一方で深まる闇

第17話

「やばーい、辛すぎなんだけど!? 夕羅、これ何頼んだのよ!?」

「え、わかんない。つーか読めないし」


 繁華街の中にある、所謂“ガチ中華”の店。菜々子、夕羅、ミッキーの3人はテーブルに並んでいる四川料理の品々をつまみに酒を飲んでいた。

 その内の1つがあまりにも辛く、ミッキーはウーロンハイを飲み干し、すぐさまおかわりを注文した。頼んだ張本人である夕羅は余裕そうに次々と口に運んでいる。


辣子鶏ラーズーチーって読むんだって」


 菜々子もスマホで調べた結果を報告しつつ、同じように自分のドリンクを飲み干して次を注文した。辣子鶏は鶏肉が大量の唐辛子と共に炒められた料理で、クセになる辛さで人気なのだとグルメ情報サイトに書かれている。


「クセになるってレベルじゃなくない!? どう考えたってこの唐辛子食べきれない量よ?」

「え、ミッキー唐辛子も一緒に食べたの? これ唐辛子の中に埋まってる鶏肉だけを穿ほじくり出して食べるもの、って書いてあるけど」

「嘘でしょ、夕羅が普通に唐辛子もバクバク食ってるからそういうもんなんだと……」

「あ、私激辛強いから」


 辛さでヒイヒイ言っているミッキーをゲラゲラ笑っている夕羅。菜々子はそれにつられて笑いながら、久しぶりの感覚を噛み締める。この3人でいる時にだけ生まれる独特の空気感。菜々子はこれがずっと恋しかったのだと実感していた。


 先に夕羅から聞いてはいたが、菜々子は改めてミッキーの口からHIV検査の結果報告を受けた。もう心配しなくていいからこれからはガンガン一緒に遊びに行こう、と言われたものの、菜々子が自分側で起きたここ最近の事情を話すと、ミッキーは難しい表情を見せた。


「そっかー、警戒されてんだね。っていうか菜々子の彼氏、彼女の気持ちには鈍感なのに変なところ勘がいいんだね」

「マジでそれ。そういうところもムカつくわー」


 夕羅とミッキーが浩司をディスる様子を見て、菜々子は苦笑いした。別れることはせずに、浩司が今後どのように変わるのか見極めるという選択をしたのだから、夕羅達と一緒になって自分も浩司を悪く言うのは違うと思ったのだ。


「まぁ……そういうわけで、あんまり羽目を外しすぎるような遊び方は出来ないかも。あと、私これから仕事が繁忙期迎えるからさ」

「ああ、クリスマスに向けてってことね?」

「うん。エリア長にも期待されてるから頑張りたいなって思って」


 菜々子がそう言うと、ミッキーはフッと笑った。


「菜々子、すごく素敵になったよ」

「え?」

「ぶっちゃけると、出会った頃の菜々子はなんていうか……フワフワ流されるまま漂ってるって感じだったのよ。そうそう、こういうクラゲみたいに」


 ミッキーがテーブルに並べられている料理から、卵と炒められた“その具材”を箸で掴むと、思わず菜々子はツッコミを入れたくなってしまった。


「ミッキー、それクラゲじゃなくてキクラゲだと思うけど」

「……え」

「……っく、ぷ、ははははっ!! リアル勘違いじゃんウケる」


 ミッキーが想定外の返しを喰らったのを見て爆笑する夕羅。まさかのイジリで顔を紅潮させるミッキーを見て、菜々子も我慢出来ず声を出して笑ってしまう。


「ちょっと、菜々子まで! 折角アタシが良いこと言おうとしてんのに!!」

「無理無理、今良いこと言われたって絶対キクラゲしか残んないから」

「もう夕羅は邪魔しないでって! つまりさ、流されるまま漂ってるクラゲみたいな子じゃなくてさ、立派に進化したのよ菜々子は。自分の意思で海の中を突き進む……進む……もう、マジで良い加減にしてよ夕羅!」

