第4話 初仕事・1

 翌朝、硬いベッドで殆ど眠れなかった夜を過ごしたカレンは、起床時間を告げる鐘の音を聞き、のそのそと起き上がる。


 彼女の部屋は一人部屋だった。部屋の中はベッドとサイドテーブルがあり、粗末な机が一つ。それと衣類をしまうチェストが一つだけある。管理人のマリーからは「狭い部屋でごめんなさいね」と言われたが、カレンにとっては十分な広さだ。ビジネスホテルのツインルームよりも広いかもしれない。本来使用人は、複数人で一つの部屋を使うものらしい。だがカレンだけは「教会から保護を頼まれた女」だからと、わざわざ個室を用意してくれたようだ。


 カレンの待遇がいいのは、教会で出会った「セリーナ様」のおかげだろう。セリーナがカレンを保護するように言った為、ブラッド副団長がそれに従ったのだ。


(後でセリーナ様に一言お礼を言いたいけど、彼女に会えるチャンスなんてあるのかな)


 このおかしな世界に来てから、カレンは自分の置かれた状況を理解するのに必死だ。まずは言葉。カレンはここで目覚めた時、頭がぼんやりとしていて、自分を取り囲むオズウィン司教達が何を話しているのか分からなかった。

 だが青い炎で手をジュっとされた時に目が覚めたのか、その時から頭がクリアになり、彼らの言葉が理解できるようになったのだ。理屈は分からないが、実際にそうなのだから今は受け入れるしかない。


 そして「聖女」という存在。教会での様子から、聖女というのはとても重要なものであり、大切にされていることは分かる。そして、教会と騎士団の館をぐるりと囲むように建てられた高い塀。彼らは「何か」からこの場所を守っているようだ。


 とにかく今は、考えていても始まらない。カレンは昨夜マリーから渡された寝間着を脱ぎ、使用人の制服に着替える。ここの寝間着は長袖のワンピースタイプで、とても簡単な作りの服だ。身一つで来たので、着替えすらないカレンにマリーは下着まで用意してくれた。正直言って着心地のいいものとは言えないが、文句は言えない。


 着替えた後、顔を洗おうとカレンは部屋の外に出た。一階に共同の洗面所があると聞いている。扉を閉めた所で、ちょうど隣の部屋から女が出てくるところとかち合った。


(隣の住人かな?)


「おはようございます」

 カレンは丁寧に女に挨拶をした。だが女はカレンのことをじっと睨むように見た後、ばさりと髪をかき上げ、プイっと顔を背けて歩いて行ってしまった。


(……どこにでもいるなあ、ああいう女)


 カレンはため息をついた。女は胸元が大きく開いたブラウスを身に着け、紺色の長い髪をハーフアップにしていて、首元のホクロが特徴的だった。カレンは調理場で仕事をすることになっているので、髪の毛は一つにまとめるよう言われている。紐やピンを使い、慣れない道具に戸惑いながらなんとか一つに髪の毛をまとめた。だがカレンを無視した女は服装も少し違うし、髪も下ろしているのでカレンとは仕事が違うのだろう。


 朝から嫌な気分になったが、なんとか気を取り直して顔を洗い、カレンは調理場へと向かった。




 調理場に入ると、既に多くの人が仕事に取り掛かっていた。心細い中、カレンはエマの姿を見つけてホッとする。エマもカレンに気づき、笑顔で「カレン! こっちこっち」と手招きをした。


「おはようエマ。遅くなっちゃった」

「おはよう! 大丈夫よ、私も今来たばっかりだから。早速だけど野菜の下ごしらえを手伝ってもらおうかな」


 エマはそう言って、大きな籠をテーブルの上にドンと置いた。中には真っ赤なカブのような形をしたビーツと、玉ねぎが沢山入っていた。

「カレンは玉ねぎを細かく切ってね。私はビーツを切るから」

「……これを、全部?」

 カレンは大量にある野菜に目を丸くした。

「そうよ! 切ったら向こうの大鍋に入れるの。これはスープになるのよ」


 エマが指さした先にあったのは、巨大な鍋だった。給食みたいだなあ、などと思いながら早速カレンは仕事を始める。もたもたと野菜を切り分けるカレンに対して、エマの仕事は驚くほど速い。切った野菜は鍋に持って行き、鶏肉と野菜、それに香草を加えて煮込んだブイヨンのようなものと合わせて煮る。

 野菜に火が通ったら、料理人はそれを潰して布で濾し、赤い色のビーツのスープが完成する。


 調理場の裏口から出ると建物の外に出る。そこには広い洗い場があった。カレンはそこでしばらく洗い物を手伝った。終わった後調理場に戻ると、部屋全体に漂う香ばしい香りとジューという肉が焼ける音に、思わずカレンのお腹が鳴った。

 料理人はフライパンのような鍋でベーコンを焼いていた。別の鍋ではオムレツが焼かれ、茹でたソーセージ、キャベツの酢漬け、大量の茹でた豆、ミートボールにトマトソースがかかったものなど、沢山の料理が作られていて、これが朝食とは思えないボリュームだった。


「いつもこんなに沢山作るの……?」

 あぜんとしてカレンが呟くと、エマは笑いながら首を振る。

「普段はもう少し簡単なものだけど、今日は特別な日だから」

「特別な日?」

「うん、今日は騎士団が『魔物討伐』に行く日なの。だからいつもより品数が多いのよね」

「魔物討伐……?」

「朝食を食べたら出発するのよ。出発する時にはみんなでお見送りするのが決まりなの。カレンも覚えておいてね」


 魔物討伐とは、随分物騒な言葉だ。そんな言葉が当たり前のようにエマの口から出ることに驚いたが、やけに強固な塀はその為にあるのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る