第6話 一宿の恩義 ACT1
コンビニからの帰りは何と言うか、妙な距離感と言うのだろうか? 何かを俺は意識しているような感覚でいっぱいだった。
俺の横を一緒に歩く繭。その距離は遠からずされど近かれず、微妙な距離感。本人は何も気にしていないようだが、着ているパーカーの胸元を押し上げるかのように膨らんでいる部分がなんともなまめかしい。
俺、この子とキス……したんだ。
キスなんてほんと何年ぶりなんだ。キスもしたことがねぇとは正直言わねぇ。数年前、こんな俺にもれっきとした彼女は存在していた。
まぁなんだ普通……な、彼女とはその……キスとは……そりゃなぁ。童貞という訳もねぇし。
だからその……経験がないわけじゃねぇんだ。そう言う行為をしたのは。
「どうしたの? 山田さん」
繭が俺の顔をのぞき込むようにして聞いてきたので俺は慌てて平静を装うと、何でもねぇよと言ったのだが、俺の様子がおかしかったのだろう。彼女はまたクスリと笑ったのだ。
「もしかして私の唇の感触を思い出してたとか?」
「な!」
図星だった。いや別にやましい気持ちがあるわけじゃないんだけど。
「あはは、山田さん可愛い」
「か、からかうなよ!」
俺は思わず顔を背けた。しかし彼女は俺の腕に自分の腕を絡ませて言ったのだ!
「ねぇ……またキスしようか?」
「え? いや……」
俺が戸惑っていると繭は俺に顔を近づけてくるので慌ててそれを制止した。
「まてまて! お前なぁ、こんな往来で何考えているんだよ」
そんな俺の言葉にも彼女は平然として答えた。
「でもしたでしょ。私と……キス」
返事に非常に困る。
「もうしねぇ」
「ふぅーん、そうなの?」
「ああ、そうだ」
「でもしたくない? 私の唇やわらかったでしょ」
……頼む誘わないでくれ! 俺にも理性と言うものが……ある。でもしたのは事実……今になって後悔の思いで押しつぶされそうになる。
そんなことだから、この距離感は非常に微妙なのである。
そんな距離感を保ちながら俺たちはアパートに着いた。
繭は自分の部屋のカギを開け。
「ありがとうございました。お買い物付き合わせちゃって」
「……いや別に」
なんか非常に照れ臭い。
「遅ればせながら、今後ともよろしくお願いいたします。お隣さんとして」
彼女はそう言いながらペコリとお辞儀をした。
「こ、こちらこそ……よ、よろしく」
まぁ社交辞令的なあいさつにせよ非常に照れ臭い。
繭はにっこりとした顔を俺に投げつけ「それじゃおやすみなさい」と言い自分の部屋へとその姿を消した。
そして俺は……また自宅玄関前に取り残されたのである。
「はぁ、またここで今夜は過ごすのか」
思わず口に出してしまったがそれが現実である。
この現状に諦めたかのように「うんしょっ」とまた自宅玄関前に座り込んだ。
歩いているときはさほどでもなかったが、こうして座り込むと夜の冷え込みが体を襲う。
「うううううっさみぃ!」
3月初春の冷たい夜風は体に刺さる。
コンビニで買ってきたホット缶コーヒーのプルタブを開け喉へと流し込み心ばかりの暖を取る。ああ、非常に空しい。
煙草吸いてぇな。
とはいえ、通路には灰皿もない。ここに吸殻を落とすわけにもいかず我慢……するしかない。
今晩こうしてここにいれば俺、間違いなく凍死……はしねぇか。風邪は引くだろうな。
「はぁ―」出るのはため息ばかりである。
外に面した通路から夜空を眺めると思いのほか星が見えていた。
さみぃ訳だ、こんだけ星が見えるって言うことは空気がやたら澄んでいるんだ。余計に寒さが増す。
寒さに耐えながらボーっと夜空を眺めていると。
「あのぉ―、山田さん」
ふと声の方に視線を移すと。繭が半開きの扉の隙間から覗き込むように俺を見つめていた。
「山田さん、どうしたんですか? お部屋の中に入らなかったんですか? どこか具合でも悪くなったんですか?」
俺はとっさに「あ、いや別にどこも具合は悪くないんだけど」
「そうですか……よかったです。で、そこで何をしてるんですか?」
何をって。
「寒くないですか? たぶんそうしていると風邪ひきますよ!」
そうだろうな。でも好きでこうしているわけじゃねぇんだよ。
「ま、まぁそうだな……。でも部屋の中には入りたくねぇ」
俺のその答えに繭はコテンと首をかしげた。そして何かを思いついたように口を開いたのだ。
「あ、もしかして山田さん! 私の部屋に入りたいんですか?」
な!
「ば、馬鹿かお前は!」
思わず大声を出してしまった。しかしそんな俺に繭はさらに言ったのである。
「あははは、冗談ですよ」
俺はまたも大きなため息をついたのだった。
そんな俺に対して繭は言ったのだ。
「え? もしかして本当に私の部屋に入りたかったんですか?」
「違う!」俺は思わずまたも大声を出してしまった。しかし彼女はそんな俺の様子などお構いなしに、さらに続けたのである。
「でも……山田さんなら別に良いですよ」
は? 何を言ってんだこいつは! いや待て落ち着け俺! そんな俺をしり目に繭は続けて言ったのだった。
「だって私たちお隣さんじゃないですか。それに私は山田さんから救ってもらった身ですから、そんな人を追い出したりなんてしませんし。それに……私、山田さんなら別に……」
「待て待て待て!」俺はさらに大声を出して繭を制止した。しかし彼女はキョトンとしたままである。
そんな繭のリアクションに俺は思わず拍子抜けしてしまったがそれでも続けて言ったのだ。
「いや、そのなんだ、だからそれはお前が勝手に言ってるだけで」
「でも事実じゃないですか」とさも当たり前のごとく言い放ったのだった。
確かに彼女の言う事は事実だ。あの現場にたまたま俺が居合わせただけに過ぎない。
「はぁ、繭お前さぁ……」俺は呆れた声で言った。
しかしそんな俺に彼女はニマリとした顔で答えたのだ。
「もしかしてお部屋の鍵ないとかですか?」
いきなりズバリと来たなぁ。俺は膝を抱え込んで軽くうなずいた。
「なぁんだ! それなそうと早く言ってくださいよ! そんなところに一晩いたらマジで風邪引いちゃいますよ! 私の家に入ってください。電気ストーブつけてるので温かいですよ」
繭は半開きのドアの隙間から囁くように言う。
「誘いは嬉しいが、女子高生の部屋にこんな男の俺が入って行っていいのだろうか? しかもこんな深夜に……」
「大丈夫ですよ! 不法侵入にはならないですから家主の私がいいって言っているんですし」
「でもなぁ」
「何遠慮してるんですか! 困ったときはお互い様ですよ。お隣さんじゃないですか。それに山田さんなら私信頼していますから」
信頼って何をだ! 今更ながら。
「山田さん買わなかったじゃないですか。……コンドーム」
「ええっと」
「無理やり押し倒したりなんかしませんよね」
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