第1話 森に青年が落ちていたのです
『アドラム薬品店』と書かれた古びた看板が掲げられた店の前でヒヨコは止まると、
「ぴよぴよ!」
少し声高に可愛らしく鳴いて、ガラス戸を嘴で軽く突いた。
「いらっしゃいメイブちゃん。おつかいご苦労様だね」
ほどなくして、灰色の髭を顔に生やした初老の店主が、笑顔でガラス戸を開けてくれた。
「ぴよ~」
ヒヨコ――メイブはもう一度可愛く鳴くと、店の中へスイっと入った。
狭い店の中には、薬棚が壁際に沢山並んでいる。引き出しから漏れ出す色々な薬草の匂いが、店内の隅々まで満ちていた。
「ぴよぴよ」
訳:[”癒しの魔女”印の風邪薬と傷薬をたくさん持ってきたのですよ。ありがたく受け取るのです]
「さすがはロッティちゃんの使い魔だねえ。いつもながら、こんな重たいカゴを持って飛んでくるなんて」
店主は驚きながら買い物かごを受け取った。ずしッと手に重みがかかる。
「ぴよぴ~よ」
訳:[ふふり、
カウンターテーブルの上に降りて、メイブは小さな丸い胸を「えへんっ」と張った。
「いつもすまないねえ。ロッティちゃんの薬は大人気ですぐ売り切れちゃうんだ。他所からも仕入れに来る人がいるくらいだよ」
(効き目バッチリ効果100%!ご主人様に治せない病気や怪我はナイから、当然なのです!)
店主の言葉に、メイブは得意げになる。頭上に生えている双葉も満足そうに揺れた。
「そういや知ってるかい?先週、東の大国メルボーン王国に突如”曲解の魔女”が現れて、王城が襲われたらしいんだ。恐ろしい力を振るって王城は大混乱だそうだ。何やらそれで、ウチまでロッティちゃんの薬を求めに来たみたいで。きっと怪我をした人がたくさんいるんだろうねえ」
憐れんだため息混じりの店主の言葉に、メイブはつぶらな瞳を見張った。
(なっ、なんと!あの”曲解の魔女”が大暴れですと!?なにやら物騒な情報を仕入れてしまいましたご主人様!)
思わぬ通り名を耳にし、メイブは心の中で仰天した。
「怪我人や病人が出れば薬は売れるけど、被害者が出るとやっぱり気が滅入るよねえ…って、メイブちゃんに話しても判らないよね。メイブちゃんはヒヨコだし。おじさん疲れてるんだな。ははは」
「ぴよおお!」
訳:[なんですとおお!]
一転してメイブはぷんぷん怒りだした。黄色い羽毛に包まれた丸い身体が、カウンターの上でポンポンと跳ねる。
「ぴよぴよぴよぴよ!」
訳:[失礼ですよ店主!わたくしめは人間の言葉を正確に理解しているんですから!そこら辺の普通のヒヨコと同列に考えないでくださいな!ただ、人語にして喋れないだけなのですっ!]
そして唐突に、シュンッと落ち込む。
「ぴよおぉ…」
訳:[ヒヨコが人間の言葉をしゃべりだしたら、ショッキングなホラーなんですからね]
背に生えた翼を萎れさせ、悲し気に小さく鳴いた。
「じゃあ、はい、今回受け取ったお薬の代金ね」
ぷんぷんシクシクなるメイブの気持ちが判らない店主は、気にした様子もなく硬貨の詰まった袋をカゴに入れる。そして落ち込んでいるメイブの前に置いた。
(はあ…、暖簾に腕押しなのです…)
そう気付いて、小さなため息をつく。怒るだけ損だ。
メイブはカゴの取っ手の上に移動すると、カゴをふわっと持ち上げた。
「ぴよぴよ~」
訳:[用は済んだので、帰るのです]
「またね、メイブちゃん。ロッティちゃんによろしくねー」
再びガラス戸を開けてもらい、笑顔の店主に見送られて、メイブは通りにスイッと飛び出した。
* * *
帰る途中で買った甘い香りのスイーツがたくさん入ったカゴを持ちながら、メイブは森の中へと入っていく。
森の木々は幹も枝も葉も、まるで深い青緑色の水晶のように煌めいている。地面に生える草は薄い青紫色だ。
枝葉で天井は覆われていて、陽の光が射さずに暗いはずだが、柔らかな光が辺りに満ちていてほの明るい。
幻想的な雰囲気を醸し出すこの森は、”癒しの魔女”が何百年もの間住み支配する『癒しの森』だ。
(帰ったらご主人様とスイーツパーティーですね。ご主人様の大好きな生クリームたっぷりのケーキがたくさん買えました。わたくしめの大好きなナッツ入りクッキーもバッチリなのです)
帰った後の楽しみを想像してご機嫌で飛んでいたメイブは、前方に人が倒れているのを見つけた。
「ぴよ?」
慌てて近づいてみると、深い傷を負った青年。血のように鮮やかな赤色の髪が印象的だ。
メイブは一旦カゴを地面に置いて、仰向けに倒れている青年の頭の横に降り立った。
青年は虫の息で、身体中血だらけで顔色も悪く意識がない。
ぴよぴよと囀り歩きながら、メイブは青年に怪訝な視線を向ける。
(この人間は何者なのでしょう…。よく『癒しの森』に入れましたねえ。森にはご主人様の
思案に暮れていると、ふいに何かを感じ取り、周りの木々を振り仰ぐ。
サワサワっと木立が揺れた。
(もしかしたら、森が彼を招き入れたのでしょうか…?滅多にナイことですが、こうして大怪我を負っているし、森が憐れみを感じて入れたのかもしれませんね)
『癒しの森』が自らの意志で招き入れたのなら、この青年を助けなくてはならない。そうメイブは確信した。
(とにかく、ご主人様のもとへ運びましょう)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます