5 なにせ初めてのことなので

 アクセサリーショップ店員である俺の休みは大体平日だ。だからもしかすると奴原となかなか予定が合わせられないのではと焦っていたが、杞憂だった。奴原も余裕の平日休みらしい。

『もしかしてサービス業?』

 とメッセージしてみれば、

『僕は服屋の店員です』

 AIのような返事が来た。

 なにはともあれ似たような業種のようでそれなら予定合わせはやりやすいだろうと更にメッセージを重ね、火曜の午前十一時頃に俺の最寄り駅前で待ち合わせることにした。その後に冷蔵庫を開けて右手の残りが腐っていないかを確認した。ぜんぜん大丈夫そうだった、むしろ劣化してないどころか味が染みて更に美味そうになっていた。しかしこれ奴原が美味いのか人間が美味いのかどちらなのだろう? いや人間が美味いからと殺しまくるハンニバルレクターもどきになる気はないが、食ったからには考える。奴原の右手の角煮と自分の右手を交互に見ながらうーんと唸る。指をわきわき動かしてみて、俺の手も急に取れたりするだろうかと思い始める。そうだとするならどうしようか。取れた時は奴原に連絡しても大丈夫なのだろうか。うーん……今ここに奴原の取れた右手(食べかけ)があることしかわからねえ。

 冷蔵庫を閉めてベッドに座った。ベッド脇に置いてある本棚から適当に本を抜き出してパラパラとめくる。変な愛の小説集というタイトルの、いろんな作家のいろんな愛の話が収録されている作品集だ。俺はこの中の、お父さん攻略法って掌編がめちゃくちゃ好きだった。あと丸々飲み。どっちも変なんだけどちゃんと愛の話だった。

 お父さん攻略法を読んでから電気を消して寝た。

 奴原がやってくる火曜日はそわそわしながら仕事をしている間に訪れた。


 いい感じに晴れた日だ。最寄り駅前は平日昼間だから人の姿は比較的少なく、待ち合わせにはちょうどよかった。駅前広場の壁際に立って息を吸い込むと秋と冬の間くらいの匂いがした。黄色の銀杏とクリスマス装飾が余計にそう感じさせてきて、あーちょうどいい季節だなーってなんとなくほっとした。

「鍋とか食いてえな……」

「次取れたら鍋作りましょうか?」

 背後からの返答に思いっきりビクついた。なんなら若干浮いた。いつの間にか後ろに立っていた奴原は俺に向けてぺこっと頭を下げた。

「ご無沙汰してます、久坂部さん」

「お、おう、この前ぶり……奴原さんて気配ないの?」

「久坂部さんがぼんやりされていたんだと思いますが」

 それは本当にそう。咳払いで誤魔化しつつ向き直り、無事集合できたんだし俺の家行くかと声をかけて動き出す。

 バスを使わないとそこそこ歩くのだが別に構わないと奴原は言って、それならと徒歩で道を進み始めてあのスーパーは安いあのスーパーは弁当がうまいと道なりに店舗紹介をしていると突然笑われた。

「主婦みたいですね」

「いや、主婦ではもちろんないけど給料高くもねえからこういうのは把握しとかないと」

「わかりますよ。僕も行きつけのスーパーはありますし」

「そうだろ?」

「はい」

 なんて会話をした後は朗らかにお互いの推しスーパーのプレゼンやりとりになった。ここだけ抜き出せばものすごく主婦だったが見た目は全然違う。ステンレス製のアクセサリーを指にも耳にも首にもつけている俺と一つに縛った黒髪を揺らしてはいるがそこそこ長身の奴原は女に間違われはしない。いや奴原自体は美形というか中性的な雰囲気があるにはあるんだが、フェミニンってわけではなくてそう、なんていうか不思議だ。変に漂う魅力は誘蛾灯とか蟻地獄とか……いやこれだと悪口か、一旦保留で。

 とにかく話し続けながら道を歩いたおかげで俺のアパートにはすぐ辿り着いた。奴原は一度は来ているわけだから案内しなくても俺の部屋の前まで何も言わずについてきた。中は昨日の夜に多少片付けたため問題ない。早速奴原を迎え入れ、椅子やらはないからベッドに座らせて、もう昼時だと時間を確認した後に冷蔵庫を開いて我々のメインディッシュである右手の角煮を取り出した。

「そういえば奴原さん、なんでまた右手を食べようと思ったんだ?」

 世間話程度に聞きながら右手をレンジに放り込んで温める。その間に昨日から作り置いてあった醤油ベースの和風わかめスープを火にかけて、余った白菜で拵えた浅漬けの入ったタッパーを部屋の真ん中のテーブルにぽんと置く。近くにある炊飯器がいい米の匂いを立て始めていた。そこそこなランチタイムになるだろうと内心満足しながら黙ったままの奴原に視線を向けた。なんていうか、困っていた。えっ待って俺変なこと聞いたか? ってちょっと焦っている間に奴原がこっちを向いて自分の右手を軽く持ち上げた。

「説明がしにくいのですが」

「え、お、おう」

「なんというか、違和感があって」

「右手に……?」

「はい、右手に」

 奴原は拳を握り、開き、握り、開いてから息をひとつ吐いた。右手はたしかにどこかしらぎこちなく、指の動きが鈍かった。

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