一目惚れ
「こちらになります、レィル・クアンタム嬢」
慇懃な奴隷商に案内されるまま、血とカビの臭いがこびり着いた薄暗く狭い階段を降り、ワンピースタイプのドレスを纏った令嬢レィルは、目当てのものを見つけた。
「……ジュラ・アイオライト――ですか……?」
震える声で問いかける。
脱走など想定していないような体裁だけの檻の中、左脇腹を包帯で固く覆ったジュラ・アイオライトは、少女の声に鋼鉄めいた視線で答えた。
「あ、あの……わたし、クアンタム製術機関の一人娘、レィル・クアンタムです」
「………………」
無口な男だが、話に耳は傾けているようだ。レィルは小さな手をキュッと握り、続ける。
「あなたを、買います」
「よいので? この男は……」
「よいのです」
奴隷商からの心配を振り解くように、レィルは小切手を差し出した。
「スレッド氏。ジュラ・アイオライトに好きな値をつけなさい」
「……そう申されましても…………」
そう言い淀む奴隷商の意識は、かろうじて檻と呼べなくもない鉄柵と、その中に座り込む凄烈な獣に向けられた。
「この男に値段はつきません。この通り、ワタシとしちゃ脱走も構わないという風でして……」
「つまり?」
「レィル嬢が望み、この男が応えるなら、売買は成立ということです」
「そう」
レィルは頷いて、薄い胸元から財布を抜き出すと、数枚ある黒いカードのうち一枚を奴隷商に手渡した。
「なッ……」
「言ったでしょう。言い値で買う、と。世話になりましたね、スレッド氏」
「お待ちください、レィル嬢!」
「あら。まだなにか?」
「一応規則ですので、奴隷――
「奴隷?」
「いえ……ジュラ・アイオライトとの術的契約を結んでいただきたく……」
「失礼しました。あぁ、いえ、魔具は必要ありません。わたしの術式は契約術も扱えますので。……ジュラさん、よろしいですね?」
「………………」
ジュラは相も変わらず無口なままだが、彼の弛緩した雰囲気を受けて、レィルは了承と取る。
「では。――《
レィルの細い手先から溢れた光芒が、朧げながら鎖を象って、ジュラの胸に刺さった。
◆◆◆
ジュラ・アイオライトはアクターである。
さまざまな環境・状況において、鍛え上げた肉体と磨き上げた技術、積み重ねた魔術を競う”異能興行”の闘士――アクター。彼らを抱えるクランがコロシアムに客を招き、
……半年ほど前。
クラン”イミテレオ”のクラン代表ナゾラ・イミテは激昂していた。
「ジュラ! キサマ、今度という今度は――」
「――やるわけないだろ、八百長なんて」
「キサマは”イミテレオ”のメンバーだろうが! 俺に従うべきだろう、違うか⁉︎ ……いいか? お前が何気なく勝った相手はな、”ホップログ”が推そうとしてたニュースターだったんだ! 『マグレとはいえデビュー戦でジュラ・アイオライトに勝利した』、その箔を付けてやらねばならんと、しっかり言い含めたはずだ!」
ナゾラの怒声に、今日の試合を終えた”イミテレオ”のアクターたちのほか、隣々の控室を利用していた他クランも集まってくる。
「……八百長で一度俺に勝って、その次はどうするんだよ」
「自信がつくだろうが!」
「実力もないのに?」
「キサマ、ジュラ・アイオライトッ!」
ナイフを腰溜めに構えて躍り出たのは、話題に登っていたスター候補だった。肉体も魔力も、その殺意さえも凡百な、特に語るべくもない男である。
先の試合、彼のオッズは上級興行(通常の興行のうち、上から数えて二番目のグレードである)でも異例の30.66倍。これは上級興行でも稀に見る、久々に顔を出した故障ロートルなどが受けるような評価であり、無名の新人でも五倍……ジュラが相手でも八倍が相場である。屈辱だっただろう。
「……気の毒に」
彼ほどではないが、分不相応な推され方をされたアクターを、ジュラは嫌になるほど見てきた……その末路も。
なにより、ファンに失礼だ。観客に失礼だ。興行に失礼だ。この男もだが、八百長を持ちかけてきた“ホップログ”も、それを受けた“イミテレオ”も。ジュラは、怒りや呆れより、憐憫をこそ胸に抱えた。
「殺してやる!」
ひどく直線的な、素人同然の突進。
しかし、ジュラは避けられなかった。
「…………」
「やった……!」
ナゾラの歓喜。
「これは……」
「ひひっ……。魔剣だよ……『
とはいえ、刺さったのは左脇腹だ。致命傷を与えないとしても、ほぼ致命的ではある。魔術が帯びる制約に向き合った、良い奇襲であると評価せざるを得ない。
鮮血を滴らせながら、熱いものが引き抜かれた。ダメージに気を取られた隙に、二度、三度と外付術式の解除されたナイフが突き立てられる。
「……それがどうした」
四度目を、ジュラは男の手首を捻り上げて防いだ。傷口は魔力で覆われ、命が零れ落ちることもないだろう。アクターは、生半可な致命傷では倒れない。
「化け物……っ」
「普通だよ、このくらい」
軽い音を立てて落ちたナイフを向こうへ蹴り飛ばし、ジュラは――二人目は“イミテレオ”のアクターだった。意識の間隙を突く蛇のような動きで、奇怪な形の魔剣を、ジュラの傷口に寸分違わず差し込んだ。
「⁉︎」
油断ではなかった。《
爆ぜる剣先。吹き飛ぶ五キロの血と肉と骨。これが興行ならば
「…………いい奇襲だ、トリア。興行の場で喰らいたかったよ……」
不敵に笑うジュラに、一同は小さく悲鳴を上げる。
意識がある。立っている。ジュラ・アイオライトは、どういうことか生きている。
「てめぇのそういう態度が気に食わねぇ!」
その中で、トリアだけが戦意を保っていた。
二度目の爆発。ジュラ・アイオライトは倒れない。
「畳みかけろザコども! いまなら、その手でジュラをやれるんだぞ⁉︎」
狂奔だった。
トリアの喝破に、みな応えた。
――総勢二十七名による数分間の攻撃を無抵抗で受け続け、挙句固有術式を刻まれた擬似臓器を略奪されたジュラは、最後に告げる。
「残念だ……。俺と"イミテレオ"の術核争奪戦、さぞ盛り上がったろうに――」
驚怖。畏怖。恐怖。
静けさの中に、ただそれだけが渦巻いた。
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