「なんで勝手に話止めてんだよ幹雄! で、何? 何に例えんの??」


 そうして3人で賑やかに笑いながらひたすら酒を流し込んだ。ふざけた雰囲気になってしまったが、菜々子はミッキーの言葉を十分に理解しており、2人に感謝もしている。


 夕羅と親しくなったり、ミッキーと知り合うまでの菜々子は、自分の日々の生活や人生には恋人の存在が不可欠であると思っていた。

 平凡な家庭に生まれ、並の学生生活を送り、これと言って突出したものもない自分のことが昔からあまり好きにはなれなかった。自分の力で何か大きなことを成し遂げられるような存在ではないのだから、せめて魅力的な男性の側にいられるようになりたい……そんな考えを持ったままマッチングアプリを始めたあの頃。如何に凄い男かをアピールしているプロフィールに次々と飛びついていた。20代で起業しただとか、年収がいくらだとか、近々海外に移住するだとか。キラキラした言葉に飛びついて実際に恋愛を始めてみれば「あのプロフィールは盛っていたんだな」と気付くこともあったし、素晴らしい功績を持っていたとしても信じられないような人間性の持ち主だったりもした。それでもいつか、才能があって内面も素敵な男性と巡り会って、自分もキラキラした人生を送れるようになりたいと強く願っていたのだ。


 だが、菜々子は今こう考えている。パートナーに頼ってキラキラした生活を手に入れるのではなく、自分の力で日々を輝かせたい、と。“普通じゃない関係”を経験してから改めて深く考えるようになったことがいっぱいある。それに自分なりの答えを見出せば見出すほど、かつて理想としていたことに疑問を抱くようになった。

 素敵な男性が側にいないと、女性は幸せではないのか?

 裕福な生活をすることが幸せなのか?

 何の才能もない人間は不幸なのか?

 そんなことはない、と今なら迷わず言える。最近彼氏とは微妙な雰囲気だし、短大卒の雑貨店店長なので裕福とは言えないかもしれない。だが信頼出来る友人に囲まれ、仕事も充実していて、自尊心を持てている今はまさにキラキラ輝いている最中なのだ。

 どの海の生き物に喩えたら良いかはわからないが、今の自分はミッキーが言うように決してクラゲではない。そんな自信があった。






 













 浩司は自宅ソファーで寛ぎながらスマホを弄っていた。画像の整理をしており、“証拠写真”というタイトルがついたフォルダには、隠し撮りした菜々子や夕羅の写真が並んでいる。それは数十枚に渡り、2人で写っているものもあれば、菜々子と夕羅それぞれ1人でいるところを撮ったものもあるようだ。しかも仕事終わりの裏口から出てくるところだけではなく、昼間の仕事中らしき場面も押さえられている。

 浩司が隠し撮りをしたのはこの日だけではない。夕羅の存在を把握した日から、自分の仕事終わりや時には休日を利用してまでこっそり視察に行き、ここまで撮り溜めたのである。自分の行動の異常性は理解しているが、浩司はどうしても菜々子が夕羅のことを友達だと言い張ることが納得出来ないでいたのだ。そして撮れば撮るほど、2人への疑いは深まっていく。


「友達に対して、こんな顔するわけないだろ」


 愛おしい者を見つめる菜々子の表情を拡大しながら、浩司はそう呟いた。


 マッチングアプリを介して知り合った菜々子と、本格的に交際をしようと思った決め手は“丁度良さそうな女”だったからだ。同世代の頭が良い女性と付き合った時は話をすれば何かと反論されて面倒臭く感じたし、金持ちのお嬢さんと付き合った時は滲み出る育ちの良さを眼の当たりにして惨めになった。その点菜々子は基本的に歯向かってくるようなことはしないし、年下だからか自分を頼りにしてくれている。デートでご馳走すれば素直に喜んでくれるし、一緒にいてこれまでの生活環境の格差を感じることもない。自分にとってようやく丁度良い相手が見つかったのかも……と、将来のことを考えても良いかなと思い始めた頃だった。慎也が暴走し、夕羅という存在が明るみになったのは。


 夕羅という存在に疑いを持ち始めると、それまでは気にも留めていなかった菜々子の変化に気づいてしまった。

 いつだったか、菜々子の家に一緒にいた時。テレビのニュースでゲイであることを告白したロックアーティストが取り上げられているのを見たが、素直に引いているリアクションを取った自分に対し、菜々子はやたらと突っかかってきた。比較的女性間でリベラル思想が広がると聞くし、周りの友達に感化されるようなことがあったのだろうと、その時は軽く見ていた。だが、その“友達”とはひょっとすると夕羅なのではないか?

