第11話

11話 無常姫


「萌麗様、上着を召した方がよろしいかと」

「ありがとう。陽梅の準備は大丈夫」

「は、はい」


 一生懸命冷静に振る舞おうとしている陽梅だが、少しその手は震えている。それは萌麗も同じだった。いくら大丈夫だと言い聞かせてもこれから鬼探しのおとりになるのかと思うと恐ろしい。


「大丈夫……大丈夫……」


 萌麗はギュッと慧英に渡された短剣を握りしめた。そして二人は扉を叩かれる音で顔を上げた。


「刻限だ。萌麗、陽梅」


 戸を開けて外に出ると、慧英は二人を安心させようとしてか、うっすら微笑みを浮かべて立っていた。


「萌麗、宿を出て左の方へずっと進むんだ、何かあればすぐ駆けつける」

「……はい」

「大丈夫、花仙の血を引く萌麗の気配を辿るのは簡単だ」

「ええ、そうですね。陽梅、私から離れないでね」

「は……はい」


 萌麗は陽梅の手をしっかりと繋ぐ。陽梅もその手をぎゅっと握り返した。さて、宿は寝静まって、しんとしている。萌麗と陽梅はそっと出口を開けると外に出た。


「耳が痛いくらい静かですね」


 陽梅が思わずそう呟く。通りには灯りのひとつも無く、誰も居ないようだ。不気味な光景を陽梅の持った灯りがチラチラと浮かび上がらせる。


「まず、宿を出て左よ」


 萌麗と陽梅は身を寄せ合って指示された方に歩いて行った。


「ああ~。ドンドン離れて行く……」

「ちょっと、なんて声を出すの、陽梅」


 宿がずっと遠くに、見えないくらいになると陽梅はぶるぶると震えだしうずくまった。


「萌麗様、よく平気ですね」

「平気じゃ無いわ……でも、慧英様を信じているから」


 すぐに駆けつける、そう言ってくれた慧英を信じている。だから萌麗はまっすぐに立っていられるだけだ。


「さ、陽梅。もうちょっとよ」

「はい、萌麗様」


 萌麗は陽梅を抱えるようにして立たせると、先に歩きだそうとした。その時である。


「ちょっと、あんた!」

「ひゃっ」


 急に声をかけられて、二人は飛び上がった。


「夜に出歩くと危ないって、聞いて無いのかい?」


 するとそこには男がひとり立っていた。男は心配そうに二人を見つめている。


「ごめんなさい……あの、もう帰りますので」

「そうかい……それは残念だなぁ。きっと帰れないぞぉ」

「え?」


 急に男の声色が変わった。驚いた萌麗がその男を見るともうその男は人の姿では無くなっていた。六つもある目が金色に爛々と光っている。


「ははは! これは美味そうな娘がふたりも!」

「あわわわ、逃げましょう! 萌麗様!」

「え、ええ!」


 萌麗と陽梅は震える足をなんとか動かして、来た道を戻ろうとした。


「きゃっ」


 しかし、なにか糸のようなものが足にからまりついて、二人は地面に叩きつけられた。


「逃すわけあるまい!」

「な……」


 萌麗は短剣を抜こうとした。だが、大量の糸が二人に襲いかかってグルグル巻きになっていく。


「待って……慧英様……」


 萌麗はふっと気が遠くなるのを感じた。




「でかした無蓋。とても良い獲物を二匹も」

「若い娘など久し振りでしょう。無常姫様」

「若く美しい女の血は格別だからの……さすが我が子じゃ。無業も無心も仙人がいたなどと言って怯えてないで、きちんと狩りをせんか」

「申し訳ありません、無常姫様」


 萌麗は糸の中で目を覚ました。しっとりと緑と土の匂いがする。山の中なのかもしれない。だが、山の中にしては、虫の声も獣の声もしなかった。代わりに何か話声が聞こえる。


(慧英様は、まだなのかしら)


