第18話

18話 孝安の街


 その後萌麗達は北の街道を順調に進んでいった。なにもないまま三日ほど進んだ時のことである。


「紫芳、紫芳馬車を止めろ」


 急に慧英が紫芳に声をかけた。


「どうしましたか、慧英様」

「萌麗、これを見て見ろ。宝珠が……」

「あ、光っていますね」


 慧英の手の中の宝珠がぼうっと淡い光を発していた。


「……でも赤の如意宝珠だけですか」

「うむ、どうしたことだろう。この先の街になにかあるのだろうか」


 慧英は考え込んだ。しかし次の如意宝珠の手がかりは手元の宝珠しかない。


「……用心して進もう」

「はい」


 こうして四人は一里ほど先の大きな街にたどり着いた。


「おや、門番がいる」

「さすが大きな街ですね」


 地理的には南と北、そして都からの丁度中央あたりの街だ。交通と物流の要として大きくなった街なのだろう。


「こんにちは」


 萌麗は門番ににこやかに笑いかけた。ヒゲ面の一見いかつい門番はそんな萌麗ににこっと笑い返した。


「こんにちは。この孝安こうあんの街にはどういった御用ですか?」


 感じのいい門番である。慧英は馬車の覆いをめくって荷物を見せながら、答えた。


「北方に商売をしに向かっている」

「そうですか、最近治安があまり良くないようですから気をつけてくださいね」

「……ご親切にどうも」


 不自然なほどの愛想の良さである。慧英はどこかそれに不自然さを感じた。


「『熒惑』が更に反応している。皆、気をつけるように」


 そう他の者達に声をかける。三人は戸惑い顔をしながらも頷いた。


「旅の商人の方ですか?」


 その時、そんな一行に声をかけてくるものがあった。それは地味な細身の女である。


「そうだが?」

「宿がお決まりでなければ、うちの宿はいかがですか? 馬車も停められますし清潔で料理にも自信があります」


 慧英と萌麗は顔を見渡した。これまでいくつかの街を経由してきたが、宿の方から売り込みに来たのは初めてのことだ。


「なんだお前、胡散臭いな」


 紫芳はそう言って女を追い払おうとした。すると女は悲しそうな顔をして手を合わせた。


「ごめんなさい。新しい宿なのでお客が少なくて……でも先程言ったことは本当です」


 それを見た萌麗はなんだか女が不憫に思えた。


「ねぇ、そこでもいいんじゃないかしら。慧英様はどうですか?」

「一晩のことだ。どこでもかまわんが」


 それを聞いた女は顔をほころばせた。


「ではぜひぜひうちの宿に! こちらです」


 そう言って案内された宿は大通りから一本入った目立たない所にあったが壁も真新しく、造りもしっかりとしている。


「本当に客がいないな……」


 馬車を預け、四人は部屋に入った。他の部屋がシンと静まっているのを感じて、紫芳はぼそりと呟く。


「そうなんですよ、この街を行き交う商人の皆さんは定宿を決めてらして、うちみたいに新しく商売をはじめた所は呼び込みしないとなかなか……」


 女は荷物を持つのを手伝いながらそう答えた。


「あ、私はここの女将の白児と申します。精一杯おもてなしさせていただきますので」


 そう言ってぺこりと頭を下げて女は部屋から出て行った。その様子を見ていた萌麗が口を開く。


「どうやら本当に困っていたみたいですね。考えすぎなのでは?」

「しかし、先程から『熒惑』が光っている。どうしたことなのだろう」

「うーん、街を回ってみますか」

「そうだな」


 慧英がそう言うと、紫芳が勢い良く手を挙げた。


「はい! それならばお供いたします!」


 すると陽梅も手を挙げた。


「私もお供いたします」

「ではみんなで行きましょう。いいですよね、慧英様」

 

 萌麗がそう聞くと慧英は頷いた。


「では大通りから見て回ろう」


 そんな訳で、四人は連れだって孝安の街を見て回ることにした。


「わぁ……広いです」


 通りに出た萌麗は息を飲んだ。大きな通りに沢山の人が行き交い、ザワザワとしたさざめきが聞こえて来る。


「萌麗様、あれを見てください!」


 陽梅が興奮した声を出して萌麗の袖を引っ張った。


「あら……?」

「お猿の芸ですよ! かわいい!」


 人だかりの向こうには芸人が猿に鞠の上に乗ってくるくる回るように命じているのが見えた。


「ほう、よく躾けられているな。どれ、もう少し近くで見るか」


 四人は人混みをかき分けて、前の方に陣取った。ご褒美のドングリをムシャムシャ食べている猿の目はくりくりとして可愛らしい。猿回しの男はその猿の首に巻いた紐を引っ張って観客に声をかけた。


「それでは、この的にお猿が矢を射ます。見事、中心に当てたらどうぞ銭を投げてくださいまし!」


 そうして猿の的当てが始まった。一つ目の矢は的の端へ。ああ……という残念そう

な声が観客から漏れた。次の矢はまだ真ん中に近かったが外れ。そして最後の三本目。


「はい、見事に真ん中を射貫きました!」


 おおーっという声とともに銭が投げられた。


「すごいお猿さんですねぇ」

「どれ、我々も投げ銭をするか」


 感心する萌麗の顔を見て、慧英も銭を投げた。


「おありがとうございます、おありがとうございます。では観客の皆様に幸運が訪れるよう祈祷をいたしました護符をさずけましょう」


 猿回しの男はそう言うと、なにやら黒いものを猿に渡した。


「キッ、キッ」


 猿は観客に一つずつ、黒い陶片のようなものを渡していく。それはやがて萌麗達の前にもやってきた。


「キー」

「ありがとうお猿さん」


 一体護符とはなんなのだろう、と見ると黒い陶片に目玉のような模様が描かれたものだった。


「これは何かしら?」


 萌麗が首をひねっていると、横にいた客が得意気に口を挟んだ。


「知らないのかい、お嬢さん。これは近頃評判の李烓りけいという祈祷師の護符だよ。魔除けになるそうだ」

「祈祷師……ですか」

「ああ、この先にお堂を構えているんだ。家内安全から、商売繁盛までなんでもよく叶うのさ。うちも子供がずっと授からなかったのだけど、お布施をしたらすぐに授かったんだ」

「へぇ……」


 萌麗は祈祷師と聞いて東方朔のことを一瞬思い浮かべてしまい、苦い顔をした。けれど隣の人は本当にその祈祷師に感謝をしているようだった。


「良縁祈願もしてくれるよ、どうだい?」

「えっと、それは……」


 そんな男の言葉に萌麗は困ってしまった。すると慧英かするりとやってきて、萌麗の肩に手をやった。


「それは必要ない」

「慧英様……」

「おっと、これは失礼」


 美丈夫の慧英の姿を見た男は気まずそうに頭を掻いて立ち去った。


「祈祷師……」

「気になるか? 萌麗」

「良縁祈願はいらないですけど、ちょっと気なりますね」

「では、その祈祷師とやらを見て見るか。紫芳、陽梅付いておいで」


 こうして四人は、この街で評判の祈祷師、李烓の元に向かってみることにしたのだった。

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