第5話

5話 五つの如意宝珠


「さて、宿に行こう。慣れない馬車で体が痛くはないか?」


 でもそんな萌麗の心配など気にもとめず、慧英はそう聞いてくる。


「いえ、まったく!」

「え、本当ですか!? 私はおしりが痛くて痛くて……」


 元気に答えた萌麗とは逆に、陽梅は腰をさすりながらぼやいた。


「ふーん、萌麗は半分花仙だからかな。紫芳、お前もなんともないだろう」

「はい、慧英様」

「ええ……?」

「紫芳は半分龍、半分人間の龍人なのだ」

「おっと、そこらの半仙と一緒にしてもらってはこまります。僕はあと二百五十年、天界に仕えれば龍になるのですから」


 紫芳はどこか誇らしげに言った。ということは自分が花仙になることも可能なのだろうか、とちらりと萌麗は思った。しかしそんな考えは紫芳と陽梅の声にかき消された。


「さ、宿はこっちです」

「萌麗様、ほら迷子になりますよ!」

「あ、待ってちょうだい」


 宿はそこからちょっと歩いたところにあった。白く大きな建物は、萌麗たちの住んでいた恒春宮よりもよほど立派だ。


「この街で一番の宿だそうで」

「あてどのない旅なのに、お金は大丈夫ですか?」


 さっきの料理屋での一件を思い出した萌麗は紫芳にそう聞いた。


「資金は天帝よりたっぷりと戴いていますから。下手な宿に泊まると危ないですよ」

「そう、そういうものなのね」


 紫芳の取った宿は居間に部屋が二つついている。ここはさすがに男女別にしてもらった。荷物を置いてようやく身軽になって、おのおの寛ぐことになった。


「何にも言わないな……」


 慧英は居間で懐から緑の如意宝珠を取りだして、じっと見た。萌麗もその宝珠を覗き混む。


「どれくらい近くにあると反応するのでしょうか」

「わからん。この宝珠にも意志のようなものがあるのだ。萌麗の部屋で輝きだした時もそうだったろう」

「ああ、そうですね」


 あの時、宝珠は天帝の使いである慧英に見つけて欲しかったのだろう、と萌麗は思った。


「この緑の宝珠は病を癒し苦悩を遠ざけると言いましたね。他の宝珠はどのようなものがあるのですか?」

「白の宝珠・『太白』は金銀財宝や食べ物をいくらでも出せる、赤の『熒惑』は悪を除去し、黄の『鎮星』は災禍を防ぐ、黒の『辰星』は濁った水を清らかに治める力がある。五つあればこの世のどんな願いも叶えるというものだよ」

「へぇ……」


 赤の宝珠、それがあればあの東方朔を追い出せそうだ、と萌麗は思った。しかし別の疑問が頭をもたげる。


「あの、どうしてそんな大変なものが地上に?」


 萌麗がそう聞くと、慧英の顔がさっと曇った。


「うーむ」

「……どうしました?」


 どちらかというと常に無表情な慧英の顔色の変化に、萌麗は何か悪いことを聞いてしまったのかと慌てた。後宮ではあまり人と接しなかったせいか萌麗には少々常識とかそういったものが抜けている。この旅の序盤から萌麗はそれを自覚していた。だから今回も何か失敗してしまったのかと思ったのだ。


「いや、口止めは特にされてはいないのだが……。実は宴で酔った天帝様が天女に鞦韆ぶらんこを競わせてな。その褒美をやろうとした際に手を滑らしたのだ」

「……そんなことで、ですか」


 萌麗がきょとんとしてそう言うと、慧英ははーっとため息をついた。


「そうなのだ。俺は花龍で人を食わんから丁度いい、宝珠を取ってこいと……」

「まあ。人を……?」

「天界は人界の人間たちが考えるほど平和なところではないよ。聖と邪が混沌とした世界なのだ」

「へえ……」


 萌麗の母はそんなところからやってきたのか、と萌麗は亡き母を思った。と、同時に疑問が湧いてくる。


「母様はどうして天帝の命を忘れてしまったのかしら」

「……それより大切なものが出来たのだろう」

「それって……お父上のことでしょうか……」

「それからお前だ」

「そうか、そうですね」


 きっと母は神たる天帝の命を忘れるほど父と心惹かれあったのだ。そして萌麗が生まれた。


「母は……幸せだったのですかね」

「さあ……それは俺にはわからぬ」


 ぽつりと、呟くように萌麗がそう言うと、慧英は首を振って、それから立ち上がった。


「宝珠が反応しないか街を一周してくる。萌麗たちは休んでいてくれ」

「は、はい……」


 そうして部屋を出て行った慧英を見送りながら、萌麗はおしゃべりが過ぎただろうか、と反省した。


「はぁー……」

「萌麗様、大きなため息ですね」


 部屋に戻った萌麗は、陽梅にそう言われて自分がため息をついていることに気が付いた。


「何というか、私……人付き合いが上手ではないようね。慧英様に余計なことばかり話してしまうの」

「何を今さら」

「陽梅……」


 お付きの陽梅からの辛辣な評価に萌麗はぐさりと後ろから刺されたような思いがした。


「だって、元々人付き合いなんてロクにしていなかったじゃありませんか」

「そういえばそうね」

「後宮の誰にどんな嫌みを言われてもケロッとしているのはなかなかすごいと思っていますけど」

「……お花の言葉ならいくらでもわかるのに。人間は難しいわ」


 萌麗はそう言ってまたため息をついた。陽梅はさすがに言い過ぎたかと思って付け足した。


「でも、萌麗様は意地悪でも欲張りでもない、お優しいいい方です。お付き合いするうちにきっと誰でもわかりますよ」

「……ありがとう陽梅」


 萌麗は主人思いな陽梅の言葉に微笑んだ。今はどこか会話する度にぎくしゃくしてしまうけれど、きっとそのうち慣れてくるだろう、と萌麗は思い直した。

 そして結局、慧英は宝珠を手にしばらく外を回ったが、結局なんの成果も得られずに帰ってきた。


「今日はここまでだな。皆、今日は早く休もう」


 しかたなく四人は食事をすませて早々に寝てしまうことにした。萌麗も、馬車の旅の疲れというより、気疲れが勝ってすぐに寝入ってしまった。

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