第16話
16話 花と死
「ただいま帰りました」
二人がそう言いながら宿の部屋の扉を開けると、萌麗は両手を広げて迎えた。
「ちゃんと帰ってきたのね!」
「そりゃ帰りますよ、赤子じゃないんですから」
陽梅が呆れてそう言うと、萌麗は途端に口ごもった。
「そ、そうよね……あ、買ってきたもの仕舞ってらっしゃい」
萌麗は陽梅の手を引くと、部屋へと戻らせた。その姿をじーっと見ていたのは紫芳である。
「……わざと僕と陽梅を一緒にいかせましたね」
「ごめんなさい……私がそうした方がいいと言ったの」
「……そうですか。……余計なことを」
萌麗にいっぱい食わされたと知って苦い口調の紫芳に、慧英は問いかけた。
「余計だったか? あと二つ、宝珠を見つけるまでは一緒にいるのだぞ」
「……無意味では無かったです」
「……そうか」
紫芳の中で陽梅、そして萌麗への認識が少し変わったようだと慧英は感じた。ぶっきらぼうなのはまだうまく言葉にできないのだろう。
「紫芳、お前の父上は私の師だ。彼はこの旅で何を得るのか楽しみにしているはずだ」
「父上が……そうですか」
紫芳はバツが悪そうに視線を泳がせた後、ぺこりと頭を下げて部屋に引っ込んで行った。
「ふう、やれやれ……でも何かあったみたいだな。」
「喧嘩が減ればそれでいいです」
紫芳も心から怒っている訳ではないようだった。萌麗はそのことにほっとした。そんな萌麗の様子を見て慧英はぼそっと呟いた。
「萌麗……嬉しそうだな」
「え、そうですか?」
「俺と買い物をしている時よりも嬉しそうだ」
「え、えーと?」
萌麗はそんな慧英の反応に混乱した。
「少し妬けるな」
「ええっ」
どこかからかうような慧英のその言葉に萌麗の顔は真っ赤になった。すると萌麗の頭にポンと牡丹が咲いた。
「あらっ!?」
驚く声と共にもう一輪、もう一輪と花が咲いていく。
「……ぶ」
「あっ、慧英様! 笑ってないでこれをなんとかしてください」
「仙力の調整がまだうまく出来ないようだな。慣れだ」
「そんなぁ」
「まあ、もったいないから俺が戴くとしよう」
慧英は萌麗の肩を引き寄せると、頭から生えている花をむしってむしゃむしゃと食べてしまった。
「美味い、美味い」
「はあ……そんなに美味しいですか?」
萌麗は恥ずかしさを堪えながら慧英が花を食べるのを見ていた。
「ああ、天上の花は何よりのご馳走だ。……百花娘々の育てる花は特に好物だった」
「百花娘々……私の母ですね」
「ああ……まさか地上で子をなしていたとは思わなかったが……良く見れば、萌麗は母似なのだな」
慧英は天界での百花娘々の面影を萌麗の中に見た。いつもたおやかに微笑み、花に囲まれていた彼女。
「どうやってこの地上で暮らしていたのか知りたいな」
「私の知っている限りのことであれば……」
萌麗は日頃は、遠く記憶の奥に追いやっている母のことを思い出す。
「……母は、元は後宮の女官で『香麗』という名でした。母いわく、父上……先帝陛下の少しでもそばにいたくて女官になったそうです。その願い叶って母は父上に見初められ、妃獱となりました。小さい頃は毎日のように父上がやって来て、あれこれ今日会ったことを面白おかしく話してくれたのを覚えています」
「だが、先帝は亡くなったのだな」
「ええ、急病で……あら……?」
そこまで話して萌麗は違和感を覚えた。
「萌麗……?」
「あの、母は緑の如意宝珠を持っていたのですよね……そして私と違って生粋の花仙だった。なのに、先帝は病気で……」
「確かにおかしいな」
「まさか……」
萌麗の中で最悪の想像が頭を駆け巡る。
「先帝陛下は誰かに殺された……?」
「萌麗、ひどい顔色だ」
「あ……申し訳ございません」
慧英はふらつく萌麗を抱き上げると、部屋の戸を叩いた。
「どうしました……あ、萌麗様?」
中から出てきた陽梅が驚いた顔をする。慧英はぐったりとした萌麗を寝台に横たえた。
「眠りの術をかけよう。少し休みなさい」
そう言って慧英は萌麗を無理矢理に眠らせる。
「……先帝の死、か……」
汗ばんだ萌麗の額に手をやって、慧英は小さく呟いた。
***
その頃、稀国の宮殿では皇太后が政務に当たっていた。
「……ご報告は以上になります」
「よい。ああ、そうじゃ、大寺院の建築はどうなっている」
「は、予定通りに工事は進んでおります。今は職人総出で屋根の飾りを作っております。完成すれば金に煌めくこの世の極楽浄土のようなお堂となるでしょう」
「……なるほど」
皇太后は官吏に向かって下がって良いと指示をした。そして後ろで控えていた東方朔に話しかける。
「完成が待ち遠しいの、東方朔」
「ええ、しかし金の飾りだけですか、少々地味ではないですかね」
「そうかの」
「そうだ、屋根のてっぺんには鳳の彫像を飾りましょう」
「ほお、良いのう。しかし資金が……」
そう渋る皇太后を東方朔は笑い飛ばした。
「そのようなものに皇太后様が気をもむ必要はありません。国庫に金が無ければ民から取り立てればいいのです。もしくは不正に蓄財している不届き者から取り上げてもよいかと」
「む、どこのどいつじゃ。そのような不心得ものは……」
「実は……」
東方朔は皇太后の耳に囁いた。その名は東方朔の存在を軽んじ、疎んじている官僚どもの名であった。
「わかった。そいつらは斬首だの。ところで萌麗どもは今どうしてる」
「はい、南端の街から北上をはじめたようです……」
「北方か……あちらの反乱軍にでも殺されるのだろうか?」
「そこまでは私の卜占では……。まあ可能性は高いでしょう」
「そうか……まあ私の手を下すこともなく死んでくれるならよしとしよう」
そう皇太后は言って少し遠くを見つめた。過去の己の所業を思い浮かべながら……。
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