第2話

2話 天界の使者


「ねえ……もういいんじゃない?」

「うーん……それが」


 あれから萌麗は陽梅に体中湯や香油でピカピカに磨き上げられ、母の衣装から一番いい物を身につけていた。


「かんざしが無いんですよ。牡丹の金のいいやつがあったはずなのですが」

「あ、あれなら木蓮の鉢と取り替えてしまったわ」

「えっ……どうするんですか! あとは地味なのしか……」

「こうすればいいわ」


 萌麗は庭に降りると、「ごめんね」と一声かけて赤い牡丹を手折った。そしてそれを髪に挿す。


「本物の牡丹に勝る美しさはないわ。これでいいでしょう」

「公主様」

「さ、行きましょう」


 こうして萌麗はいつぶりか分からない、宮中の宴に参加する為に宮殿に向かった。ほかの妃獱が沢山の女官を引き連れている中、萌麗はたったひとりである。宴の為に陽梅の衣装を仕立てる費用がなかったためだ。


「あら……まあ……」


 そんな萌麗の姿を見て、妃獱たちはコソコソと耳打ちをしあった。


「あら、ごきげんよう」


 道の向こうから妃がやってくるのが見える。萌麗はとっとと通り過ぎようと挨拶をした。一応は皇族の萌麗の方が立場上は上である。そのまま先に進もうとすると肩がぶつかった。


「痛……」


 いや、ぶつけられたのである。肩をぶつけた妃はにやっと笑うと萌麗に向かって言った。


「あら、ごめんなさい……緑の公主様」

「いえ」

「いやあね、泥とかついてないかしら……」

「……あの」

「何よ、皇太后様のお情けで後宮にいる癖に!」


 萌麗は嫌みったらしいその妃を無視して先に進んだ。ようやく宴の間である。ここに来るだけで萌麗はどっと疲れを感じた。


「翠淳公主のおなりです」


 萌麗はそう言えば私はそんな名前だったわね、と思いながら席に着いた。公の場宴の間には彩り鮮やかに煌びやかに装った妃嬪たちが、美しさ雅さを競っている。


「まあ、緑の公主さまよ……珍しい……」

「相変わらず地味……いえ……慎ましく質素でらっしゃること……」


 聞こえよがしにそんな声が聞こえてくる。これだから人前は嫌なのだ。そんなさざめきも、皇太后と皇帝が現われると一斉に頭を垂れ静かになった。そしておもむろに皇太后が声を発する。


「この国に天帝の使いが参った。皆の者、よく接待するように」

「はっ」


 その場にいる誰もが、この国の……いやこの大陸の最高権力者にひれ伏した。


「天帝様の使者であらせられる、神龍将軍、慧英様のおなりでございます!」


 そしてとうとう神の使いが姿を現した。その場にいる皆が見たのは黒く長い髪をなびかせ、金と宝玉で飾られた鎧を纏った威風堂々とした武官の姿であった。神仙に年の頃というのはおかしな話だが、パッと見たかぎりは二十歳半ば亜過ぎの美丈夫である。一見人と変わりないように見えたが、人ならざる溢れる威厳に加え、その耳は鋭く尖っていた。


「我は神龍将軍の慧英。此度の地上での任務に際し、このような饗応まことに痛み入る。この慧英、そなたらに感謝を申そう」


 この神龍は慧英というらしい。天界の者ゆえに感謝を述べながら皇帝を前にしても頭を垂れない。そして皇帝も皇太后もそれを甘んじて受け入れていた。


「山海の幸や珍味をご用意いたしました。天界には劣りましょうが舞や楽も用意いたしました。しばし体を休め、無事に天帝のおつとめを果たされますように」


 皇太后がそう慧英に声をかける。その横で皇帝はこくりと頷いただけだった。そして、楽の音がなり、舞が始まる。それとともにこれでもか、と手の込んだ湯や焼き肉や魚、ふかのひれ、鮑……とご馳走が運ばれてきた。