 慎也のこともそうだ。あれだけ嫌悪感を露わにして、アイツとは関わりたくないとハッキリ主張していた。あんなことはこれまでなかった。いや、流石に慎也はやらかし過ぎだが。それでも、これまでの菜々子なら我慢して受け流していたに違いない。なのにあれだけ意見をぶつけるようになったということは、自分の知らないところで控え目だった性格が変わるほどの影響を受けているということだ。


 菜々子が“丁度良さそうな女”じゃなくなってきている……浩司の心に不快感が生まれ、同時に危機感が押し寄せて来る。

 自分にとって丁度良い相手を選んだはずなのに、何故か彼女はその枠からはみ出そうとしている。挙句このままでは自分が彼女から選別され、捨てられる可能性まで出てきているのではないか。過去に頭が良い女や金持ちのお嬢さんにフラれたのは仕方がない。自分が器に合っていなかったのだから。そこは認めよう。だが万が一菜々子にフラれるようなことがあれば、それは前者よりも屈辱的なことだ。本来、自分は会社勤めのウェブデザイナーなのだからそれなりにモテるはずなのだ。だが敢えて派手な女遊びをせず、若い彼女が好むデートに付き合って来たのに、思想の違いや友達付き合いを批判されてフラれるのか? そんなのはゴメンだ。あんな自分よりも社会経験の浅い小娘なんかに。


 絶対に、夕羅とは唯ならぬ関係であるという証拠を突き止めてやる。

 それを菜々子に突きつけ、こちらから別れを切り出してやる。どうせ別れるなら捨てられる前に捨ててやりたい。

 だがもし「許して欲しい」と懇願してくることがあれば許そうとも思う。一時の気の迷いなのかもしれないしな。そして許す代わりに、菜々子に悪影響を与える夕羅やその周りの人物とは縁を切らせよう。

 彼女にわからせてやるんだ。決して選ぶ側ではないのだということを。今まで生きてきた時間も、収入もこっちの方が上なんだから、彼女が自分に逆らって良いはずがないのだと思い知らせてやる。

 夕羅から切り離せば彼女も正気に戻り、過ちを許してやった自分に対して感謝するようになるだろう。そうすればもう二度と、枠からはみ出さなくなるはずだ。自分に取って丁度良い女に戻ってくれる……。




 浩司は煮えたぎる感情を冷ますためソファーから立ち、冷蔵庫の前へ移動した。2リットルペットボトルの蓋を開け、そのまま口を付けて水を体内に流し込む。冷たい水が全身に染み渡ると、少しだけ冷静さを取り戻した。その頭で今一度考える……自分は、一体何に執着しているのだろう。














「おーい、酔っ払い! 帰るよっ、ちゃんと歩け!」

「うっさいわねぇ〜、歩けるわよっ」


 ガチ中華の後に寄ったディープなスナック街で鱈腹飲んだミッキーは、夕羅の肩に寄りかかりながらヨロヨロと歩いていた。いつもとは逆のシチュエーションがおかしくて、菜々子は思わず吹き出してしまう。


「ははは、ミッキーも久しぶりのお酒だとこうなるんだね」

「もう、勘弁してー。身体は野郎なんだから重いんだってば」

「何言ってんのよ! 普段散々介抱してやってんだから、たまには面倒見なさいよ!」


 そんなやり取りをしながら細いスナック通りを3人で歩く。今回は久々に揃ったので遅くまで飲んでしまったが、しばらくは仕事優先で夜遊びは控えることになるだろう。そう思うと少しだけこのまま家に帰るのが名残惜しい……そんな風に菜々子は感じた。


「んじゃあ、次3人で集まるのはクリスマスとかかしらぁ? プレゼント交換でもする?」

「バーカ、菜々子はクリスマスはクソ彼氏と過ごすに決まってんでしょ? そうだよね、菜々子」

「え、うん。多分……」


 そんなこと、何も考えていなかった。クリスマス=繁忙期としか頭になく、自身のイベントとしてはどう過ごすのか、すっかり抜け落ちていたのだ。というより、現在の浩司との雰囲気だと、とても楽しめそうなイベントではない。


「多分クリスマス当日まで仕事で忙しいと思うけど、またスケジュールわかり次第2人にも連絡するね、じゃあお先」


 菜々子はそう言って、先に駅に向かうため夕羅とミッキーに別れを告げる。ミッキーにつられてヨロヨロ歩く夕羅は、それを見送りながら大声で叫んだ。


「菜々子、お休み。愛してる」

「……え」


 思わず振り返ってしまった。その言葉は、今の関係になってから初めて彼女の口から出たものだった。


「早く帰りな。終電無くすよ」

「……うん。私も愛してる、夕羅さん」


 大声で何を言ってんだとフラフラしながら説教するミッキーを雑に扱う夕羅。それに大笑いしてから、菜々子は言われた通り急いで駅へ向かって歩いて行った。

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