第2話【硫黄と火】
帰還してから四半刻も経った頃だろうか。
予想していた通り、幹部のお
…ほら、言ったろ。
アンジェは心の中で呟くと、手元のエンジン部品に目を落とす。暗くなる前に、せめて汚れを落とす所まではしておきたかったのに。このオンボロ飛行機はもう年寄りなんだ。
「おい、アンジェル
間もなく、顔見知りの二十歳前後の兵士が忌々しげに海上に向かって声を荒げた。そら来た、とアンジェは小さくため息をつく。しぶしぶ立ち上がり、嫌々ながらに返事をする。
「おります…が、整備任務遂行中であります。何でございましょうか?」
「ルシェ殿を説得してくれ」
「休憩中の上官の説得は整備兵の任務ではございません」
しれっと返したアンジェを援護するように「そうだそうだ」と、ルシェが声高に
「ったく、どいつもこいつも…」
星一つの兵士がぼやきながら、アンジェに両手を合わせてお願いしてきた。任務に忠実な兵士は、正攻法をやめ、プライドを捨てて、アンジェの同情をひく作戦に切り替えたらしい。
「頼む、アンジェ。お前が来ないとルシェ殿も行かないってさ。早く来てくれないと困るんだよ、俺、この後、別の予定が入ってて…」
「だってさ。ルシェ殿、行って来てくださいよ」
「嫌だ。俺は行かない」
案の定、ルシェは
「俺は空しか見ない。敵の基地なんか見てないから報告することなんて何もない」
きっぱりと言い切って、固く唇を引き結んだらしいルシェに、「飛んでただけかよ、おいおい…」と、兵士は頭を抱え、アンジェはハハハ…と乾いた笑いを漏らした。えーと、偵察って何だっけか…?
結局、アンジェはルシェの報告に同行する羽目になった。部屋に入り、幹部たちの値踏みするような
「軍事基地は東海部か北の山側のものが主格だと思います。どちらも周辺に中小の基地が点在しているようです。数はざっと…合わせて30はあったでしょうか。南の湾岸部については2ヶ月前の奇襲作戦後、壊滅状態のままです。海中に沈めた艦船がまだ引き上げられていないことも確認しました。復興はまだまだのようです」
最高指導者【バル=ベール】が、鋭く光る獣のような目を細めて、アンジェに続きを促した。
「西は?」
「西の山間には肥沃な土地が広がっています。夕方になると森に囲まれた湖が茜色に輝いて…」
「森は必要ないな」
「…と、言いますと?」
話の腰を折られたアンジェは最高指導者に話の続きを促した。この間、入室時の挨拶も含めて、ルシェは一言も発していない。アンジェの隣に突っ立ったまま、つまらなそうなヘの字口でだんまりを決め込んでいた。
「我々が欲しいのはシャマイムの山と湖だ」
山と湖と聞いて、アンジェは或る情報に思い当たる。そういえば、以前、東エデン帝国の技術者からシャマイム国を含む一部の山や湖、海底に眠るという非鉄金属のことを聞いたことがあった。
…
鉄や銅に添加することで強度を増したり、錆びにくくすることが出来るという特殊で流通量が少ない金属。実際、希少金属そのものは目にしたことはなかったが、加工された後の材料の用途は多岐にわたると聞いていた。それは驚くような内容で、まるで錬金術か魔法のようにすら思えた。
「西には軍事基地はないのか?」
幹部の一人が問うてきた。アンジェは頷いてみせる。西側には人工の建造物は見当たらなかった。
「空から見る限りでは基地も工場も確認していません。でも、あの辺りは神の聖域なので、確か、シャマイムも東エデンも不可侵でしたよね? 緑豊かで大変美しい所でした」
「ふむ。では、東と北に通ずる陸路を潰せば…」
…まさか、神の地を汚す気か?
この国【ソドム】は元々【シャマイム国】から派生し、独立…というか、神を敬わず、悪徳の限りを尽くした挙句、切り離された歴史がある。一方の【東エデン帝国】は【シャマイム国】と、その昔、兄と弟のような関係だったとされる。しかし、自国内に聖域も神殿も持たない氷雪の地【東エデン帝国】は、神に愛された豊かな【シャマイム国】を妬み、裏切った。そんな【東エデン帝国】と【ソドム】は「シャマイム国侵略」という利害が一致し、数年に渡って軍事同盟を結んでいる。しかし…
「何にせよ、木は邪魔ですな。燃料としても生木は使いにくい」
「資材運搬は空路を使いますか?」
アンジェの懸念をよそに幹部連中は各々思いつくままに西の聖域の侵略話を進めている。最高指導者バル=ベールが「ゴモラス艦隊がいいだろう」と、告げると、皆一斉に頷いた。
「では、海路で南に上陸し、装甲車を降ろして、陸路で西へ」
「やはり、森が邪魔ですな。焼き払いますか?」
「上から焼夷弾で…」
ソドムの男らの好き放題のお喋りを遮ったのは、今の今までおし黙って、顔を強張らせていたルシェだった。
「あの美しい森を焼くのか? あの輝く湖に爆弾を落とすというのか?」
少年兵の非難するような口調に、この国の最高権力者にして独裁者の男は「そうだ」と、短く告げる。冷たい目でルシェを見下ろすと、不意に酷薄な笑みを浮かべた。
「そうだ。【ルシフェル】、お前が行け」
ルシェというのは俗称であり、ルシフェルというのがルシェの本当の名前だ。
「私は十年前にあの森でお前を拾った。お前はあそこには縁もゆかりも有る。思い入れもあるだろう。ならば、お前がやれ。
「そんなこと出来るわけ…」
ルシェの顔が青褪めた。独裁者はそんな少年をさらに追い詰める。
「お前は逆らってばかりだな。神などいない。腹の足しにもならない役立たずの神に従うより、この私に従うべきじゃないのか。もっと賢くなれ。私の全てを受け入れろ」
「嫌だ。俺の神はお前じゃない」
「では、死ね」
無慈悲な独裁者の言葉にルシェは動じなかった。
「殺せばいい。俺の魂は白い翼を得て、天に昇り、星のように輝くだろう」
ルシェが言い返すと、バル=ベールは面白くなさそうな顔で少し思案した後、ルシェの隣に立つアンジェを指した。
「ほう。死ぬのは怖くないと言うのか。では、お前の代わりにそっちの若いのを殺そうか」
…人の命を脅しに使うなよ。
バル=ベールの
…駄目だ、ルシェ。そんな悲愴な顔をしてたら、奴らに弱みを握られてしまうじゃないか。
アンジェは心の中で独り
「我らの最高指導者バル=ベール様のおっしゃることは絶対です。私はバル=ベール様の命令に従って、必ずや、ルシフェル
何とかその場を収めることが出来たアンジェは、すっかり打ちひしがれたルシェを連れて、胸糞悪い魑魅魍魎の跋扈する
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