 萌麗は身動きを取ろうとしたが、ぎっちりと糸が絡まって動けない。


「……おや、今宵のご馳走が目を覚ましたようだ」


 甲高い女の声がしたかと思うと、突然全身の糸が緩んだ。


「げほっ」

「萌麗様!」


 息苦しさから解放されて、萌麗が咳き込んでいると、同じく糸から解放された陽梅が駆け寄ってきた。


「きゃああっ!」


 すると陽梅の体が宙に浮く。いや、浮いたのではなく糸で吊されていた。


「助けて!」

「陽梅!」

「あははは、良い声だ」


 萌麗は甲高い声のする方を振り返って絶句した。そこには六つの目の人面に蜘蛛の手足のついた鬼が四匹いたのである。声の主はその中でも一際大きい一匹のようだった。


「きゃあああっ!」

「ははは、女の悲鳴はいつ聞いてもいい!」


 萌麗が悲鳴をあげると、鬼はゲラゲラとわらった。そして萌麗の手足にも糸が絡みつき、逆さに吊される。慧英から貰った短刀が地面にがらんと落ちた。


「それ、もっと泣け……! お前は特に美味そうな匂いがする」

「ぐっ……」


 萌麗は心の中で慧英の名を呼んだ。このままでは鬼に食われてしまう。萌麗はぎゅっと目を瞑った。


「さて、無体はそこまでにしてもらおうか人食い鬼共」


 その時、聞こえたのは低く柔らかいあの声だった。


「慧英様……!」

「我が名は慧英。天界に住む花龍、神龍将軍である」


 慧英は樹よりも高い空からすっと音も無く現われ地面に降り立った。


「……我はこの山に住む妖怪、無常姫。天界の神仙がなんの用だ」

「この者は旅の連れなのだ。返して貰う」

「そういう訳には行かない。子供達が腹を減らしているのだ!」


 無常姫の糸が慧英に向かった。慧英は腰の剣を抜くとそれを一太刀で断ち切った。


「……妖怪ごときが……」

「何を!」


 今度は三匹の子蜘蛛鬼が一斉に慧英に襲いかかる。慧英はまるで踊るように剣を振るう。一薙ぎで一匹を真っ二つに、返す刀でもう一匹の首をはね、最後の一匹は上から串刺しにした。


「子供達! ……おのれ」

「何故急に人を襲いだしたのだ。無常姫とやら」

「赤い石を食べたら急に力が湧いての。だが以来腹が減ってかなわぬ」

「なるほど……」


 慧英はスッと姿を消した……かの用に見える速度で無常姫との距離を詰めた。そしてその顔をガッと掴んだ。


「があああ!」

「ではその赤い石は腹の中にあるのかな」

「放せ……放せ!」


 ガチガチと無常姫は歯を鳴らし、慧英に噛みつこうとする。だが慧英は気にすることもなく無常姫の腹に剣を突き立てた。


「ぎゃああああ! やめて、死んでしまう!」

「お前の餌になった人間もそう言ったんだろうな」


 慧英は剣を振り、無常姫の腹を引き裂いた。すると赤い石がころりと転がり出た。そして転がり出た石を拾い、月明かりに照らした。


「ああああ!」


 無常姫の体がボロボロと黒く崩れていく。慧英はそれをじっと冷たい目で見ていた。


「……赤の如意宝珠『熒惑』、ここにあったか」

「あのー……」


 そんな慧英に遠慮がちに声をかけたのは萌麗である。


「すみません……助けてください」

「あ、すまん」


 慧英はあわてて逆さ吊りのままの萌麗と陽梅の糸を切り、地面に下ろした。


「ううーん」


 気を失っていた陽梅はようやく目を覚ました。


「陽梅、もう終わったわ。慧英様の立ち回りかっこよかったわよ」

「萌麗様……無事でしたか」

「慧英様、それが悪を滅する赤の如意宝珠ですか」

「ああ、妖怪が体内に取り込んだせいで逆の力を発揮したのかもしれんな。もうこの山に鬼はいない。ほら、耳を澄ませてみろ」


 慧英にそう言われて、萌麗は周りの音を聞いてみた。すると、先程はなかった虫の音が聞こえてきた。


「良かった……」


 如意宝珠も手に入り、これで麓の街にも平和が訪れそうである。

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