15
西暦二〇二五年
こちらから仕掛けた戦いを収めるのは難しい。だが、計画通りに事が運んだのは最初の一撃までだった。さるのばけを誘い込むため、エントランスロビーに描いた地雷リングの真ん中で相原が雄叫びを上げたのは外山婦人のアイデアだ。それから五分と経たないうちにサルは姿を現した。ナックルウォークで悠然と、タイトルマッチの挑戦者めいて破壊された玄関をくぐり、リング入りしたのだ。機械の怪物と生身の怪物はそのまま、しばし相手の隙を窺い続けた。
仕掛けたのは相原だ。
突如、サルが自分の両目を抑えて仰け反った。レーザーが網膜を焼いたのだ。観衆がそれと気づいた時、相原は既に怒涛の勝どきを上げて突進していた。サルは後ろへたたらを踏み、破裂地雷を踏み抜いて咆哮する。倒れこんだのも地雷の上だ。体表が弾け飛ぶ。
相原が何か叫んだ。勝利を見たのかもしれない。
電強外殻の右手を勢いよく振り上げ、悶絶するサルへ諸刃の大剣を叩きつける。野々村が改造作品を自室へ飾るにあたり、装飾品として特殊鋼を加工した模造刀だった。刃が研がれておらず、綺麗に切断することはできないかわり、重量をエッジに乗せて斧のように潰し切ることができる。
おそらく相原はサルの首を狙った。だが大剣の一振りは、それをかばったサルの右腕を肘の先から切り飛ばした。一度は床へ転がり、しかしすぐ本体を目指して這い出した切断部位を焼く役目は鮠川に与えられていた。携帯式の高圧洗浄機にガソリン入りポリタンクを組み合わせて作られたこの武器は実際には火炎放射器というより、鉄パイプの銃身に添えられたホース先端から少量のガソリンに着火して対象へ吐き掛ける「ファイアスピッター」か「火炎水鉄砲」とでも呼ぶべき簡易装置だ。だが野々村が即席でつけた分度照準器はかなり正確で、鮠川の撃ち出した炎の唾液は綺麗な放物線を描いて対象へ命中した。炎に包まれたサルの右腕は自切したトカゲの尻尾のように激しく蠢き、焦げ付き、やがて動かなくなる。
「よし!」
叫ぶ相原。直後、身を起こすなり体当たりを仕掛けたサルに弾き飛ばされ、地雷原へ仰向けに倒れこんだが、装甲はびくともしないらしい。火花と破裂音、煙の中から、
「行けるぞ鮠川君ッ、この繰り返しだ! 一気にやるぞ!」
だが、そこまでだった。
ふわり、と鮠川の視界の隅で、黒い羽のようなものが舞った。
サルの腕の焦げた表皮だった。表面の薄皮一枚が灰のように軽くめくれ、風もないのに細かい破片となって舞い上がっていた。
そしてその下には、やはり染み一つない新しい表皮が用意されているのだ。切断面のみ肉々しい赤みを保ち、新品の腕は今軽やかに歩き出す。指を五本の脚と使い、朽ち木の上で交尾相手を見つけたザトウムシのようにリズムよく、うきうきと本体を目指す。
「相原さん!」
鮠川は思わず叫んだ。相原も横目に腕を確認したらしい。だが、慌てて跳ね起きたところに再び体当たりをくらい、リングの外まで飛ばされた。地雷原の真ん中にサルは立ち上がる。勿論、破裂地雷で損傷した体表も既に修復を終えかかっている。
「燃やせ、鮠川!」
相原の指示を受けるまでもない。鮠川は二発、三発と炎の唾液を飛ばす。だが腕は器用に、まるで見えているかのように、ひょい、ひょい、と炎を避けて本体へ突き進むのだ。
「……そんな、馬鹿な」
そう言うしかなかった。自分たちの相手にしてきたこの化け物を通常の動物と考えたことはなかったはずだ。だが滑稽とすら言える腕の動きを目の前に、鮠川は自分たちが全く見当違いの方向を見ていたのではないか、と確信し始めている。
