2. バーテンダーの目撃談

カイの家には明日行くことに決まった。


 ストーカーからの贈り物は、未開封で放置したまま3週間も経っているらしい。とりあえず中身がナマモノでなければ良いな……、と願うばかりだ。


 アパート兼事務所を出て、石畳の小道をのんびりと歩く。初夏の日差しはまだ柔らかい。

 飲食店の並ぶ通りに差し掛かると、香辛料の香りが鼻先をくすぐる。すっかり食欲もしぼんでしまったが、モニカは情報を集めるために近所のパブへ入ることにした。


 ーーカラン、コロン。

 パブの重い扉を開ければ、ドアベルが来客を知らせてくれる。

 

「あら! いらっしゃい、モニカ」


 昼のピークを過ぎた店内は客もまばらだった。パブ『フォンド』の看板娘、アガタの明るい声が響く。

 

「今ごろランチ? 何か軽いものにする?」


 カウンターに座ると、すぐに給仕のアガタが寄ってきた。

 

「うん。アガタのおススメがいいな。あんまり食欲がなくて」

「了解。すぐできるから待っててね」


 アガタが調理場の奥へ消えるのをぼんやり眺めていると、ふいに男性の声がかかった。

 

「お腹空いてないの? 」

「あ、ルーカスさん。こんにちは」


 カウンターの奥から顔を出したのは、バーテンダーのルーカスだ。


「なにか飲む? お酒がいらないなら、胃に優しいドリンクでも作るよ」

「うん。飲みたい」


 ルーカスは和やかに微笑むと、優しいドリンク作りに取りかかる。流れるように動く長い指先を、モニカはじっと眺めていた。

 

「モニカちゃんの好きなやつね」


 やがてシナモンの香りがふわりと漂ってくる。

 好きなものをちゃんと覚えてくれたことが嬉しい。5歳上のルーカスは頼れる兄のようで、モニカはなんとなく憧れのようなものを抱いている。眼鏡の奥の瞳がモニカと同じ薄灰色であることも、すぐに親近感が生まれる要因となった。

 

「はいどうぞ」

「わ、おいしそう」


 カウンターの上で湯気を立てるのはシナモンミルクだ。お礼を言って一口飲むと、メープルシロップの甘さが優しく広がった。

 

「今日は何かあった?」


 ルーカスがさり気なくきいた。


「新規の依頼がありました」

 モニカはカップを置いて、ついテンション低めに答えてしまう。

 

「それにしては元気ないねえ」

「いやぁ、なかなかの変わり種で」


 今回の依頼については、モニカの勘違いによる自業自得も多少あったが、それを差し引いてもなお掛け違えたボタンのような違和感がある。


「ふぅん。じゃあ、後でどこか遊びに行こうか」


 考え込んでいると、ルーカスに軽い調子で誘われた。

 モニカは目を瞬かせる。


「どこに?」

「モニカちゃんの行きたい所」

「2人で?」

「うん。嫌?」


 ルーカスは話しながらレモンを洗ったりカットしたりしている。ナイフ使いは結構ぎこちない。それを目で追いながらモニカは答える。


「嬉しいけど、仕事しなくちゃ」

「そっかあ」


 手元から顔を上げたルーカスは、モニカと目が合うと「残念」と呟いて笑った。


 気分転換になればと誘ったのだろう。モニカはその優しさが嬉しかったが、自分の機嫌のためにルーカスの時間を奪うのは気が引けた。彼はいつも昼間の数時間しかパブにいないので、他にも仕事を掛け持ちしているのでは、とモニカは思っている。


「ん?」


 じっと見つめる視線に気づいたのか、ルーカスは優しげに目を細める。見事なプラチナブロンドと相まって輝くその笑顔は、黒ぶちの眼鏡ごときでは隠しきれない陽オーラが放出されている。わりと日陰で生きてきたモニカの目にはとてもまぶしい。


「えっと……。うん。そう、聞きたいことがあって」


 そうだ。情報を集めなくては。


 幸いカウンターの客はモニカしかいない。

 優しいドリンクのおかげで若干復活したモチベを頼りに、モニカは聞き込みをすることにした。

 

「ルーカスさん。この店に騎士ってよく来るの?」「うん、昼間はたまに見るよ。夜はもっと多いみたい」

「ほんと? じゃあ警備隊とか、剣の腕が立つお客さんはいる?」

「警備隊も来るけど、剣の腕が立つのはやっぱり騎士か剣闘士だと思う」


 モニカは上着のポケットから1枚の紙を取り出すと、カウンターにひらりと乗せる。ストーカーの外見の特徴を箇条書きにしたメモだ。

 

「こんな感じの人はどうかな。たぶん騎士じゃないかと思うんだけど」


 メモを覗き込んだルーカスは休憩用の椅子を引きずり、カウンターを挟んでモニカと向かい合う形で腰掛けた。用紙を手に取り、眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げて、もう一度じっくりと目を通してから口を開く。

 

「よくある外見だからなあ、知ってるような知らないような」

「ですよねえ」


 モニカは軽くため息をついた。最初にストーカーの性別を勘違いしてしまったが、男性であるならその辺にゴロゴロいるような身体的特徴なのである。

 

「ああ、でもこの間……」


 両手で頬杖をついたルーカスは、記憶を辿るように視線を動かす。遠くを見る薄灰色の瞳が数秒のうちにモニカの元へ戻ってきた。


「かなり前のことだけど、市場へ行った時に変な人がいたなあと思って。その人がこんな感じだったかも」

「変な人?」

「あのね、『ムギの家』ってパン屋さん知ってる?」

「知ってますとも。胡桃パンが人気の店よね」

「そう。その胡桃パンだけを大量に買って、プレゼント用に包装して欲しいって頼み込んでる人がいたの」

「パンを……?」


 ルーカスがやたら神妙な顔で頷く。


「大の男がさ、パン屋で必死に頭を下げてる姿を想像してみてよ」

「まあうん。目立つよね」

「みんな気になって遠巻きに見てるの」


 市場のパンは安くてお腹に溜まるので、庶民の食卓によく上がる食べ物だ。それを贈答用に包装する発想すらない店側は困惑したに違いない。


「結局どうなったの?」

「見かねた隣のケーキ屋が代わりに包んでくれたみたい。有料だけど良いかって聞かれて、ちゃんと支払ってたよ」


 確かに変な人だ。変だし迷惑だけど、悪い人ではないような気がする。ルーカスの話から想像するその男の人は、不器用で一生懸命でちょっと可愛い感じだ。


「その人は騎士だと思う?」

「はっきり分からないけど、騎士っぽい雰囲気はあったね」

「雰囲気?」


 首を傾げるモニカを見て、ルーカスは微笑ましげに小さく笑った。


「歩き方がいちばん分かりやすいと思う。帯剣していない時にバランスが偏るから。どうしても癖が残るんだろうね」

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