第2話

 部屋の中から猫の声がする。



 ぼくの体は震えていた。できることなら、駐車場にある自動車の中で眠りたかった。しかし、そんなことしても、仕事の疲れを取ることはできないだろう。



 玄関を開けることにした。



 しかし、玄関の鍵ですら、ぼくには不慣れなものである。いつも、妻が玄関の鍵を開けてくれていたからだ。ましてや、家の明かりが付いていなかったら、他人の家に忍び込んでいるようであった。


 ぎこちなく鍵を開けると、ぼくは自分の家を覗き込んでいた。もしかしたら、黒猫がいないかもしれないと願っていた。居間まで歩いてくると、猫の声が聞こえてくる。それを聞くと、ぼくは身悶えていた。体が固まっている。動くことができなかった。やはり、ぼくは猫が苦手であるらしい。



 小さい頃、引っ掻かれてから、恐怖の象徴になっていた。



 すぐにでも二階に上るべきかもしれない。そう思っていたけど、猫が歩いてきたのである。どうやらメスであるらしい。歩き方によって、メスであるか、オスであるか、判断をすることはできる。恐怖であるのせいで、猫のことなら、それなりに調べてもいたせいである。



 しかし、対応をすることはできない。



 なぜなら、ぼくは猫に触れることができなかった。嫌いなのだ。だからこそ、家に猫じゃらしなんて持ってはいないし、冷蔵庫に猫の食事もなかった。いや、そうではないかもしれない。妻は猫を飼っていたのである。この家には全てがそろっているかもしれない。捜してみたら、キャトフードや、猫じゃらしもあるだろう。小さなボールだってあるかもしれない。いや、ボールを追いかけるとしたら、猫ではなくて、犬なのかもしれない。どうなっているのか、ぼくにはわからなくなっていた。頭が痛くなっていた。猫なんて信じることができなかった。


 そう思っていると、猫が歩いてくる。次第に、ぼくの足にまとわりついていた。にゃーにゃーと鳴きながら、足の間をぐるぐると回っている。空腹なのかもしれない。ご飯を食べさせよう。そうしなかったら、ぼくの足から離れてくれないだろう。近くに猫がいるだけで、気分が悪くなっていた。


 飛び越えるようにして、台所に向かっていると、黒猫が後ろを付いてきた。尻尾を振りながら、小さく鳴いている。我慢をしているけど、飛び上がって、叫びたくなっていた。威嚇でもするべきかもしれない。近くにいるだけで、耐えられなくなっていた。


 冷蔵庫を開けると、猫の缶詰を捜すことにした。きっと、何処かにあるだろう。妻のことだから、買い置きをしていたはずだ。ただ、冷蔵庫を知らなかった。ビールを取るぐらいのことである。それ以外には、何も知らなかった。たくさんのタッパがあり、なかにはカレーの余りや、肉じゃがが入っている。さらに、ヨーグルトやたくさんの野菜が入っていた。最近になって、料理なんてしたことがなかった。大学一年の頃、それなりに自炊をしたことがあったけど、面倒だったらしく、止めてしまったのである。この一週間だって、料理をすることはないはずだ。冷蔵庫を探していると、奥の方に缶詰が並んでいた。


 引っ張り出すと、猫の缶詰であるらしい。落ち着けと、ふーっと息を吐いてから、冷蔵庫を閉めると、缶詰を開けることにした。



 缶詰を開けているあいだも、黒猫は離れることがなかった。足がむずむずしてくると、蹴り飛ばしたくなっていた。しかし、そんなことをしたら、引っ掻かれてしまうかもしれない。噛まれてしまったら、自分の家にいられなくなるだろう。怖くて仕方がなかった。顔を見ることもできない。一心不乱に、缶詰を開けていると、臭いがしたのだろう。テーブルの上に飛び乗って、黒猫が缶詰を見つめていた。ぼくの体は震えていた。感ず眼を開けると、皿に乗せることもなく、隣の部屋に缶詰を置いて、ぼくは逃げることにした。



 猫は缶詰を食べている。



 肉食獣のようであった。それに、黒猫というのは耐えることができそうにない。不幸な存在であり、嫌うべきものであるはずだ。それなのに、ぼくの家にいるのである。想像することもできなかった。椅子に座りながら、ぼくは黒猫を見つめていた。いつもであればテレビを見ることもあるけど、そんなことをする余裕すらなくなっていた。すると、黒猫がこちらに視線を向けたので、ぼくは怖くなってしまい、自分の部屋に戻ることにした。


 自分の部屋の鍵を付けると、ベッドに倒れこんでいた。あんな動物と一緒に生活をすることはできない。顔を見ることもできそうにない。尻尾の振り方すら、我慢をすることができなかった。いや、あの猫も動物なのだから、ぼくが嫌っていることぐらい理解をしているかもしれない。そうであったのなら、過剰な要求をすることはないだろう。食事だけを提供していたら、文句をつけることはないはずだ。なのに、ぼくは泣きそうになっている。窓を開けていたら、いなくなってくれるかもしれない。こんな部屋にいるよりも、動物であるのだから、自由を求めているはずである。しかし、そんなことをしたら、妻に怒られることだろう。連絡をすることができたら、対応することもできるけど、それができないのだから、問題になってくるのである。苛立ちのなかで、ぼくはベッドを殴りつけていた。悔しくもなっている。もしも猫ではなくて、犬であったとしたら、何の問題もない。しかし、そうではない。



 相手は黒猫なのである。



 考えていると、苦しくなっていた。どうすることもできない。きっと、眠るべきなのだろう。電気を消すと、ぼくはベッドの中に潜り込むことにした。しかし、猫の鳴き声が聞こえて、なかなか眠ることができなかった。

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