第8話 一宿の恩義 ACT3

どれくらい時間がたったのだろうか? 俺はふと目を覚ました。そして自分が繭に抱かれて寝ていることに気が付いたのである。


「ああ、俺……あのまま寝てしまったんだ」と少し頭が痛かったがそれよりもだ。

俺の腕の中では繭がまだすやすやと寝息を立てていたのだった。その寝顔はどこかあどけなく、まるで子供のようだった。


「繭……」そう名を呼び彼女の髪をなでると彼女は「ん」と言って少し体を動かした。しかし起きる気配はなかったようだ、そんな姿もやはり子供のようだった。

「繭、お前……本当に寂しいんだな」と思わず俺はそう言ったのだ。そしてさらに彼女の頭をなで続けたのだった。


すると彼女はまた少し体を動かしたかと思うと、今度は俺に抱き着いてきたのである。

その行為に俺は一瞬ドキリとしたがすぐに冷静になった。きっと寝ぼけているんだろう。そう思ったからだ。しかし次の瞬間、俺の心臓は止まりそうになったのだ!  なんと繭は俺の胸に顔をうずめて匂いをかぎ始めたのであった。


「や、やめろ」と俺は思わず言ってしまった。しかし繭はやめるどころか……さらに顔を俺の胸にすり付けてきたのである。


その行為に俺の中で何かが生まれた瞬間だった。そう、それはまさしく母性だ。

俺はこの子を守ってやらねばなるまい!  そんな思いが一気に俺の体を駆け巡ったのである。そしてその思いはすぐに行動になったのだ。そして気が付いた時には、俺は彼女の頭を優しく撫でていたのだ。


「よしよし」と言いながら何度も何度も撫でたのだ。すると繭はますます俺に甘えてきたのである。

まるで猫のようである。


「繭、お前は俺が守ってやるからな」と俺は思わず言ってしまった。そしてさらに強く抱きしめたのである。

すると繭はそれに反応するかのように俺の胸に顔をすりつけてきたのだった。その仕草がまたも母性をくすぐり……俺はもう我慢の限界だった!


「ああ、繭!」そう叫ぶと俺は彼女の唇に自分の唇を重ねたのである。と言うのは俺の妄想である。だが本当は危なかった。


次の瞬間、彼女は目をパッチリと開け俺を見つめたのだった。

「ま、繭……起きたのか」俺は焦りながらもそう言ったのだ。すると彼女はトロンとした目で俺に言ったのである。


「山田さん……」とそしてまたも俺の胸に顔をうずめてきたのだった。

「お、お前寝ぼけてるのか?」俺がそう言うと繭はこう答えたのである。

「私、山田さんが好き!」と。


その言葉に俺は一瞬ドキッとしたがすぐに冷静になった。きっとまだ寝ぼけているのだろうとそう思ったからだ。


俺の事が好き? おいおい、昨日の夜に出会ったばかりなんだぞ、それにこんなおっさんが好きだなんて……まぁていのいいジョークだよな。

よっぽどいい夢でも見ていたんだろうに。


まだねぼけ眼でボーとした顔している繭。寄り縋る体をそっと放し布団へと寝かせた。するとまたスースーと寝息をすぐに立て寝入ったようだ。

時計を見ると8時を回っていた。やべ! と思ったが、今日は土曜だったことを思い出す。


「なんだ休みだったか……」思わず口にしていた。

それにしてもこの状態で会社に行く気にはなれない。まぁ平日だとしてもたぶん仮病でも使って休んでいたかもしれない。


さて、少し早いが大家のところに行って部屋の鍵を借りてこないと。

そっと静かに部屋を出て俺は大家のところに向かった。


大家の家はアパートのすぐ近くにある。朝早くにも関わらず大家さんは快く鍵を差し出してくれた。ちょうど、俺の部屋の鍵にはスペアのキーがあるったのでそれを受け取ってようやく我が自宅へと戻ることが出来たのである。


部屋に入るとたった一晩しかいなかっただけなのに、何か新鮮な気分に浸っていた。

ようやく戻れたという安心感がそうさせていたのかもしれないな。


サッシを開けベランダへ出て、昨日から着たままのスーツのポケットから煙草を取り出し一本を口にくわえ火を点けた。

思えば夕べは一本も吸っていなかったからなんと煙草の美味い事。

ああ、ほっとした充実感に満たされていく。


そしてふとベランダの間仕切りに目がいった。

ああ、そうだ大家のところに行ったんだったらついでに言えばよかったかな。片方の間仕切り壊れていたんだった。

そう、夕べ俺がお邪魔していた繭の部屋側の間仕切りが取り外し自由な状態になっていたのだ。


間仕切りの板を外せば俺の部屋と繭の部屋のベランダは一体化する。つまりだサッシの鍵が開いていれば出入り自由ということである。

これはちょっとまずいかもしれないな。


やっぱ大家に言うべきだろう……けど、まぁ見た目、間仕切りにはなっている。……また今度にするか。どうもまた大家のところに行くのも気が引けていたからである。


まぁともあれ自分の家に帰れたということで安心感に満ち足りている。


しかし、そんな気分を破壊する電話がスマホにかかってきた。

「もしもし」と電話に出るとそれは部長からだった。


「山田さん? 良かったようやく連絡取れましたねぇ」と部長の声が聞こえた。

俺は思わず時計を見た、まだ9時じゃないか? と思いながらも「家ですけど……」と答えたのだ。すると部長はこう答えたのだった。


「実はですね、ちょっと問題が起こりまして」と……。

俺は一瞬耳を疑った。そしてすぐに聞き返したのである。

「あのぅ今日は土曜で会社休みじゃなったですか?」と。

「そうなんだけどね」と部長は答えた。


そしてすぐに繭の事が頭に浮かんだのである。

「ま、まさかな」と思わず独り言を言ってしまった。しかしだ……もしそうだとしたら?  俺は少し考えたが答えは出なかった。

夕べのことがもう会社に通報されていたんじゃないだろうな!

あの輩と喧嘩したことか?


……も、もしかして繭と……したの誰かに見られていたのか?


「あのね山田さん……ううん山田君」

「ええっとなんでしょうか部長……」

部長が俺の事をくんずけで呼ぶときは、私情が大幅に絡んでいることが多い……のだ。


「問題と言うのはなんでしょうか?」

「……あ、新たなプロジェクトについてですけど……ね」

「新たなプロジェクト……ですか?」

「そ、そうなんですよ」


「仕事の話ですか……」と、まぁ私情を挟まないようにと!

「ん、まぁそうなんですけどねぇ……仕事と言うか……その、なんと言うかねぇ」

まったくもって歯切れが悪い。


雨宮マリナ。俺の所属する企画推進第2課と3課の部長。2か月前にアメリカの姉妹会社から移籍してきた。なんと34歳で俺たちの課の部長職を行っている。


前任の部長、大垣大輔おおがきだいすけ部長には目のかたきのように俺は仕込まれていた。大垣部長が仙台支店の支社長に抜擢され転勤するのだと聞き喜んでいたが、やってきたこの雨宮部長もかなりのくせの強い上司である。


特にこの俺に対しては攻撃と言うべきか、俺に集中砲火を投下するようなことはないが……別な意味で、非常に厄介な人であるのは事実なのだ。


「山田君。今日私に付き合いなさいな!」

「なんですかいきなり。部長と今日付き合う事と新規プロジェクト、何か関係があるんですか?」


「うん、大ありよ! だって……私と山田君との愛を築き上げるプロジェクトなんですもの!!」


マジかよ!

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