第6話 白雪さんの手料理

 僕が住んでいる、築十年の賃貸マンション。間取りは1LDK。家賃は7万8千円で、この辺りだとまあまあ高い方らしい。


 でも年収が下がってしまった今、本当は引っ越した方がいいんだけどね。だけど大学を卒業して漫画専門の編集プロダクションに入社してから、ずっとここに住んでいて。なんというか、住み慣れてしまったし、正直、引っ越しが面倒くさいというのが実のところだったり。


 そして今日も一日の仕事を終え、ようやく自宅へと帰ってきた。

 一人の可憐な女子高生を連れて。


「白雪さん、我が家へようこそ」


「わー、男性の一人暮らしのお家に入るのなんて初めてです。いいなあ。私、一人暮らしに憧れてるんです。少女漫画の設定で、結構多くありません? 女子高生が一人暮らししている作品って」


「うん、確かに多いかな。両親と一緒に住んでいるよりも、一人暮らしをしている設定の方が色々と自由にキャラを動かせるしね。それよりも白雪さん! 晩ご飯! 早く晩ご飯を! じゃないと僕、このまま飢え死にしちゃう!」


「あはは、大げさですよ響さん。あ、でもお腹が空いているのは本当ですもんね。任せてください、ササッと作っちゃいます。それでは、お邪魔しまーす」


 これがもしR18的な漫画だったら、家に連れ込むと同時に、僕は白雪さんを押し倒してほにゃららしたりするのだろうなあ。でも、もちろんしない。そんな展開はない。期待した皆んな、現実と漫画の区別はつけような。お兄さんとの約束だぞ!


「ええ……」


 玄関に足を踏み入れたところで、白雪さんは溜息とも落胆ともとれる声をもらし、その場に立ちつくしてしまった。呆然と。唖然と。まあ、なんとなく予想はしていた。こういうリアクションになることは。


「どうしたの、白雪さん? ほら、玄関で呆然としてないで早く中に入りなよ」


「呆然としますよ! 響さん! なんなんですかこの廊下と部屋!」


「なんなんですかって、見ての通りだけど?」


「見ての通り、じゃないです! どうしてこんなに散らかせるんですか! 響さんはしっかりしてる人だと思ってたから、私、ガッカリですよ!」


 そ、そんなに怒らなくても……。確かに玄関から伸びる廊下から、その先に見えるリビングまで、辺り一面に漫画や雑誌やよく分からない物が散らばっている。でもこれは昔使っていた資料なんだ。ゴミを放置しているわけじゃないからいいんだよ。


「あーもう、漫画が可哀想。お家も可哀想」


 一冊一冊を拾い上げ、少しずつ足の踏み場を作っていく白雪さん。


「いやいや白雪さん、これはね、全て計算されつくされた配置に基づいているんだよ。ちゃんとジャンル別に固めてあるんだ。ただ散らかしているように見えるかもしれないけど、決してそうではなくて」


「いいから、響さんは早くシャワー浴びてきてください! 私はその間にお片付けしてますから! もーう、なんか響さんに幻滅しちゃましたよ……」


 文句を言いながらも、白雪さんは一冊一冊丁寧に本棚の中に漫画をしまっていく。その後姿を見て、僕はちょっと冷静になった。女子高生に何をやらせているのだ? お片付けをさせているのだ? そもそも、幻滅って?


「あ、そうだ」


 洗面所のドアを閉めて服を脱いだところで、ふと思い出す。あ、アレのこと忘れてた。先に言っておかないと大変なことになるな。僕はドアを開けて半身だけ出し、白雪さんに声をかけた。


「白雪さん、窓際に固めてある漫画はエロいやつだから触らない方が」


 リビングには赤面している白雪さんがいた。


「もう遅いですよ! 見ちゃいましたよ! なんなんですか、この過激な表紙イラストは! この辺りの漫画は私、触りませんから! 自分でちゃんと片付けてくださいね! もーう、私まだ十七才なのにぃ……」


 うん、遅かったか。


 *   *   *


「おおすごい、床が見える」


 そんなに長い間シャワーを浴びていたわけでもないのに、戻ってきたら部屋はすっかり片付いていた。白雪さんは一仕事終えた顔で、「ふーっ」と額の汗を拭っている。悪いね白雪さん。こんなオジサンの部屋を片付けさせてしまって。


「すごい、じゃないです、感心してどうするんですか。床が見えるのが普通なんです。それと、これからはちゃんと、読んだ漫画は本棚に片付けなきゃダメです。子供の頃に習ったでしょ」


「だって、仕事で疲れちゃって。それに面倒くさいし」


「だってじゃないです。疲れてても面倒でも、普通は片付けるものなんです」


 あー、白雪さん本気モードでぷんぷん怒ってる。しかし、まさかこの歳になってお説教されるとは……。しかも十七才の女子高生に。ちょっと情けないな。


「さて、と。じゃあ晩ご飯の準備始めちゃいますね」


 言って白雪さんはよいしょと腰を上げ、そしてとことこ台所へと向かった。僕のお腹は空ききってしまい、お腹と背中がくっつくぞ状態である。


「あ、響さん。冷蔵庫の中開けさせてもらいますね」


「うん、どうぞどうぞ」


 冷蔵庫を開け、中を確認した後、白雪さん再び唖然。


「うそ……。え? なんですかこれ? え? これも? これも?」


 ひとつひとつ冷蔵庫の中身を確認しては、漏れ出る白雪さんの言葉。そして顔に出ている驚愕に近い感情。信じられないと言ったところだろうか。


「ひ、響さん? これ、ほとんど賞味期限切れてるんですけど……。って、うそ!? これの賞味期限、三年前!? え!? これは五年前!?」


「そうだね、年代物って感じ」


「年代物って……お酒じゃないんですから。ダメだこれ、使える物がほとんどない」


 ああ、ついに白雪さんが冷蔵庫の前でへたれ込んでしまった。


「あのー、響さん? ちょっとお訊きしてもいいですか? この前ファミレスで会って私に漫画のこと教えてくれていた時とキャラ違いません? あの時はすっごくしっかりしていて、すごいなあって思ったんですけど」


