4 既に黒歴史だけど
奴原と意気投合して結合してしまった飲み会の日の映像が脳内を駆け巡る。そもそも誘ってきたのが姫野であり、女二で男二のダブルデート風の飲み会をしようという話だった。まあ暇だったし酒飲みたかったし姫野にはいろいろと世話になったことがあって、オッケーした。そして待ち合わせ場所に行った。俺が一番遅かった。姫野に文句を言われてうるせーなってちょっと怒って、奴原は静かに微笑んでいた。本当に申し訳ないがもう一人いた女の子はわりと影が薄くて名前もあやふやだし、いざ飲み始めると奴原が似たような小説を読んでいるらしいと判明して盛り上がって女の子二人そっちのけで夢山平雪の話ばかりしていた。
俺はそのまま奴原を連れて夜の町を歩き出し、後はもう既に黒歴史だけどそこからの今現在だ。あれまだ三日四日くらいしか経ってないのかこれ、めちゃくちゃ怒涛で今更驚きが込み上げる。
「クサく〜ん?」
姫野が俺の目の前でひらひらと右手を振る。
「だいじょぶそ? トリップしてた?」
「ああ……」
「で、奴原さんと仲良くなったの?」
それはもう、ワンナイトだけでなくワンハンドも一緒に食べた仲になった。そう伝えるのはなんだか躊躇してしまう、なんせ他人に言っちゃっていい関係なのかどうかがわからない。
改めて姫野を眺める。膝丈のフレアスカートにパーカーを合わせて着ていて、この甘過ぎないコーディネートは昔から変わらない。肩ぐらいまで伸ばした髪は店内照明により綺麗な輪ができているし、自分に似合う見た目を分かりきっている佇まいだ。
とかなんとか姫野のチェックをして思考時間を稼いだが、無駄だった。
「奴原さんに聞いてみたらさー、懇意にさせてもらうことになりましたって言われたんだよね。クサくんやるじゃん、あのあとやっちゃったんだ?」
と満面の笑みであっさり言われた。
はい、サレンダーである!
姫野以外に誰かが来る様子がなかったため少し早めに店を閉めることにした。姫野には一旦出入り口付近で待つように言い、閉店処理を爆速で行なってから外に出た。秋だが夜は寒い。いや秋はいつも夜が寒いか。店近くの街路樹は銀杏で、最近は毎朝「黄色くなってきたな〜」と思いながら出勤している。
人影はすぐ見つけた。スマホをポチポチやっていた姫野の肩をぽんと叩く。
「待たせたな」
「うんにゃ、今来たとこ」
「いやそれは嘘じゃねえかよ店に入ってきてただろ」
「待ち合わせのカップルごっこかと思って」
「そんな空気出してねえって」
などと記憶にも残らないようなくだらない話をしながら歩き始める。そこそこな時間だが繁華街の方に行けば空いている飯屋はいくつもあるだろう。姫野に何か食べたか聞いてみると夕方頃に具なしナポリタンを食ったのが最後だと言われたので居酒屋を選んだ。酒も飲めるし料理の量を調整しやすい。いや姫野はあんまり飲まないのは知っているんだが、奴原についての話をするのであればこっちにアルコールを恵んでほしい。酒の勢いに助けられたい。
適当に入った居酒屋はほどほどの喧騒にほどほどの客入りだった。二人席に案内されて姫野と向かい合わせに座る。俺のビールと姫野のノンアルが届いて乾杯してから、俺はビールを半分一気にいって向き直る。
「では、奴原の話なんだが……」
「ビジネスシーンみたいな入りだ」
姫野は頼んだ手羽先を割りながら俺に続きを促す。俺は頷き、若干迷うが昔なじみで気心が知れているしなんでも受け入れるタイプの姫野ならと、話し出す。
「奴原が言ったように懇意にさせてもらうことになった、なったんだけど、俺はぶっちゃけワンナイト自体の記憶がない。ラブホで起きたら横に奴原が寝てて俺たちは全裸で奴原曰く俺が突っ込む側だったらしい」
「役満だねえ」
「いやまだ倍満くらいだ、この後に役満になる。ぜんぜん記憶なくて焦る俺を更に焦らせたものがあって、それは……」
「それは……?」
「奴原の右手が、取れてたんだ……」
居酒屋の喧騒が大きく聞こえた。姫野は手羽先を片手に目を丸くしながら、右手、と確かめるように口にした。頷くと頷きが返って来た。手羽先がそっと皿の上に置かれた。
「それは……役満だね」
「いや、まだ三倍満」
「ちょっと待ってよまだなにかあるの?」
「ある。その取れた右手、ラブホ出たあとに、奴原と二人で食べた」
姫野の目がほぼ点になった。わかる、そんな顔になるよなわかるぞ姫野。でもこれで役満すべてが事実、奴原と懇意にすることに決まるまでの一部始終なのである……。
「役満……っていうか……えっ? 美味しかった?」
「美味かった。まだ残ってる、冷蔵庫にある」
「すごい、何から何まで予想斜め上どころか大気圏突入コスモパワーな出来事なんだけど……いや待って、ということは奴原さん今右手ないの?」
「いや、右手食べたら生えてきた」
「えっえっ、意味不明でおもろすぎる。取れたり生えたりトカゲみたい」
なかなか言い得て妙だった。確かにトカゲみたいだ、思い浮かべてみた奴原の振る舞いなどは絶妙な得体の知れなさがあるにはあるから、こう、爬虫類系統ではあるかもしれない。顔はふつうの人間だけど。わりと好みだけど。できれば近いうちにまた会いたいけど。
冷蔵庫にある右手を思いながらビールの残り半分をぐっと飲み干す。姫野も目を点から通常営業に戻し、置いていた手羽先を器用に食べている。ハーブ風味のオシャレなノンアルカクテルはあまり減っていない。手羽先と合わなさそうだ。
二本目の手羽先を割っている姫野が、ふっと視線をこっちに寄越す。
「……取れるのって、右手だけ?」
「あー、いや、色々取れるみたいだったな」
「そうなんだ……」
間を置いてから、
「クサくん、大変だねえ」
と独り言のように付け加えられた。
「まあでもちょっと体が取れるくらいだしな」
なんて二杯目のビールを注文しながら軽く答えたけども姫野が指しているのは別の大変さだった。
そしてそれがわかるのはまだ先だ。
居酒屋には二時間ほどいた。お互いに手羽先やビールなど嗜んで満足し、店を出て駅までは並んで歩いた。俺は駅発着のバスで帰るが姫野は電車に乗っていく。改札前で別れて、俺はバス停に向かった。バスを待つ間スマホで麻雀アプリをしていたが、不意にポンと入った通知に意識を持っていかれて最下位になった。
奴原からの連絡が入っていた。右手の残りがあるなら食べに行きたいというお誘いがメッセージツールの中にいた。
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