玄関に入る前にきょろきょろと周りを見渡して、ネグレクト猫ちゃんの姿はないと眉を下げながら呟いた。俺も少し残念だった。二人でなんとか保護して保護猫センターなどに連れていけないか話しつつ部屋へと歩いた。
「どうぞ、入ってください」
「おじゃまします」
他人行儀だが律儀に挨拶しながら入室した。俺と同じ1Kの一室で、部屋の中にはでかめの本棚がどんと構えられていた。その他は机にベッドに収納棚という普遍的な様相で、俺は勧められるままベッド下に置かれている机の前に腰を下ろした。
「料理を持ってきます。寛いでいてください」
玄関近くのキッチンへ向かう奴原の背中にありがとうと声を掛けてから本棚に視線を移した。予想通りというか聞いていた通りというか、ホラー小説っぽい本がずらりと並んでいて壮観だった。本当にホラーが好きなんだな……としみじみする。もちろんそれ以外のジャンルの本も刺さっているし俺の家にもある変な愛の小説集の姿も見える。ふつうの雑誌だって……あっいやあれは思いっきり怪異と幽霊って書いてあるホラー雑誌だ、めっちゃ怖そう。
本棚を視線物色している間に奴原が戻ってきた。手に持ったお盆の上には大きい皿がひとつとお椀がひとつ乗っていて、お椀の方は味噌汁だった。
大きい皿には千切りキャベツといくつもの揚げ物が乗っていた。
「揚げたて提供じゃなくて申し訳ないですが、久坂部さんを迎えに行く直前に揚げたので萎びてはないはずです」
「いやいや、そんなのぜんぜん気にしねえよ」
「では説明を」
説明? と思っていると奴原は大きい皿を机の真ん中に置き、上に乗る揚げ物をひとつずつ指さしてこれは鶏肉これはレンコンこれはエノキと紹介していき、最後に端っこに乗っている小振りで縦長の揚げ物を指し示す。
「こちら、僕の耳です。素揚げではなく皮を取り唐揚げと同じような下味をつけました」
わずかに身を乗り出して眺めてしまう。
これが奴原の左耳……と脳内で言ってからふと気付いて顔を上げ、目の前にいる奴原の耳に目を向けた。ヘッドホンはもうつけておらず、聞いていた通り、そして今出された通りに、なかった。奴原はその部分にガーゼを貼っていたが明らかに膨らんでいなかった。
「さあ、食べましょう」
二人分の米を用意してから奴原が言った。
それでは二度目の、好きな相手の部位の実食である。
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