「ああー、それはそうだよ。あの時は編集者モードというかお仕事モードというか。プライベートではこんな感じ。全部適当でさ」


「……ちょっとダッシュで買い物してきます。それまでに! この冷蔵庫の中を整理しておいてください! と言いますか、全部捨ててください!」


「えー、面倒くさいよ。ていうか、白雪さん。買い物に行かなくて大丈夫だよ。やっぱり今日はカップ麺で済ませるから。さすがに申し訳ないよ」


 その言葉を聞いて、僕の眼前まで来て、腰に手を当てて白雪さんは仁王立ち。も、ものすごい圧を感じるんですけど。


「面倒くさいとか言わないの!! あとカップ麺禁止!! 体壊しちゃったらどうするんですか? 今は肉体労働のお仕事ですよね? もっと自分の体を労ってあげてください。買い物なんてすぐに終わりますから、それも気にしないで」


「は、はい……」


 あ、これマジ切れしてるや。顔がめちゃくちゃ怖いんですけど。怒髪天。


 でも、その言葉から伝わってくる、白雪さんの優しさ。僕はそれを十二分に感じることができた。そこまで僕の体を心配してくれているんだ。


 やっぱり、白雪さんは救いの女神様なのかな。


 *   *   *


 あれから、白雪さんは食材の買い出しを済ませて戻ってきた。ものすごい速さで。本当にダッシュで行ってきたようだ。息が荒い。


「はあ、はあ……只今戻りました」


「し、白雪さん、大丈夫? ごめんね、無理させちゃって」


「だ、大丈夫です。体力には自信ありますし。少し休んだらすぐに作っちゃいますね。響さんのお腹も空き切って限界でしょうし」


 全力でダッシュをさせてしまい、その上、晩ご飯まで作らせてしまう。これ、後でちゃんとした形でお礼をしなきゃいけない。絶対に。


 *   *   *


 白雪さんの手際はとても良かった。


 トントンとリズム良く、包丁で食材をカット。そして買ってからほとんど使ったことがない新品同様のフライパンでお米を炒め始めた。お米に色が付き始めたところでハムと卵、そして鮭フレークを投入。あっという間に金色の鮭チャーハンが出来上がった。ありがたやありがたや。


「すみません、本当は汁物も作りたかったんですけど。だけど、それよりも早く響さんの空腹を満たしてあげないと、と思いまして」


 そして、完成したチャーハンをお皿に盛り付ける。香ばしい匂いが、僕の空腹と食欲を加速させた。あー、手料理を食べるのなんて何年ぶりくらいだろう。実家に帰ったときに母親に作ってもらって以来だから、たぶん一年振りくらいか。


「お、美味しい!!!! 美味いよ白雪さん!!」


 テーブル前に着席するや否や、僕はチャーハンにがっついた。美味い。味付けは塩コショウと香り付けの醤油だけなはずなのに、何故か味に深みがある。この子は天才か? 白雪さんをお嫁さんに貰った人は幸せだろう。これだけ美味しいご飯を毎日食べられるのだから。


「えへへ、美味しいって言って食べてもらえるの本当に嬉しいです」


 僕が夢中でチャーハンを食べる様子を、白雪さんはニコニコしながら嬉しそうに眺めていた。ちょっと前はお怒りモードだったのに。


 そして僕はあっという間にチャーハンを平らげた。僕の胃袋は満たされ、仕事で疲れた心もようやく落ち着いた。あー、なんて幸せなんだ。


「ごちそうさまでした」


 両手を合わせて、たくさんの感謝の気持ちを込めて言葉にする。やっぱり白雪さんは救いの女神様だったのだ。


「いえいえ、お粗末様でした。簡単なチャーハンですみません」


「すみませんだなんて、そんなことないよ。すごく美味しかったし、すごく嬉しかった。白雪さんってよく料理するの?」


「そうですね、料理はほとんど毎日してます」


「そうなんだ。いやー、本当に美味しかった。これなら毎日でも食べたいくらいだよ、白雪さんの料理」


「えへへ、そう言ってもらえると作った甲斐があります。嬉しいです、そんなに褒めてもらえて」


 照れ照れしながら、笑顔で頭をぽりぽりとかく。あー、本当に可愛い。なんだろう、この魅力的な笑顔は。ずっと見ていたくなってしまう。


「それにしてもさ、白雪さん。どうしてこんな所に、そしてこんな時間にいたの? ここって初めて会ったファミレスからだいぶ距離があるんだけど」


 僕の問いかけた疑問に、ドキリとしている。顔に出やすいなあ、白雪さん。


「あ、そ、それはですね……と、友達! 友達の家に遊びに来てたんです! ほんと、偶然ってあるんですね。まさか響さんとまたお会いできるなんて思っていませんでした。偶然。ほんと偶然ですね」


 いやいや白雪さんよ。目が泳ぎまくっているんですけど。絶対に嘘ついてるね、これは。でも、これ以上詮索するつもりはない。言いづらいこともあるだろうし。


 でもこの再会が、僕、それと白雪さんの運命を変えることになる。


 それこそ、漫画のように。



 『第6話 白雪さんの手料理』

 終わり

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