「うん美味しい、美味しい。こんなのひさしぶり」


 華やかな舞に皆が目を奪われている間に、萌麗はひたすらする事もないのでもぐもぐとご馳走を口に運んでいた。実家からの仕送りなど当てにはできない恒春宮ではこんなご馳走にはありつけない。萌麗は隙を見て饅頭を持って帰ろうと袖に隠そうとまでする始末である。

 だから気が付かなかったのである。すぐそこで起こっている異変に。


「大丈夫でございますかっ!?」

「う……む……」


 苦しげに唸る声に、萌麗はようやく我に帰った。宴の間は悲鳴に包まれている。萌麗が慌てて立ち上がると、先程の天帝の使いの慧英が倒れていて、皇太后をはじめそこにいる全員が顔面蒼白になっていた。


「誰か医者を!!」

「待て……人間の医者などいらぬ……」


 慧英はふらりと立ち上がり、周りを見渡した。そしてズンズンと萌麗の元に歩いてくる。


「え……何……?」


 萌麗が呆然としていると、慧英はそっと彼女に手を伸ばした。


「失礼」


 そう言って、髪に手をやる……と、その髷から牡丹の花を引き抜いた。そして大口を開けるとその花をむしゃむしゃと丸呑みにしてしまった。


「ええっ」

「ふう……やはり良い花だ……」


 花を食べてしまった慧英を、萌麗はぽかんと見上げた。


「皆の者! もうなんともない。宴を続けよ」

「はっ」


 慧英がそう言うと、再び楽が鳴り響き舞がはじまった。すると慧英は固まったままの萌麗に声をかけた。


「びっくりさせたな。ちょっと地上の食事に胃が驚いたようだ。花を食べたのでもう大丈夫だ」

「花……ですか」

「ああ、俺は花龍。普段は天界の花を食べて生きているのだよ。それにしても良い牡丹だった。天界のものにも引けをとらない」

「ほ、本当ですか?」


 萌麗は天界の花にも負けないと慧英に言われて嬉しくなった。


「あの花は私が育てたのです」

「ほう……それはそれは。大した腕だ」


 そう言って笑った慧英は先程までの近寄りがたい感じが薄れた。その整った顔立ちに思わず萌麗は見とれてしまう。神に近いものの造形とはこのように美しいのか、と。


「さて……宴に戻らないと。失礼した」


 そう言って去って言った慧英の姿を、萌麗はずっと目で追いかけていた。。


「すぐに色目を使うのは母ゆずりかえ、翠淳公主?」


 すると、冷たい声が萌麗に降って来る。聞き覚えのあるこの声は皇太后だ。萌麗が振り返ると皇太后が氷のような目で彼女を見下ろしていた。


「色目など……それに母は……」

「言い訳は結構」


 ぴしゃりと皇太后が萌麗の言葉をはねつけると、そこここから妃獱たちの抑えた媚びた笑いがあふれ出す。萌麗は唇を噛んで席へと戻った。

 そして遠慮のなくなった妃獱たちの噂話のいい的になりながら宴が終わるのをじっと待っていた。



「美味しいですねぇ。この饅頭! 公主様、ありがとうございます」


 宴が終わり、陽梅は萌麗が持ち帰った饅頭を夜食に食べていた。


「こんなことくらいしかしてあげられなくてごめんなさいね、陽梅」

「いえ……」


 本当なら陽梅も付き添いで行くべきなのだが、お金がなさすぎて陽梅の衣装まで手が回らず連れていけなかったのだ。


「神龍将軍とはどのような方でしたか?」

「とても立派な鎧をつけていて……威厳があって……あと優しい方だったわ」

「お話なさったのですか!?」

「……少しだけ」


 萌麗はあの美しい神龍とかわしたほんの少しの会話を思い出した。


「すごいですね!」

「花を褒めてくださったわ」

「あ、そういえば髪の花が……」

「ええ……差し上げたの」


 そう萌麗は陽梅に答えた。慧英は明日にもこの宮殿を出て、天帝の落とし物捜しの旅に出るという。もう会うこともないだろう。萌麗はそう思うとちょっと寂しい気持ちになった。

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