3. ストーカーの贈り物
モニカの朝はとても遅い。
だが今日は頑張ってめちゃくちゃ早起きをしている。
「ねむい……」
依頼者であるカイのアパートに来ているからだ。
実は、カイは音楽院に通う学生で16歳になったばかりだという。3ヶ月前に田舎から王都へ出てきた彼女は親元を離れて暮らしている。
「朝からすみません」
「なんの、これしき」
エントランスの前で、モニカは瞼をとろりとさせながら大地を踏みしめる。
学生生活の1年目は忙しく、空いている時間は早朝か夜。音楽院が借り上げているアパートは、学生に無償提供する代わりにルールがいくつかあり、夜に人を連れ込むことも禁止している。ということで早朝一択だ。
カイは白い煉瓦造りの外壁を見上げて、おもむろに指を差した。
「私の部屋は最上階の3階です。あの右端の、ベランダにアイビーの葉っぱがある部屋ですよ」
「3階……」
朝っぱらから鉄の螺旋階段を上がれば息も上がる。もう少し体を鍛えようとモニカが決意したところで3階に着いた。
肩で息をしながらカイの後ろをついていくと、部屋のドアの前に猫がいる。
「あ、猫たん」
カイが呟いた。
なぁ、と猫たんが鳴く。
「カイさんの猫?」
「野良猫です。1回おやつをあげたら、また来るようになっちゃって」
薄茶模様の猫を優しく撫でながらカイが苦笑する。彼女は部屋着のワンピース姿で、髪が短くても女の子にしか見えない。服装の効果は絶大だ。
モニカも触ってみようかと手を伸ばしたら、猫たんは小さな体をこわばらせて、さっさと逃げていってしまった。
「避けられた……」
地味に傷ついていると、気の毒そうな顔をしたカイがドアを開けて中に入れてくれた。こじんまりした部屋はすっきりと整っている。
早速、例のブツを確かめることにした。収納棚の奥に押し込まれているストーカーの贈り物だ。3週間前、この箱をドアの前に置いた人物は、タイミング的にストーカーの仕業である可能性が高い。
とりあえず、丁寧にラッピングされたそれをテーブルの上に乗せてみる。
モニカが想像していたよりも大きな箱。そこに掛かっているのはミルクティ色のリボン。
「カイさんの髪の色と同じだ」
誰に言うわけでもなく、思ったことをそのままつぶやいたモニカは、無心でリボンを解いて包装紙を剥ぐ。眠くてまだ頭が働かない。
「開けますね」
不安そうな依頼人に確認を取ってから、モニカは箱のふたをそっと押し上げた。
「んん?」
「なんだろう、これ」
覗き込んだとたん2人して首をひねる。そこには干からびた茶色っぽい塊がたくさん入っていた。異臭はとくにない。
「触ってみましょうか」
「だ、大丈夫かな……?」
「触ります」
「あっ」
カイが慌てた声を出したが、構わずモニカは手を伸ばした。
直径10センチくらいのそれを指で摘んで持ち上げる。これは食べ物だ。しかしカチカチに乾燥しているおかげで腐ってはいない。色々な角度からじっくり眺めた後、モニカはひとり納得するように頷いた。
「カイさん。胡桃パンはお好きですか」
「好きですけど……、もしかしてそれ胡桃パン?」
「胡桃パンです。おそらく『ムギの家』の」
琥珀色の瞳を至近距離で覗き込むと、カイの顔に動揺の色がにじむ。
「カイさんが『ムギの家』の胡桃パンが好きだって、誰かに言いました?」
「……言ったかも」
眉間に皺を寄せたカイが、口元に指を添えて考え込んでいる。モニカは干からびたパンをぼんやりと眺めながら相手の言葉を待った。
「あの、貴族の姉弟と交流があるって、モニカさんに話しましたよね。弟君と離れの庭でお茶をした時に、好きな食べ物の話になったんですよ」
「それが1ヶ月前くらい?」
「はい。ひと月に1回帰省するので、先月田舎へ帰った時に」
モニカは壁の時計を横目で見る。タイムリミットが近づいていた。
「わかりました。とりあえずカイさんは気にせずに学院へ行ってください」
「いやいやいや、気になる要素しかないですけど……? どういうことなんですかね?」
色素の薄い眉が頼りなく下がり、丸い瞳が涙目で訴えてくる。儚げな美少年、もとい美少女という人種には、何とかしてあげたいという気持ちにさせる魔力でもあるのだろうか。誰にでもこんな顔を向けているのならストーカーも爆誕するだろう、とモニカは思う。
「もう少し確かめたいことがあるんです」
鍵は騎士だ。
「カイさんが次に帰省する時に、私も貴族様の離れの邸宅にお邪魔することはできますか?」
*
カイが"なんでも屋"に依頼をしてから10日後、田舎に帰省する日がやってきた。
音楽院の授業を午前で切り上げてすぐに出発し、馬車に揺られて続けて数時間。いつの間にか外は薄暗くなっていた。
目的地まであと少し。
いつもなら乗合馬車を乗り継いで半日以上かかる帰省が、今回はかなり短縮できる。それもこれも、カイの向かいに座るモニカのおかげだった。
小ぶりな馬車は貸切で、モニカが用意してくれたものだ。御者の賃金も含めて、彼女はカイに一銭も請求していない。
そんなモニカは今、馬車の中ですっかり眠りこけていた。安らかな寝顔を眺めながら、カイは10日前のことを思い出す。
モニカのアパート兼事務所は、あちこちが傷んでおり、古めかしい外見が逆に目を引く建物だった。その1階のドアに、美しい筆跡で書かれた張り紙がある。どんな人が住んでいるのだろう、とカイは興味を惹かれた。ちょうどストーカー被害に困っており、思い切って訪ねる良い機会だと思ったのだ。
初めて顔を合わせたあの日。
モニカは古ぼけた部屋の中にいた。曇りガラスから入った光が、空気中の埃を白く拡散させて彼女の輪郭を淡く模っていた。時が止まったようなその光景が今もひどく印象に残っている。
今日のモニカの服装はシンプルなモノトーンで飾り気がない。化粧もナチュラルと言えば聞こえは良いがスッピンに近い。ふわふわと波打つピンクグレージュの髪は後ろで括っているだけ。そのシンプルな装いが彼女の魅力を引き立てており、むしろ洗練されて素敵だとカイは思っている。
とにかくトータルで見て、お金の余裕は無いように見える。それにも関わらず、スマートに貸切馬車を手配するようなところが不思議というか、どこかちぐはぐな印象を受ける。
「でも、私だってそうだ」
自然と独り言が漏れた。
モニカに負けず劣らず"年頃の女子"像から外れたカイの装いと内側に潜む性質ははっきりと異なっている。
自分をよく見せるために飾り立てることもあれば、その逆もあるのだ。たとえば怪盗が様々な変装をする理由と同じように。
多くの女性たちはそれを知らない。
次第に眠気を誘う馬車の揺れ。
自分とモニカは少しだけ似ているのかもしれない。
ゆっくりと瞼が降りた瞬間に、カイはたゆたう意識の奥でそう思った。
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