1. 可憐な依頼人

『どんな困りごとでも解決します』


 小さなアパートの1階のドアに、その手書きの文言は貼り付けられている。

 胡散臭さが仄かに漂う宣伝文句に縋るのは、よっぽど追い詰められた者か、純粋で騙されやすい者か、面白そうなことに目がない物好きか、それとも……。


 お昼ごはんは何にしようかな? などとアパートの住人がうきうき考え始める微妙な時間帯に、その可憐な依頼人は訪れた。



     *



「ストーカー、ですか」


 モニカ・ブリッジズは、大嫌いなピーマンを無理やり食べた時のような顔でつぶやいた。


(面倒だなあ……)


 お腹は空いているし、依頼内容はあまり関わりたくないジャンルだ。変質的な執着というものは大体において予想を上回るトラブルが起きやすい。

 モチベーションの低下を態度に出さないよう気をつけながら、モニカは改めて向かいの依頼人に目を通す。


 古びたデイソファにちょこんと座るのは、カイ・ライトと名乗る依頼人。

 見た目は15歳くらい。小柄で、儚げな美少年カテゴリーに入りそうな顔立ちだ。

 ふんわりしたオーバーブラウスは清潔な白。平民にしては小綺麗な身なりをしているが、貴族にしてはシンプルすぎる。親は知識人か、貴族と交渉できるような仕事に就いている可能性が高い。


「あのぉ……、それで、引き受けてもらえますか?」


 黙々と観察するモニカに対して、依頼人は痺れを切らした様子できいてくる。


「あ、はい。もちろんです。そうですね、もっと詳しく話をお聞かせください」


 来るものは拒まず。すでに座右の銘となった諺を念じながら、断りたい衝動を営業スマイルでねじ伏せる。

 節約生活が板についた現状で依頼を断わるのは万死に値する。できれば家賃も滞納したくない。ここの大家さんはとても良い人なのだ。


 そうと決まれば、まずは事実の把握から。年季の入った万年筆を構えて、モニカはヒアリング体制に入る。


「まず、ストーカーに気づいたのはいつ頃ですか?」

「えっと、2ヶ月前くらいかな。何となく視線が気になったのが始まりです」

「もともと顔見知りですか?」

「いいえ、まったく」


 美少年が首を振った。その拍子にミルクティ色の毛先が滑らかな頬にかかる。


「被害状況はどうですか」

「視線を感じたら近くにいたり、いつのまにか駅馬車で隣に座っていたり、髪を触られたこともありました。あと、一度だけアパートの部屋の前に名無しの贈り物が置いてあって……」

「その贈り物、メッセージカードはついてましたか?」

「いえ。何も」


 可憐な容姿に似合う、男にしては高い声。切実に窮状を訴える琥珀色の瞳がうるうるしている。


(女の子みたい)


 と思ったが口に出すのは当然やめておく。


 空気を含んだ色素の薄い髪は柔らかそうで、つい触りたくなるのも分からなくはない。思うだけで普通は実行しないが。


「贈り物はまだ取ってあります? もしあれば確認したいのですが」


 モニカがきくと美少年は頷いた。


 なるべく贈り物に触りたくないという要望を汲んで、モニカが美少年の家まで見に行くことを約束した。贈り物の中身についてきいてみれば未開封とのことで、まあ気持ち悪いからね……、と少しだけ同情心が芽生える。


