初陣
悪い夢を見たなぁ、こわかったなぁ。
そういうことにして、ジュラは切り替えた。
ニコニコと笑い前を歩く没落寸前の令嬢が別の生き物に見えなくもないが、それはそれ。術的契約の下、二人の間には命と等価の主従関係が結ばれているのだ。
それに、再び異能興行の場にアクターとして復帰する手筈を整えてくれるというのだ。多少の異常性癖からは目を逸らそう……多少か? 目を逸らそうにも壁一面だったが……目を瞑ろう。
「そういうことで、とりあえず登録ですね」
エントランスの応接スペースに戻ったレィルは、目にも止まらぬ速さでタブレットを操作する。
異能興行に出場するには、アクターとしての登録が必要不可欠だ。安全管理の都合上、飛び入り参加などの類いは一切認められていない。
また、ある程度の規模の興行に参加するには、クランへの加入が必要になってくる。これは品格の問題だ。クランとアクターは共に名声を勝ち取っていくことで、より高いランクの異能興行に名を連ねることができるのだ。
「アクターネームは……ふんふん……クラン名もですね、はいはい。はい、はいっと。ジュラさん、こんな感じでどうです?」
跳ねるようにジュラの隣へ移るレィル。
「……いいんじゃないか」
画面に一瞥もくれず、ジュラは応えた。
「そうですか。お怪我の具合はどうですか? あ、術式と術核は外付けですけどこちらで用意できます。あとで技術主任に会いに行きましょう」
「できるだけ早く」
「はい。はい、はい。最速だと三時間後、夕方六時からのがあるんですが……地下なんですね。そのあとは……来週とか……」
「地下に出よう」
新設クランが参加できる興行は多くない。大抵は最低グレードの初級興行だが、戦うだけなら地下の試合という選択肢もある。野卑で粗暴が売りの、しかし形はどうあれルーキーの登竜門の一つ。ジュラは迷うことなく、出場を決めた。
◆◆◆
爆睡中の技術主任に会釈して、外付けの術核――ベルト状のアダプターと、手のひら大の長方形をしたデバイス――を拝借。ダンボール一つを持たされたジュラは、いやに暗くカビ臭い控室にいた。
「…………なぁ、これって……」
「変装です」
血の滲んだシャツとジーンズを着替えるついで、メイクで傷跡を隠し、試合着(今回のレギュレーションでは上裸とボトムス、そこに個人での装備品)を身につけたジュラ。彼が愛用していたブランドではないが似た色のジーンズとアダプターベルトという出立ちに加え、頭には目穴を開けたダンボールを被っている。
「これ取っちゃダメ?」
「ダメです」
頑なな態度のレィルは、生地のしっかりとしたあずき色のジャージ。起伏が穏やかで流麗な彼女のボディラインを損なうことなく、ラフな雰囲気を十二分に醸している。
「いいですか。失踪したジュラ・アイオライトが地下の興行に出たら騒ぎですよ?」
「そうだな」
「変に目立って、"イミテレオ"やその仲間がまた観客のいないところであなたを襲うかもしれません」
「それはもったいない」
「なにより、『最近話題の新人が、実はジュラ・アイオライトだった!』、これです。これがいいんです」
「……なるほど。プロデュースすると言っただけはある」
説得を受け入れたジュラ。段ボールの被り具合を確認して、レィルに一つ頷いて、控え室を後にした。
◆◆◆
ひどく薄暗い、坑道のような廊下。ゲートの向こうには、ギラついた灯りと観客たちの雄叫びが渦巻いている。
「……戻ってきたんだ……」
深呼吸。
ここ数年はこういった低いグレードの興行や会場とは縁がなかったが、胸に去来するものはいつも同じだ。
早くこの狭いところから飛び出して、みんなの前に踊り出たい。自分のパフォーマンスで、観客を沸かせたい。ジュラ・アイオライトの全てを使って、ファンの期待に応えたい。
ゲート前のあたりで、スタッフが腕で制する。
「よろしく頼む」
「礼儀正しいね、きみ。それだけでおじさん、ファンになっちゃうよ」
「今日が初試合なんだ。よく見ていてくれ」
