4. イーストカルナの隠れファン
「はぁあ、疲れたあ」
宿に着いて早々、モニカはベットにダイブして仰向けに寝転んだ。
とっぷり陽が沈んでから到着した町の名はイーストカルナ。元・ホワイト男爵領である。
カイは実家へ帰り、モニカは宿に泊まる。
そして明日、例の貴族の元へ案内してもらう算段だ。
「誤解なんだろうなあ……。たぶん」
なんとなく、ストーカーに関する予測はついている。まだ確証がないだけだ。
もし誤解が生じているなら、ストーカーと直接話せば解決するだろう。しかし腕の立つ男性にいきなり声をかけるのは、経験上かなり慎重にならざるを得ない。それにこの1週間のうち、カイの近くにストーカーが現れのは1回だけだ。
わざわざイーストカルナまで来なくても、依頼は完了できたのかもしれない。
ただ、モニカは不思議な謎に出会うと見過ごせない性分だった。謎が解けないと気になって夜も眠れない、と思いつつ爆睡している日々。
謎はいくつかある。
領主屋敷の敷地にある離れの邸宅。
そこに住むのは、前領主の息子と娘、娘の騎士。
調べによると、カイの言う『お嬢様』はデイジー・ホワイト、『弟君』はバジル・ホワイトという人物だ。嫡男のバジルが男爵位を継いだことになっているが、領地を失った今も離れの邸宅にいられるのは何故だろう。
王立図書館の記録にあったのは、
『ホワイト男爵領は7年前に国へ返還、現在はアスキス伯爵が管轄する』
という事実だけ。
「あとは騎士……。まさか恋仲じゃないよね……」
デイジーが未婚なら可能性はある。
騎士の情報については、ベンジーというあだ名以外は一切不明。5年前からたまに剣を習っているカイですら詳しく知らないようだった。
それもそのはず、カイの師匠はいつも兜アーメットを着用しているというのだ。いかにも怪しいが、誰も追求しないのがまた不思議である。モニカは王都で聞き込みをしたが、ありふれた田舎の男爵のことを詳しく知る者はいなかった。
元ホワイト男爵領には、のどかな町が1つあるのみ。
田舎というのは結束が固い。
領地が小さければ小さいほど、大事であればあるほど、住民たちは共有する秘密をなかなか外に漏らさない。
そんな彼らが、見ず知らずの相手に口を滑らせやすくなるのは、お酒の入る場だ。
「よし、行くか」
勢いをつけて起き上がったモニカは、服の皺を軽く伸ばしてから階下へと向かった。
*
モニカが宿の受付で教えてもらったパブは、この町では一番大きな店らしい。
木のドアを開けて、真っ先にカウンター席へ目を向ける。カウンターの客は5人。バーテンダーが2人。
テーブル席は半分以上が埋まっている。
情報を得るにはどちらが良いだろう。モニカが迷っていると、カウンターの客から声をかけられた。
「お嬢さん、ここの席がおすすめなんだが、どうだい」
声のした方を見れば、40代くらいのおじさんが座っていた。バーテンダーも近くにいるし、裏表のなさそうな髭面が大家さんにどことなく似ていたので、モニカは誘いに乗っておじさんの隣に腰掛ける。
「俺はウィル。お嬢ちゃんは都会の人だろう」
「モニカと申します。王都から、ちょっと知人に会いにきたんですよ」
「敬語は抜きでいいって。1杯奢ろう、ビールでいいか?」
おじさん、もといウィルはバーテンダーに早速ビールを頼んでいる。
モニカは笑顔でお礼を言った。奢ってくれるものは素直に奢ってもらうタイプである。
軽く店内を見回していると、すぐにビールが届いた。ウィルに乾杯をしてもらって口をつける。
モニカは敬語をやめて気軽に喋ることにした。その方が相手の警戒心も解けやすいはずだ。
「ウィルさんはこの街にずっと?」
「そうでもない。色んな町をふらふらしてるさ。ああでも、ここに住んで10年経つな」
「へえ、旅人なの? 少し外を歩いてみたけど、ここはのどかで良いところね」
「まあな。王都に比べりゃなんもないところだろうが、住めば都ってやつだ」
ウィルは地元の人間ではないらしい。旅人だったなら、見知らぬ人と交流することには慣れていそうだ。それに悪意なく気軽に声をかけて来るような人は、大体において適度に口が軽い。
まずモニカは、店に入った時からずっと気になっていたことを聞いてみる。
「あそこにある絵って、名のある画家が描いたの?」
入店時に必ず見える突き当たりの壁。一番目立つ場所に巨大な絵画がある。重厚感と華やかさを感じる色使いに、展示のしかたも効果的で、なかなか印象に残るアートだ。
しかしモニカの言葉に、ウィルはきょとんとした顔をした。
「いや? 全然。オーナーがその辺の絵の上手い奴に描かせたんだよ」
「へえ……」
「あれが良く見えるんなら、モデルのおかげじゃねぇか?」
「あ、実在するんだ」
絵画には、2人の美しい人物が正面を向いて描かれている。少年と少女だろうか。少年の方は、服装が男物でなければ女の子に見えたかもしれない。
体を捻ってまじまじと眺めていると、ウィルがモデルの情報を教えてくれる。
「ホワイト男爵家の嬢ちゃんと坊ちゃんだ。確か、13歳くらいの頃の姿絵だな」
