第10話
10話 鬼さんこちら
四人が早めに夕食を終えると、外がうっすらと暗くなる。
「失礼いたします」
すると宿の下男がやって来て窓を閉め、かんぬきまでかけてしまった。
「そこまでするのですか?」
「ええ……こうして塞いでさえいれば鬼は入ってこないので。ガリガリ引っかかれても開けないでくださいね」
下男は心底恐ろしい、といった調子で答えた。それにしても窓のすぐ外まで鬼がやって来るとは。萌麗が思ったよりも事態が深刻なのに驚いていると、横に居た慧英が下男に聞いた。
「鬼はいつから出てくるようになったんだ?」
「はぁ、そろそろ半年くらいになるでしょうか。日が落ちると何匹もやって来て街をうろつくのです。山の方から降りてくるのを見た、という者もおります。旅の道士がやっつけるといって山に行って帰っては来ませんでした」
「それは難儀だな」
「ええ、身軽なものはこの街を離れるようになって来て、商人の姿も減ってしまったのです」
そう言って下男はため息を吐きつつ、部屋を出て行った。
「慧英様……気の毒ですね」
「ああ。しかし……なぜ鬼がこの街の近辺に出るようになったのか……とにかく夜、皆が寝静まったら街を見回ってみよう。萌麗、危ないから付いてきてはいけないよ」
「わかりました」
萌麗は、早いところ慧英が鬼を退治してこの街に平和が戻る事を祈った。
しかし、ことはそう単純に収まるものでもなかったのである。
「何も無かった、ですか?」
翌朝、朝食の粥を一緒に食べながら萌麗は慧英に聞き返した。
「ああ、街をぐるぐる廻ったのだが、宝珠も反応しなかったし、鬼には出会わなかった。気配を察したのかもしれん」
そう慧英が言うと、後ろで控えていた紫芳が口を出した。
「その鬼は懸命です。慧英様ほどの神仙ならば、ひとひねりですから」
「鬼を褒めてどうする」
慧英はふうとため息をついて今見つかっている如意宝珠を見つめた。
「この街ではないのかもな」
「そんな……では、この街をもう出るのですか」
「萌麗……」
「この街の人は困っているのに、見捨てるのですか?」
萌麗はそう言ってしまってから、慌てて口を塞いだ。
「すみません、出過ぎたことを」
「いや、確かにその気になれば鬼を仕留められるものを、そのままにするのも気分が良くない」
「慧英様」
「だが、俺が行っても逃げ回られるだけだ。……萌麗」
慧英はじっと萌麗を見た。
「……あの、もしかして」
「ああ。萌麗、鬼は若い娘を好くと言うではないか。おとりになれ、萌麗」
自分が鬼のおとりになる、と聞いて萌麗はごくりとつばを飲み込んだ。しかし、慧英にだけ犠牲を強いる訳にはいかない。
「……分かりました、きっとお役に」
「ちょっと待ってください!」
そこに声を荒げて飛び込んで来たのは陽梅だった。
「公主様を鬼退治のおとりにするなんて!」
そう叫ぶ陽梅に、紫芳は冷めた調子で口を挟んだ。
「人の世の王の子がなんだというのだ」
その言葉に、顔を真っ赤にして陽梅は反論した。
「だまらっしゃい! 萌麗様は先帝陛下が最も慈しんだ公主様です。おとりに使うなら私を!」
「よ、陽梅! ちょっと落ち着いて、ね?」
萌麗は慌てて陽梅を止めた。
「慧英様がいるから大丈夫よ」
「でも、もしもということもあります!」
「俺はみすみす萌麗を鬼の餌にするつもりはないがな、ではこうしよう。陽梅、お前もおとりになればいい」
「わ、私もですか……」
「ああ、それとも怖いか?」
「いえ! そうですね。それなら近くで萌麗様をお守りできますし」
「なら、決まりだな」
こうして萌麗と陽梅は鬼のおとりとして夜、街を歩くことになった。
「あああ、私ったら……」
「怖いのならいいのよ、私だけでも」
すっかり慧英に乗せられた形になった陽梅は、朝食が終わると部屋で頭を抱えていた。
「違うんですー! 萌麗様をお守りするつもりだったのに!」
「いいのよ、私は慧英様のお役に立てて嬉しいわ。慧英様は天界の武官、将軍であらせられるのよ。大丈夫よ」
「だと、いいですけれど」
珍しくうじうじと自己嫌悪に陥っている陽梅に、萌麗は用事をいいつけることにした。
「さ、それより、沐浴の用意をしてちょうだい」
「こんな時にですか」
「だって、馬車で田舎道を通ってなんだかずっとほこりっぽいんですもの。今日は晴れているし、やることもないんだから」
「あ、そうですね……畏まりました」
陽梅は萌麗にそう命じられて部屋を出た。何か用をこなせば彼女の気も紛れるだろう。萌麗の思惑通り、沐浴の終わる頃には彼女はいつもの通りになっていた。
「ふー、さっぱり」
「萌麗様、御髪をときますのでじっと……」
陽梅に髪をすいて貰いながら、萌麗はほらね、と心の中で頷いていた。すると、部屋の扉が叩かれる。
「はい?」
「萌麗、俺だ。入ってもいいか」
「え、あ……ちょっと待っててください」
萌麗は慌てて湯上がりの
「あの、すみません。このような格好で」
「あ……湯に入っていたのか……」
湯上がりの萌麗は白い肌に赤みが差し、濡れた髪が黒々としている。湯に入れた花の香りをほのかにさせた萌麗を見て、慧英はすっと視線を外した。
「何か御用なのでは?」
「あ、ああ……これを。ああは言ったがもしもの時のお守りだ」
慧英が差し出したものそれは短剣だった。
「まあ、ありがとうございます」
「神仙の気配のしないよう、本当にただの短剣なのだが……その……」
「いえ、心強いです。私たち、しっかりお役目を果たせるようにしますね」
短剣を受け取った萌麗は慧英に礼をした。
「ああ……」
そんな萌麗に向かって慧英はそう答えると、少しギクシャクとしながら扉を閉めた。
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