第12話
12話 守りたいもの
萌麗がほっとすると同時に、急に体から力が抜けた。と、同時に鬼に攫われた恐ろしさがまた襲いかかってきた。思わず萌麗はかくん、と膝をついてしまった。
「萌麗、大丈夫か」
「は、はい……強がってはいましたが……やはり恐ろしかったです……」
「この慧英が付いている。安心しろ」
慧英が慰めるようにそんな萌麗の背を撫でた。
「ところで、街の人にどうやって鬼を倒したとお知らせしましょうか。宿の人にお伝えして信じて貰えるかしら」
ふと、萌麗は疑問に思っていたことを口にする。
「む?」
「だってお知らせしないと、街の人はいつまで鬼から隠れていないといけないかわからないじゃないですか」
「それもそうか。よし、まかせろ」
慧英は唇に指を当て、息を吹いた。すると、山の枯れ葉が一気に集まり、三人の目の前に山積みになる。
「見ていろ」
慧英はそう言うと、その山に思いっきり息を吹く。すると枯れ葉はふわっと浮き上がって光を帯びて街の方に飛んでいく。まるで花火のように。
「今、何をしたのですか」
「これを街にばらまいたのだ、萌麗」
慧英は枯れ葉の一枚を萌麗に渡した。そこにはこう文字があった。
「『鬼、討ち取ったり』……ですか」
「ああ。これが町中にあれば何かあったと思うだろう」
「そうですね。すごいです、慧英様!」
萌麗に笑顔が戻ったのを見て、慧英は口の端に笑みを浮かべた。そして夜が明ける前に三人はこっそりと宿に戻ったのである。
「ずるいです、僕だけ留守番なんて」
宿に戻ると不満げな紫芳がぶすくれた顔をして待ち構えていた。
「しかたないだろう、誰か宿に残らねば、人がもし訪ねて来た時に誤魔化す
者がいなかったのだから」
「むう……それは、そうですが」
紫芳がそう唸るように答えた時だった。慧英の懐から鈴の共鳴するような音がし出した。
「……宝珠が……」
慧英が懐から三つの宝珠を取りだした。萌麗は窓に駆け寄ってかんぬきで閉じていた鎧戸を開ける。すると以前もそうだったように宝珠は月光を跳ね返した。
「山の方と反対側だから、北か……」
「また来た道を戻るのですか」
「そうなるな……ま、仕方あるまい。宝珠は我々に都合良くは反応しないのだから。皆、今日はもう遅いからもう寝よう。明日からまた馬車の旅だ」
慧英にそう言われて、萌麗は頷いた。もう外はうっすらと朝の気配がしている。萌麗達は少しでも休もうと寝台に潜り込んだ。
***
その頃、都の城――その後宮の皇太后の居室にて、東方朔……例の怪しげな道士が無言で香炉になにやら香を放り込んでいた。白い煙がゆらゆらと室内に立ちこめている。
その煙の中で、皇太后は北方よりの献上品の強い蒸留酒を呷っていた。
「ふう……東方朔。我が姪、黄貴妃の懐妊はまだかの」
「こればっかりは皇帝陛下のお渡りがありませんと」
「ふん……阿呆のくせにままならぬ」
「……陛下は養い子でございましょうに、恐ろしい方だ」
そう、他人事のように言う東方朔。一見、ただの優男に見える、がその目は黒い泥のようで表情が見えない。
「妾は、ようやっとこの国を手に入れたのだ。皇帝が死ぬ前に妾の血統の子孫を残し、盤石にせねば。なんとかしておくれ」
「はい……北壁の反乱軍が落ち着いたらそちらに取りかかりまする」
「頼むぞ。ようやっと目障りな萌麗もこの後宮から追い出したのだからな」
皇太后は再び強い酒を呷った。
「あの予言は本当じゃろうな」
「ええ……公主様……いえ、楊萌麗はこの旅で死にます」
「ふふふ……そうか」
「それにしても、あの方は後ろ盾も無く無害でしょうに、なぜそのように目の敵にされるのです」
東方朔の言葉に、皇太后は顔色を変えた。そして東方朔に向かって杯を投げつける。それは彼の額に当たって地面に砕け散った。
「あの者は! 妾から陛下を奪った卑しい女の子供なのだ!」
「申し訳……ありません……」
東方朔の額から、一筋血が流れ落ちる。
「……よい。済まなかった……近うよれ……」
「は……」
皇太后は側に侍った東方朔の顎を掴むと、その額に流れる血を舐め取った。
「……早う、死なぬかのう萌麗……」
そしてうっとりとそう呟くのだった。
***
「……はあ」
萌麗はもう何度目かの寝返りを打っていた。横で陽梅はぐっすりと眠っているが、萌麗は鬼退治の興奮の所為だろうか、眠ることが出来ないでいる。萌麗は少し外の空気でも吸って気分転換でもしようと、そっと寝台から抜け出した。
「ふう……」
窓を開けて萌麗は深く息を吸い込む。
「眠れないのか?」
その時、後ろから声をかけてきたのは慧英である。
「あ、慧英様。起こしてしまいましたか?」
「いや、少し喉が渇いただけだ。水……飲むか?」
「あ、はい」
慧英は水差しから器に水を注ぐと萌麗に渡してくれた。
「少し、気が立っているのでしょうか。何か眠れなくて」
「そうか……」
「申し訳ありません、無理矢理ついてきたくせに……」
萌麗がそう言うと、慧英は首を傾げた。
「萌麗、そなたはいつも済まなそうにしているな」
「……私は、役立たずですから」
「そう、何度も申すが俺は萌麗をそんな風に思ったことはないぞ」
「……」
「今日もおとりを立派につとめたではないか」
慧英はそういいながら、子供にするように萌麗の髪を撫でた。萌麗はその手のぬくもりを感じながら俯いた。
「不安、なのかもしれません」
「不安?」
「父上も、母上も……私を置いて亡くなってしまった。……何も出来なかった。陛下……義兄上にも……と。私が慧英様のようにもっと力があれば、強ければいいのに……考えても仕方ないのにずっとそんなことを考えてしまいます」
「……そうか」
ずっと萌麗の髪を梳いていた慧英は手を止めると、懐に手をやった。そして何かを取り出すと、萌麗の手に握らせた。
「守ってやればいい、と思っていたが……こうした方がいいのだろうな」
「これは?」
それは薄く切り出した翡翠のようなものだった。
「それは私の鱗だ」
「慧英様の……鱗……?」
「ああ。それがあれば俺の仙力を少し分けてやれる。そうすれば萌麗、そなたは花仙としての力を少しなら発揮できるだろう」
「そんなことが……」
「その力でこの旅を助けてくれ」
慧英はそう言って目を細めて笑う。萌麗は慧英の優しさに胸がぎゅっとするのを感じた。
「ありがとう……ございます」
「さ、少しでいいから眠るといい」
「はい」
萌麗は部屋に戻り、慧英の鱗を抱きしめながらすっかり朝になるまで眠った。
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