薄灰色の目を瞬かせたモニカは、自分の引きの良さに感謝した。欲しかった情報がすぐそこにある。がっつき過ぎないよう気をつけながら口を開く。
「ホワイト男爵家って、前の領主の?」
「そうだ。嬢ちゃんがデイジー様で、坊ちゃんがバジル様。実物はさらに綺麗な子たちでなあ、この町には昔から隠れファンが多いらしい」
ファン、という単語を聞いてモニカの邪心がほくそ笑む。
ファン心理とは難儀なもので、対象のことを語らずにはいられない性質がある。酒の場ではとくに、好なものを好きと叫びたいし、あわよくば他人へ布教しようと余念がないのだ。
それにしても、絵画の中の2人は一対のお人形のようだ、とモニカは思う。
「2人とも歳が近いのかな。顔立ちもだけど、背格好までそっくり」
「そりゃそうだ、双子だからな」
「え? ああ……、そうか。双子かあ」
最初に『姉と弟』だと聞いていたせいか、モニカの中では双子という概念がすっかり抜け落ちていた。
男女の双子はそこまで似ないと言われるが、2人はとてもよく似ている。少なくとも絵の中の双子は髪型と服装の違いしか分からない。実物はどうだろうか。
「2人は今もそっくりなの?」
「どうだろうなあ……。バジル様は背も高くないんで、そこまで差はないかもな」
「へえ……、なるほど」
「だがデイジー様の方が分からん。ここ数年、姿を見られなくなっちまった」
髭面のウィルが少し寂しそうな顔になる。酒場にデデンと姿絵が飾られていることと言い、いかにこの双子が町民に好かれているかが分かる。
しかし『見られない』とはどういうことなのか。
「見られない、って?」
怪訝な顔をしてモニカが聞くと、なぜかウィルは狼狽して目を泳がせた。裏表がなさ過ぎて『やっちまった』という心の声が聞こえてくる。とてもあやしい。
「あー、ええと、両親が亡くなって心労が祟ったのか、身体が弱って以来ずっと病に伏せているって話だ」
「それは……、ファンたちも心配ね」
「ああ。元気にされているといいが」
素直に頷くウィル。心配なのは本当のようだ。ただ口が軽い。軽すぎる。
お酒の効果もあるだろうが、モニカは敵(?)ながらこのおじさんの方が心配になってくる。
「バジル様が今は当主なのよね? 普段何をされているのかしら」
「さあ……」
「町には降りてくるの?」
「滅多に降りないな。そうだ、バジル様に興味があるんなら良い奴を呼んでやろう」
デイジーの話を逸らしたいのか、言うが早いか席を立ち「おーい」と呼びかけながらテーブル席へ突っ込んでいく。しばらくしてから、1人の若者の腕を引っ張ってカウンターまで連れてきた。
「こいつはロイド。こないだバジル様たちの服を見繕ったんだと」
モニカは円形椅子に座った体をぐるりと回して2人と向き合う。ウィルは自分の席に座ったが、ロイドは着席せずウィルの横に立った。
ウィルという人は強引でお節介でうっかりさんだが、モニカにとっては好都合。ロイドに軽く挨拶をして、ありがたく話を聞くことにする。
しかし初対面の女の元に無理やり連れてこられたロイドは、あまり乗り気ではないようだ。
「見繕ったと言っても半既製品だよ」
「バジル様だけ? デイジー様とは会えないの?」
「デイジー様の分は既製品をお渡しするんだ。向こうの使用人が手直しするから」
事実だけを口に乗せて、余計なことは喋らない、というロイドの意志がうっすらと見える。服を用意させるぐらいだ。彼はホワイト男爵家の面々と懇意なのかもしれない。
慎重にいくか迷ったが、モニカは切り込むことにした。
「ちなみに、デイジー様の騎士も一緒に住んでいるって話は本当?」
騎士の話に、先に反応したのはウィル。
「ああ、ベンジャミンのことか」
さらりとその名を口にする。
騎士のベンジー。ベンジャミンだ。モニカは思わず肘をついて重心をウィルの方へ傾ける。
「ウィル。やめとけ」
割り込むように、ロイドが友人の名を呼んだ。咎める声色は難色を示している。
ここは引いた方が得策か。モニカは瞬時に決める。
「あ、言えないならいいの。実は私の友人がベンジャミン様に憧れてるみたいで、少し気になっただけだから」
モニカは顎を引いて、残念そうな表情を作って微笑む。今こそ美少女カイから学んだ仕草を役立てる時だ。実際残念ではあるので余計に演技に身が入る。それにカイが剣を振るう騎士に憧れているのは本当である。
それが功を奏したのかは謎だが、腕が触れそうなくらい近くにいるウィルが迷う様子を見せた。
「あー、その」
何かを言いかけて、ウィルはうなじのあたりを掻く。
「その友人ってイーストカルナの奴か?」
モニカが頷くと、彼は「なら、まあ……」などと呟いてビールを流し込んだ。
「一緒に住んでるのは本当だ。釣り合わないなんてことはない、お似合いの2人だよ」
2人を庇うように小声でつぶやかれた言葉は嘘ではない。モニカはそう直感した。
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