「あいよ。しかしまぁ、アンタも奇特な名前をつけるね。さっき挨拶に来たジャージの雇い主のことかな」
「? まぁ、そんな感じ、だろうか?」
「いいね、そういうの」
「?」
◆◆◆
『荒くれ者ども! 血は騒ぐかァー⁉︎』
「「「おぉーっ‼︎」」」
『肉は躍るかァーッ⁉︎』
「「「うぉぉおおおおォーッ‼︎」」」
治安の悪い怒号が、すり鉢状の観客席から放たれる。
酒焼けした声音が心地よい実況の男の煽りにノッて、各々がこれから繰り広げれる異能興行へのボルテージを高めていく。
灯りは天井の巨大なライトと南北それぞれ二つずつ設置されたスポットライトのみ。
黄土色の土を固め、高さ三メートルほどの結界術式が刻まれた木板で囲っただけの簡素なリングには、まだ誰もいない。
熱気と土煙と喧騒で埋め尽くされた空間が、銅鑼の音一つで静まり返る。
『待たせたな、アクターの入場だ! 青コーナー‼︎』
群青の垂れ幕が照らし出された。
『ルーキーキラー! 【
小規模な魔力爆発に彩られ、丸太のような槌を担いだ男が入場する。彼の獣のような雄叫びに、観客もまた期待の咆哮で返す。
「待ってました、ジョー! 俺たちはお前の試合を観にここに通ってるんだー!」
「よっ、ルーキー潰し!」
「ぶっ殺せー!」
……地下興行の一般的な声援である。
なお、アクターたちは殺されるほどのダメージでも死ぬわけではない。健全で安全な死闘なのである。
『見てくれ、ジョーのこの凶悪な笑顔! そう、今日はルーキーが来てくれたのさァッ!』
右額から左頬にかけて走る大きな縫合跡(のメイク)ごと剛直な強面を大きく歪ませるジョー。その見据える先、深紅の垂れ幕にライトが集中する。
『赤コーナー! 純愛の戦士! [外付け]マスクド・ペチャパイスキー‼︎‼︎』
「は?」
抗議と困惑は、観客の大歓声に掻き消された。
「見てるぜ、ペチャパイスキー」
ゲートスタッフが、キザに指を立てる。
「……は?」
立ち止まっていても仕方ないので、とりあえずリングの中央へ。
「ビビってんのか、ペチャパイスキー!」
「変態!」
「ダンボールー!」
アクターネームに対する混乱が、ルーキーらしい緊張だと受け取られたのだろう。観客の好奇がジュラことマスクド・ペチャパイスキーに注がれる。
『【
実況とは違う、淡々とした女性の声がスピーカーから響く。
観客席のうち、特に整ったエリア。そこで馬鹿みたいに指輪をはめに嵌めた浅黒い肌のほどよく鍛えた身体の男が、金の差し歯を光らせながら小さく手を挙げて会釈した。彼が"スインクラブ"のオーナーだろう。
『[外付け]マスクド・ペチャパイスキー。クラン“クアンタヌ”所属。武装は……ふふっ……。失礼しました。武装は通販会社JUNGLEの梱包ダンボール中型、クアンタム製術機関試作術核アダプターベルト及び術式デバイス。オッズは8.56倍です』
オッズは事前に配布されるアクターの資料を受けての観客の賭け金と、運営・クラン・アクターそれぞれの取り分などで決定される。ジュラの受けた8.56倍という評価は、相手がルーキーキラーとして名高いジョー・キャッスルの生け贄へのご祝儀と、普通の大穴狙い、何より――
――“スインクラブ”オーナーと代わり、レィルが立ち上がって礼をした。見惚れるような所作であった。
レィルの容姿に、観客が大きく盛り上がる。彼女が美少女であったこともあるが、特にその平たい胸元が要因だ。新鋭クランの胸の小さいオーナーと、ペチャパイスキーというアクターネーム……純愛、である。――観客は、ジュラとレィルの関係を手放しで応援しているのだ。
「よう、ルーキー。おれのことを知ってるか⁉︎」
「……もちろん。この地下興行で勝率九割七分、数々の引き抜きにも応じずここでの新人潰しに専念する、尊敬に値する人物だ」
「言うじゃねぇか」
ジュラはファンのためここを選んだジョーを心から褒めたつもりだったが、無理もない、ジョーには皮肉に聞こえたようだった。
「何十人、何百人ってルーキーをやってきたが、お前ほどふざけたヤツはいなかったよ」