「では次に、人物の特徴を教えてください」


 これが今のところ一番掘り下げたい情報だ。


「年齢はいくつくらいだと思いますか?」

「うーん……、20歳前後かなあ」

「私と同じくらいですね」


 何気なくモニカが言うと、美少年は彼女の顔から上半身にかけて視線を動かした。


「えっと、モニカさんと呼んでもいいですか?」

「どうぞ」

「……ちょうどモニカさんくらいだと思います」


 何かを見定められた気もするが、広い心で許そう。モニカは手元の紙にメモをしながら事務的に話し続ける。


「髪はどうでしょう」

「色は暗めのブラウンで、緩いウェーブで……、長さは私とそんなに変わりません」


 ダークブラウン、緩いクセあり、耳と襟足が隠れるくらいのショートカット。特徴を箇条書きにしていく。

 色はありがちだが、髪が肩よりも短い成人女性は珍しい。王都圏内にはほぼ居ないと言っても良いくらいだ。意外と探しやすいかもしれないとモニカは思った。


「身長と体型は?」

「体型は普通かな。背は高めだけど、180センチはなさそう」

「えっ、180?」


 モニカは素直に驚いた。

 思ったより高い。


「175から180センチの間くらいですか?」

「そうです。それくらい」


 女性でこの長身は間違いなく目立つだろう。

 さらに探しやすくなったことで、地を這っていたモニカのやる気が浮上する。


「目の色は分かります?」

「それが、ちゃんと見れなくて。ごめんなさい」


 ぺこりと頭を下げる美少年。仕草がいちいち可愛い。


「お気にならさず。相手はストーカーなんですから、見れなくて当然ですよ」

「でも、うーん……。印象に残ってないし、よくあるブラウンなのかも」


 確かに、珍しい色や華やかな色なら一見しただけでも記憶に残るだろう。


「服装はどうですか?」

「普通といえば普通です。綺麗めな格好だなあとは思ったけど」

「ストーカーをする暇があるくらいだから、お金に困ってはなさそうですね……」


 貧乏者は女も子供も働いて食うので精一杯である。


「では最後に、相手から感じた印象などはあります

「あっ!あります。あの、趣味で剣技を嗜むので気づいたんですけど、ストーカーの人は日常的に剣の訓練をしてるはずですよ。身のこなしが違うので」


(訓練……?)


 万年筆の動きが止まる。モニカはメモ用紙から視線を上げた。


「どのくらいのレベルでしょうか」

「もしかしたら警備隊とか護衛とか、そういう仕事についているのかも」

「女性で警備隊ですか……?」

「えっ、女性?」

「え……?」


 てっきり女性のストーカーだと思い込んでいたが、違うのだろうか。モニカは先程までの質疑応答を順番に思い返して、あ、と声を上げた。


「ストーカーは男性なのですか?」

「もちろん男性ですよ」


 当然といった表情でカイが答える。


「なるほど……、もちろん……男性……?」

「な、何かおかしいですかね?」

「おかしい……」

「どこが?」


 混乱するモニカに対して、なぜか美少年がストーカーのフォローをする謎展開が繰り広げられている。


「いえ……、すみません。取り乱しました。ところで少し気になったのですが」


 気を取り直したモニカは姿勢を正して依頼人を見据える。


「もしかしてカイさん、警備隊などにお知り合いがいませんか」

「警備隊じゃなくて騎士様ならいますけど」

「失礼ですが、ご関係は……」

「貴族の護衛です。私の母が貴族のお嬢様の家庭教師で、その関係ですね」


 モニカは得心した。母親が家庭教師だったのなら、カイの身なりや雰囲気が良いのも頷ける。


「そのお屋敷でまだ家庭教師を?」

「えっと……、その家のご両親が亡くなって、状況があまり……。それに今はお嬢様も弟君も成人してるし......。でも弟君とはずっと交流してるんですよ」


 カイは曖昧にぼかした表現をしたが、いわゆる没落貴族というやつだろう。当主が早逝したり天災で領地経営が傾いたりと理由は様々だが、近年では没落貴族が増えているせいでそこまで珍しくない。しかし貴族のお嬢様とその弟君は、成人前に両親を亡くしたのなら色々と大変だったはずだ。立場が違うのに、モニカは彼らの境遇を他人事とは思えなかった。


「その護衛の騎士は、現在どうされているのですか?」


 没落すれば、とにかく切り詰めなくてはいけない。職業軍人などは真っ先にコストカットされがちだ。


「ええと、まだ雇われているというか、うーん。その辺はよく分からないというか……」


 カイが難しい顔になる。


「たしか私が8歳のときで……、だから8年前くらいかな。ご両親が急逝してから、お嬢様と弟君は領主邸の離れに移ったんですよ。騎士様もそこで一緒に住んでます」


 それをきいたモニカは首を傾げ、手元のメモ用紙をじっと見つめる。しばらく黙った後、ひとりで納得して頷くとカイに目を合わせた。


「もしかして、カイさんの剣もその騎士から習ったのでしょうか」

「はい! たまにですけど」


 話題の方向を変えてみれば、カイが弾んだ声を出す。


「でも内緒なんですよ。母は『女の子が剣を持つなんてはしたない』って言うんですけど格好良くないですか? 服もスカートよりズボンの方が楽だし」


(……ん?)


 今、聞き捨てならない単語をいくつか聞いた気がする。モニカは依頼人の短い髪をまじまじと見て、薄い胸元を見て、足腰を包むスリムなボトムスを見て、また化粧っ気のない顔を見る。


 そもそも初めからモニカは、依頼人のことをだと思っていたのだ。


「あの、カイさんは、なぜ男の子のような格好をしているんでしょう」

「その方が楽だし、格好いいかなって」

「なるほど」


(なるほど)


 "美少年"を体現する本人が目の前にいるので説得力がすごい。何の捻りもない理由に、ただ納得するしかないモニカだった。

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