第4話
4話 旅立ち
見送りは不要、と慧英に厳命されたため広場は無人のまま。ただ、皇太后と皇帝とその護衛だけが遠くから見ているという異様な状況で、がたごとがたごとと馬車は宮殿を抜け、城下の街へと向かって行った。
見慣れぬ格好の人々に建物、喧噪、そして変わった匂い。そこで萌麗は、生まれて初めて宮殿の外に出たことに気が付いた。
「これが……外……」
「公主殿ははじめて見るのか」
目を見開いて外の風景に見入る萌麗に、慧英はそう聞いた。
「ええ。私は後宮で生まれて、後宮で育ったので……」
「そうか」
慧英は好奇心を抑えきれないでいる萌麗を見て微笑んだ。そのまま馬車は街の外れを突破して、人家がぽつりぽつりとある郊外へと抜けて行った。
「さて、人気がなくなりましたので一度止まります」
御者を努めていた紫芳がくるりと二人を向いて、馬車が止った。
「さて、それでは装束を改めてください。ここから先は天帝の使者であることは伏せて進まねばなりません」
「そうだな」
着替えをするのなら萌麗は一旦馬車から降りた方がいいだろう、と萌麗が立ち上がろうとすると、慧英はそっと萌麗の手を引いた。
「それには及ばない」
慧英はぱちんと指を鳴らした。すると先程までの鎧姿は消え失せて、どこぞの小金持ちのような服装になった。尖っていた耳も人のようになっている。
「旅の商人という設定だったな、紫芳」
「はい。それでよろしいかと」
紫芳は慧英の言葉に頷いた。
「では公主殿は……」
「あ、あの私の名前は萌麗と申します。外で公主はそれこそまずいかと」
「萌麗か……良い名だ。では萌麗、私と夫婦という設定にしておこう」
「め、夫婦ですか……」
「そう、旅の商人夫婦だ」
仮の姿とは言え、夫婦と言われて萌麗は気恥ずかしくなった。
「あ、では私も着替えを……陽梅」
「恐れながら……萌麗様はそのままでもいけると思います」
「あ、そう?」
普段から地味で質素なのが幸い……といっていいのかわからないが、萌麗の出で立ちは裕福な商人の若女房で十分通るものだった。
「そして紫芳は見習いの下男。そちらの……」
「陽梅は……私の妹でどうかしら」
萌麗がそう言うと、陽梅は顔の前で手をブンブンと振って拒否した。
「そんな恐れ多い、私も下女で結構です。公主様」
「わかったわ。でも呼び名は萌麗よ」
「……はい、萌麗様」
「ではこれでいいな」
ようやく旅の体勢が整った。今日の予定では帝都を出て一番近くの街にとりあえず向かうと慧英は萌麗に説明した。
「女性たちに野宿はさせられないからな。とりあえず宿のあるところに向かおうと思う」
「申し訳ないです……」
「気にするな。宝珠にまだなんの反応がない以上、元々手探りの旅なのだ」
小休憩のあと、馬車は街へと辿りついた。まだ日は高かったが、とりあえずここに宿をとることになった。
「では宿を探してきます! じっとしといてください」
そう言って紫芳は元気に街に駆けだして行く。残された萌麗たちは街を見渡した。すると萌麗のお腹がぐうと鳴った。そういえば朝から何も食べていない。
「すみません! すみません!」
恥ずかしくて身もだえそうな萌麗に、慧英は笑いかけるとこう言った。
「では我々は昼食といくか。
「でも紫芳を待たないと……」
「あれも天界の者だ。私のいるところはわかるはずだ。さて萌麗、どこに行けばいいかな」
「はあ……私も街ははじめてなもので」
萌麗はいきなりの無茶ぶりに困ってしまった。ちらりと陽梅を見ると、彼女もどうしたらいいかわからなそうだった。彼女だって街は不慣れなのだ。ただ、陽梅は機転が利いた。そう、わからないことは聞けばいい。それが彼女の処世術だ。
「あの! ここらでおすすめの料理屋を教えてください」
陽梅はいきなり通りすがりの人を引き留めて、店を聞いた。それも五人も。
「五人中三人が、『菜香の卓』という料理屋を薦めました。そこに行きましょう」
その手際に、慧英と萌麗は顔を見合わせた。
「なんというか……頼もしいな」
「はい……」
陽梅を先頭にして三人はこの街の人間が薦めた店に向かった。
「へいらっしゃい」
「三人……とあとから一人来る」
「あいよ。なんにしましょう」
「この店は美味い店と聞いた。適当にくれ」
「あいよ、うれしいねぇ」
愛想のいい主人が出迎えてくれたその店は決して立派な作りではなく、椅子もテーブルも簡素なものだったが、店も客も活気があった。
萌麗は初めての後宮の外の食べ物屋にドキドキしている。すると、通りの向こうから仏頂面の紫芳がやってきた。
「もう! じっとしていてと言ったじゃないですか」
「萌麗が腹を空かせてるんだ」
「すみません……すみません……」
「まあ、いいですけど。……美味そうな店じゃないですか」
紫芳はさっきまで怒っていたくせに、次々料理が運ばれてくるとけろりとした顔をして手のひらを返した。
運ばれて来たのは熱々の鶏の
「うんまい!」
紫芳が一口、湯を飲んで笑顔になった。それを見て萌麗も一口湯を口にする。
「……あつっ」
「萌麗様、気を付けてください」
「湯ってこんなに熱いのね」
たった今、厨房から出来たての料理は萌麗がびっくりするほどとても熱かった。慧英もふうふう言いながら、卵の蒸し物を食べている。
「……美味い」
慧英の端正な口元に笑みが浮かぶ。店主はそんな慧英に声をかけた。
「お客さん、美味しそうに食べるねぇ」
「人里の料理は工夫があって良い。おもしろい」
「ははは、そうかぁ」
店主は満足そうに頷いた。そうしているうちに萌麗たちは出された食事をぺろりと平らげる。昨日は食事をして具合が悪くなった慧英も満足そうだ。
「それじゃお代を戴きましょうか。三十銖です」
「お代……?」
この中で恐らく主人だろうと思った慧英に、店主が声をかけると慧英はきょとんとした顔をして聞き返した。
「あ、あんた料理を食っといてお代を払わないつもりじゃ……」
それまで柔和だった店主の顔が引き攣った。
「あ! お代ですね。こちらにこちらに」
そこに割り込んだのは紫芳だった。財布から十銖銭を三つ出すと、店主の手に握らせる。
「へえ、毎度」
金を受け取った店主は用は済んだとばかりに奥に引っ込んで行った。
「駄目ですよ、慧英様。人界では何かものや食べ物を受け取ったらこういう代金を払わなきゃならないんです」
「そうだったな」
そう紫芳に囁かれた慧英は気まずそうに頬をかいた。一方、萌麗はその一連のやり取りを見てあることに気が付いた。
「あ、私達のここのお代! それから宿代も……陽梅もってきたかしら」
「はい、少々ですが」
そんな二人に、慧英は咳払いをしてから答えた。
「こらこら、そこの二人から金を取る気はないぞ」
「え……でも……」
「この店を見つけたのも陽梅だしな。どうしてもというなら旅の為に働いてくれ」
「は、はい!」
誰かの為に働く……それも萌麗にとっては初めての経験だ。萌麗はちらりと陽梅を見て、同じ様に役に立てるかしらと心配になった。
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