「俺もそう思う」
「自分には関係ないって態度だな」
「そうだ。ふざけた名前に格好だろうが、こうして向き合ったらそんなの関係ない。勝つか負けるか、魅せるか見下げられるかだ」
「気に入ったッ!」
二人は固く握手を交わし、対戦の規程通り五メートルの間隔を取る。
『両者、術核起動。
『さァーッカマしてくれ二人ともォー! レギュレーション・ノーマル、Ready――』
ゴングが鳴り響く。
同時、ジョーによる槌の大振り。ジュラの頭を狙った横薙ぎだ。
それを読んでジュラ、低い姿勢の突進で回避と接近を両立させる。
「やるな……だが!」
急制動。魔術ではなく、純粋な膂力のみで、遠心力が乗ったティタノハンマーの軌道を返す。柄でジュラを払う魂胆だ。
ジュラの判断も早い。柄とはいえ木の幹ほどあるそれの威力を即座に判断し、スピードが再び乗る前に左手で押さえる。結果、一合目では無理をしたジョーの劣勢。完全に止められてしまったハンマーを緩やかに戻し、肩に担いだ。ルールにはないが、視線を交わした二人の間で、仕切り直しと合い為った。
「マスクド・ペチャパイスキーと言ったな。ただのルーキーじゃないらしい……もう一度握手を頼めるか」
「ジョー・キャッスル。あなたほどのスターに認められるとは光栄だよ」
爽やかな言葉を交わし、互いの手を叩く勢いでの握手。
力と技が折り重なった第一接触の興奮が観客たちの腑に沁みたころ、大歓声が沸き上がった。
「やるなルーキー! おれぁお前に賭けてんだ、しっかり頼むぞー!」
「ジョーの一撃目を耐えたルーキーはアイツで三人目だろ……今度こそジョーがルーキーに負けるのか⁉︎」
「バカ言うなよ。それを言うなら、ジョーの二発目を凌げるアクターが何人いるって話だよ」
「ジョー! ジョー! ジョー!」
一連の攻防を受けて、観客はなおジョー優勢が多い。彼らは知っているのだ……ジョー・キャッスルという男が、二度目の攻撃で必ず勝利する怪物だということを。
「……大した人気だな」
「当たり前だ。おれはここでデビューして、ずっとここで戦ってきたんだからな」
「羨ましい限りだよ、スターアクター」
「ふん。お前もいずれそうなるさ」
どちらともなく手を振り払い、再び距離を取る。
一呼吸置いて、一際強く土煙が舞った。
「【
叫びと共に振り上げられた無骨な槌に、ジョーの右腕から走る光のラインが伸びる。
魔術を付与された、ジョー・キャッスルの代名詞である必殺技。
二撃目の勝利を決定付けてきたそれをよく観察しようと、小さく距離を取ろうとしたジュラ。しかし、身体が思うように動かない――なぜ死ななかったのかわからない傷跡と全身の痛み、檻での生活のブランク――運足を諦め、手で受け逸らす方向に意識を切り替える。
あらゆるものは、ただ触れただけでは問題ない。衝撃や熱が伝わり始める前に離れればよいだけだ。それよりも速くこちらからエネルギーを与えてやれば、軌道を変えることも容易い。ジュラ・アイオライトはいつもそうしてきた。
チッ、と弾き擦れる音がして、ティタノハンマーが横にブレた。それにつられて、予期せぬベクトルにジョーの巨体が揺れる。
「
驚愕ではない。ジュラの絶技を飲み込めずとも、事実を受け止めたジョーは、しかし笑みを浮かべた。強敵との出会いと、勝利の確信からの笑みだ。
「!」
倒れ込まんとするジョーを見送るジュラ。その目の端に映ったのは、石くれのようになって崩れていく自分の手だった。
「さすがだ、ジョー・キャッスル……!」
予断なく、ジュラは肩から左手を切り落とした。魔力を体内で炸裂させ自爆する、高等技術である。
どこからともなく取り出したデバイスを、くるりと手のひらで一回転。澱みなく、腰に巻いたアダプターに挿し入れる。
[《
冷徹な電子音。
一拍置いて、ジュラの翳した右手から莫大な魔力が放出された。
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