#2 現地人との遭遇
意識が戻って、最初に見えたのは空だった。
雲一つない、抜けるような青さが覚めたばかりの目に染みる。
身体が少しだるい。異世界へ送られたことによる疲労だろうか。
ゆっくりと身を起こし、周りを見渡す。
そこは草木がうっそうと生い茂っていて、森の中といった場所だった。
ここは本当に異世界なのだろうか。あまり実感がわかない。
「とりあえず、人に会ってこの世界の事を詳しく聞きたいわね……」
そう呟き、歩きだす。魔物がいない世界と聞いていたけれど、念のため気を張りつつ、静かに進んでいく。
ここは異世界だから、人に出会えたところで言葉が通じるかわからない。
というか、通じないと考えた方が自然だろう。
けれど、私はいくつもの魔法を持っていて、その中には言葉がわからずとも意思の疎通ができるようになるものもある。
人に出会うことさえできれば、何かしら情報を得ることは可能なのだ。
やがて、森のような場所を抜けると、そこには草原が広がっていた。ここまでくる間、一切魔物の気配を感じなかった。魔物がいないという話は本当のようだ。
草原の草は短く刈り揃えられているから、人の手が入っているのは間違いない。問題はどこにその人間がいるのかということだ。
「まあ、近くにいるのが分かれば、もう解決したようなものよ」
私はまた独りごちる。
周囲に人が誰もいないと思うと、独り言って増えるものよね、なんて漏らした後、目を閉じて額に手を当てる。
大きく息を吐きだし、精神を集中させる。魔法を使うためだ。
「――!」
呪文を唱えると、自分の頭の中に周辺の様子が浮かび上がった。この草原の奥の方に、いくつかテント――私の世界のモノとは材質がだいぶ違うけれど――があるのが見える。それに、人の姿も。
と、そこで頭に浮かんでいた映像が掻き消えた。同時に極度の疲労感と空腹感が襲ってきた。
「なっ……!」
私はこの症状を知っている。魔力切れの時に起こるものだ。しかし、おかしい。私は元の世界でも、この魔法はよく使っていたけれど、こんなこと一度も無かった。
と、ここに来る前に言われていたことを思い返す。この世界では魔力の消耗が激しくなるということを。
それにしても、これほどまでとは……。自分がいた世界にも魔力を消耗しやすい場所というのはあったけど、そこでもこんなになったことは無い。
この世界は想像していた以上にヤバいのかもしれない。
「しょうがないわね。少し休もう」
私は動く事を諦めて、その場に大の字になって寝転がる。
魔力が切れた時は、魔力回復のポーションを飲むのが一般的だ。
それができない場合は、食事をして食物の中に含まれる魔力を摂取するか、安静にして空気に微弱に混ざっている魔力を吸って動けるようになるのを待つかしかない。
今、私はポーションも食料も無いので、身体を休めることしか選択肢は無かった。
にしても、この世界に魔物がいなくて助かった。元の世界でこんなことになったら、一瞬で魔物の餌食になってしまう。
という訳で、空腹に耐えつつ魔力が戻るのを待つことにしたのだけれど――。
全然ダメだった。
空気中の魔力が想像以上に少ないのか、身体に魔力が戻ってくる感じがほとんどしない。空腹感だけが大きくなる一方だ。
これはまずい状況だ。もはや罪滅ぼしどころでは無い。このままだと、普通に飢えて死ぬ。
……まあ、飢えに苦しみもう一度死ぬというのも、私に与えられた罰として受け入れるしかないのだろうけれど。
と、ぼんやり考え始めた時、少し遠くから何か聞こえてきた。
草を踏む足音が近づいてくる。音からすると、それは人間か、あるいはそれなりに大きい動物のどちらかだ。
そこで一つ、失念していたことを思いだす。
この世界に魔物はいない。けれど、野生動物くらいはいてもおかしくない。当然、大型の肉食動物も。
肉食動物にとって、恰好の獲物は、死体か動けなくなったものだと聞いたことがある。まさに今の私みたいな……。
近寄ってくる何者かの正体次第では、絶体絶命な状況だ。
無駄な事だというのは自分でもわかっていたけれど、息を潜めてみる。周りは背の低い草しか生えていない。遠くからでも丸見えだろう。せめてもの抵抗だった。
やがて、足音の主が私の前に姿を現した。
「んー? シートも敷かずにこんなところでお昼寝したら、せっかくのコスプレ衣装が汚れちゃうっすよ」
そこにいたのは、肉食動物ではなく人間だった。
ボサボサで明るい色のやや短めの髪。目はぱっちりとしていて、鼻は低く、丸っこい頬の幼い顔立ちの少女だ。小柄な身体には、オレンジ色の上着と藍色のズボンを身に着けている。
「別に昼寝しているわけじゃないわ」
少女に力無く返事をしながら、私は二つ安堵していた。
一つは、魔法無しで言葉が通じるということ。少し魔法を使っただけでこの有様なのだ。魔法を使って意思の疎通なんて、とても不可能だろう。
だから、魔法に頼らずにコミュニケーションが取れることがわかったのはかなり心強い。
そしてもう一つは、助けを求められそうな相手を見つけたことだった。
この子に事情を説明して、手を貸してもらおう。
「私、ちょっと訳あって……」
話をしている途中で、突然少女が私の隣に寝転がってきた。
何が起きたのかわからずポカンとしている私にお構いなしに、気持ちよさそうに身体を伸ばし始める。
「うーん。こうして何も敷かずに草の上に寝転ぶのもなかなか気持ちがいいっすね。あ、そういえば、なんか言ってたっすよね? なんすか? 全然聞いてなかったっす」
「……」
この短い間に、なんとなくわかった。
目の前にいるこの少女、だいぶ頭の具合がファニーな子のようだ。
けれど、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「……私、今空腹で動けないの。何か食べ物を持っていたら分けてもらえない?」
「え? 食べ物っすか? そうっすね……」
私の頼みに少女は起き上がり、服のポケットをまさぐりだす。
「あー、今は持ってないっすね……テントに戻ればあるんすけど」
「それなら、図々しいことを承知で頼むわ。私をそこまで連れて行ってくれない? 動けるようになったら、何かしらお礼はするから」
ダメ元で頼み込んでみる。この子を逃したら、いよいよ飢え死にコース確定な気がする。
「いいっすよ。ちょうど一人で退屈してたところだし」
人懐っこい笑顔を浮かべて、少女はあっさりとそう頷いた。
「ところでお姉さんは何て言うんすか? 私は塩見ゆとりっす」
「イザベル・マギストスよ」
「じゃあ、外国の人なんすね。日本語、すごく上手っすよ」
と、ゆとりは私の身体を軽々と背負った。私よりだいぶ背が小さいのにだ。
見た目に反して、結構力が強いみたいだ。
「よし。それじゃあ、行くっすよ」
「ええ。頼むわ」
そのまま、私はこの世界で初めて出会った少女の背に揺られながら、彼女のテントへと運ばれていくのだった。
……こんな調子で魔道具の回収なんて出来るのだろうか。
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