本体の足元まで来た右腕はくるりと向きを変え、切断面をサルへ向けて後退した。たちまち体を這い上がり、切断面と切断面を触れ合わせると互いに繊維組織を放出して絡ませあい、癒着する。
いとも簡単に腕は再生した。それだけでない、
「クソが!」
再び殺到した相原の腹部へ一撃を叩きこんだ右の拳には、硬質な鱗のようなものが認められた。外殻の装甲が凹むのを鮠川は見た。
レーザーの光点がサルの体表を滑って両目を射抜く。サルは怯み、だが、それだけだ。眩しそうに眼を瞬かせ、レーザーから逃れようとはするものの最初ほどの反応は無い。苛ついた唸り声を上げる。
「どういうことだ!」
相原が叫ぶが、鮠川にわかるはずもない。
機械のサルと生身のサルがひたすらにどつきあう。互いに地雷を踏み抜いて火花を散らし、振り下ろし、躱し、掴み、ほどき、一瞬の隙を突くべくどちらも決して相手から目を逸らさない。
「相原さん、一端退却だ!」
ロビー奥の非常階段から顔を出した野々村が叫んだ。外山婦人と彼はいざという時のためにそこで待機していたのだが、二人が実際に活躍する場面などこの先ありそうもない。
「長期戦に持ち込まれれば、電池パックが持たないよ!」
「馬鹿野郎、今背中を向けたら一発でやられちまう!」
「鮠川君、銛を打つの! 逃げる隙を作って! まだ電撃には耐性が無いはずよ!」
外山婦人が言うのは金属製〝さすまた〟を流用して電源に繋いだ雷撃銛だ。貧弱な構造ですぐ壊れるだろうが、無いよりましだろうと少し離して置いてあった。考えている余裕は無い。スピッターを下し、鮠川は銛へ駆け寄る。右手に銛、左手に持ったコードドラムから電源ケーブルを繰り出しつつリング脇へ駆ける。
地雷はほぼ全て破裂済みだ。だが、激しく動く二体を前に、生身の彼がこれ以上接近して銛を繰り出すなど到底そうにできない。
「くそっ」
押され続ける相原が叫んだ。
「どうすれば倒せるんだ!」
それこそが今、皆が生き残るために解くべき謎だった。
その時だ。やけくそに振るった老人の大剣を、いつの間にかより硬質化したサルの右腕が弾き飛ばし、その切っ先が鮠川へ向かった。
「危ない!」
叫んだのは野々村か外山婦人か、相原でないことに間違いはない。
鮠川は目を瞑った。脳裏に一瞬、珠子の顔が過ったようである。
だが大剣の突き刺さる感覚は無かった。衝撃はあったもののその正体が猛烈な体当たりで、それを受けて弾き飛ばされた自分自身へ気づくまでにかなりの時間を要した。
「どうして……」
目の前に、腹を大剣に貫き通されてよろめくサルがいた。
「やっぱりそうなんだわ!」
奥から叫んだのは外山婦人だ。
「その怪物は、食べた相手の動機を受け継ぐのよ!」
「なんですって?」
「馬鹿野郎、ぼやぼやするな!」
怒鳴った相原がサルへ突進する。大剣の柄をつかむとサルの腹へさらに捻じ込み、力の限り押し続けた。そのままひた走って相手を壁へ串刺しにする。コンクリートの小片が飛び散り、サルが吼えた。
「相原さん、どいて!」
いつの間にかスピッターを担いで鮠川の横まで来ていた外山婦人が、相原が身を翻すのと同時、展翅された怪物めがけ炎を唾を吐きかけた。胸部に引火したサルが叫ぶ。なおも絶え間なく撃ち続ける婦人へ駆け寄った相原が、
「貸せ!」
スピッターを奪い取る。ホースとの接続部分を引き千切って燃料タンクを投げつけると、サルは一瞬で炎に包まれた。絶叫が館内にこだまする。野々村も駆けつけ、四人揃って燃え盛るサルを眺める。
だが見れば、燃料の燃え尽きた部分で既に再生の気配があるのだ。
「手短に話せよ、ばあさん」
相原が外山婦人を見た。
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