第17話
17話 夢の中で
(父上……父上……なぜ萌麗を置いていってしまったのです)
あれは寒い冬の朝だった。先帝陛下崩御の知らせを聞いて、母は床に崩れ落ちた。
『ああ……信じられない、なぜ……』
母はそう呟き続け、食事も喉を通らなくなり花が萎むように亡くなった。
『なにもお役に立てなくて、ごめんなさい』
(母上、それは私に向かって言っていたと思っていたけれど……)
宝珠の存在を知って、萌麗はそうではなかったと知った。天上を捨てるほどに恋した先帝陛下を喪い、悲しみに狂い死んでいく母の目に我が子は移っていなかった。
(これは……夢……)
悲しみに胸潰れそうになった萌麗に、慧英が見せてくれた夢だ。そう気付いた萌麗に呼びかける者がいる。
『萌麗……萌麗……』
『父上……』
萌麗は振り返った。その途端、自分が小さな女の子になっていた。
『萌麗、お前の兄だよ』
『お兄様……?』
父の背の向こうにはまだ十代はじめの少年が立っていた。
『君が萌麗か。僕は栄周』
『えいしゅう……』
『どうだ、かわいらしいだろう』
『ええ、そうですね陛下。まるでそこの梅の花のようだ。よし、こっちへおいで』
父に似た優しげな目元の少年に手招きされて、萌麗はその手をとる。
『ほらっ』
『わあ……』
年嵩の少年に肩車されて見下ろす庭はちょっとだけ新鮮で萌麗は歓声をあげた。高くて触れられなかった梅の花があんなに近い。
『ねぇ、萌麗……お前はずっとこのままでいておくれ』
『どういうこと?』
『母上のように僕を置いて行かないでくれ。僕を裏切らないでくれ』
『お兄様……?』
優しい兄の口調が変わる。見れば彼は両目から血の涙を流している。
『忘れては嫌だよ……きっと覚えていておくれ……皇太后は……母を殺し、父上も……』
『お兄様……!? お兄様……無理なの、萌麗にはなんの力もないから……ごめんなさい……ごめんなさい』
萌麗は無力さにポロポロと涙を流した。
『何を泣く?』
その時、聞き慣れた柔らかい声が萌麗の耳朶をくすぐった。
『俺がいるではないか、萌麗』
『……慧英様』
ああそうだった。この美しく力強い龍が今は萌麗の元にいるのだ。
『お兄様、待っていて。力を合わせて宝珠を見つけ、きっと呪縛から救い出してみせますから!』
ふっと空気が変わった。そしてそろりと目を開けると陽梅が額を手布で拭いていた。
「目を覚ましたか」
そしてその横には慧英と紫芳も居た。
「大丈夫ですか、うなされていましたよ。萌麗様」
「みんな……」
萌麗は寝台の上の自分を心配そうに見つめる三人を見回した。
「なんの力も……か」
「ん、どうしたんだ?」
「あ、いえ……」
そうだ。萌麗はもうなんの力も持たない忘れられた
「慧英様……父母と兄上――皇帝陛下の夢を見ていました」
「そうか」
「夢の中の兄上は母と先帝陛下を皇太后に殺されたと……それが本当ならば、なんて……」
萌麗はぎゅっと拳を握った。
「萌麗……。宝珠をきっと見つけ出そう。そしてそなたの仇を討とう」
「……はい」
萌麗の瞳から涙が一粒流れた。しかし、萌麗はそれをぐいっと拭った。ただ悲しみの為に泣いていては母と同じ道を辿ってしまうと。大丈夫、今の萌麗には力強い仲間がいる。
「泣くのはこれでおしまいです」
そう言って萌麗は旅の仲間に笑顔を見せた。
***
「慧英様」
夕食を終えて、寝間着に着替えた慧英の脱いだ服を手入れしながら、紫芳はぼそっと慧英に呼びかけた。
「人の世は……複雑ですね」
「そうだな。天界はなにもかも剥き出しの激しい世界だから」
「僕は、あんな小娘に慧英様が付き合ってやる必要なんてないってずっと思ってました。けど……あんな色々と抱え込んでいるのを聞いてしまうと……」
紫芳はちょっと困った顔をして俯いた。
「それが情というものだ、紫芳」
「情……」
「俺はあの大人しそうな萌麗が俺と旅をすると言いだした時に、彼女の覚悟を感じたのだ。だから手を貸した」
「今ならなんとなくお考えがわかります」
「……ふふ、あの子は不器用ですぐ思い詰めてしまう。お節介をしている自覚はあるが」
慧英はそう言って薄く笑うと、寝台に横たわった。
「ただ天帝陛下のいうなりに宝珠を集めるよりきっと意義深いと思うがな」
「ええ」
慧英は自分の言葉に頷きながらもまだ戸惑い顔の紫芳を目を細めて見つめていた。
「……お前の半身は人間だ。私よりも人の情をわかってやれるはずだぞ」
「……そう、ですね」
紫芳が己の人間の血をどこか嫌悪しているのを慧英は知っていた。人界に渡る事が決まった時、紫芳の父はそれを心配してこっそり慧英に相談にきたのだった。龍人は龍のなりそこないではない。息子はそれをわかっていないと。
「知識だけでなく肌で感じなさい。……さ、そろそろ寝よう」
慧英はそのことは紫芳に伏せながら、紫芳をそう諭した。
***
「宗主様、宗主様」
洞穴の中、一点の焚き火の灯りだけの暗がりの中で甲高い女の声が響く。
「
「宗主様のおっしゃるとおりにいたしました」
その顔に媚びた表情を貼り付けた女は、一見平凡な民家の娘に見える。
「そうか……では褒美をやろう」
宗主、と呼ばれた男は焚き火にかけていた大きな鉄鍋から椀になにやら注ぎ込む。
「ほれ」
それをまるで犬にでもやるように地面に置くと、白児はその椀に食らいついた。
「あっ……あっ……あっ……」
「浅ましいことだ」
四つん這いになり、椀の中身を啜り、一滴残らず舐めとろうとしている白児の姿に宗主の顔が嫌悪に歪む。だがその表情はどこか……満足そうでもあった。
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