疑念

第16話

「じゃあ、これからもよろしくね」

「はい! よろしくお願い致します……!!」


 菜々子達が働くファッション雑貨店。レジ横でスーツを着た中年男性を相手に、菜々子は声を裏返らせながら返事をした。そんな様子から中年男性も彼女の緊張を感じ取り、場を和ませるような気さくな笑顔を見せる。最後に店内を見回し、激励のガッツポーズを菜々子に送って男性は去って行った。

 女性客をターゲットとしたファッション雑貨店にスーツ姿の中年男性がいるというのは中々珍しいことのように思えるだろうが、彼は菜々子達が勤める店舗等を運営する会社のエリア長である。今日は重要事項の伝達のため、菜々子達の元へ来ていたのだった。

 マユは菜々子と男性が話している間、レジで客対応をしていたのだが、エリア長が去って行ったのを確認して早々、菜々子の元に駆け寄った。


「緊張しすぎやろ、こっちまで伝わってきたわ」

「だって、エリア長なんてしばらく会ってなかったから……」

「これからは定期的に顔合わせるんやから、もっと堂々とせなあかんで? 店長」


 エリア長からの重要な伝達事項……それは、菜々子への店長任命であった。

 菜々子は短大卒業後に入社し、彼此3年程今の店舗に勤めている。正社員としてバイト販売員のシフトを管理したり、発注する商品の選定や効果的なPOPの作成・店内レイアウトなど、仕事が細かいところまで行き届いていることが評価されたのだった。

 だが、意外にも菜々子の心境は複雑だった。何故なら、元々店長候補だったのはマユの方だったからである。


「なんで私なんだろ……だって、絶対マユちゃんの方が向いてるじゃん」


 これまであまりリーダー的な役割をしたことがない菜々子は、自分よりも社交的でズバズバものを言うマユの方が適性があると思っている。ましてやマユは店長候補として関西から異動して来たのだ。これでは自分がマユの活躍の場を奪ってしまったようなものではないか……そんな風に考えていた。


「何言ってんねん。十分向いてるやん、菜々子。うちは大雑把やから、菜々子みたいに細かいところまで気付いたり出来んし。休みがちなバイトの子にも気遣ったりしてるしな。店、上手いことまとめてるやん」


 マユはあっけらかんとそう言い放った。さっぱりした性格故、菜々子に対して嫉妬をしたり落ち込んだりする事はない。


「まぁ、うちはいつかここ辞めて独立しようとか考えてるようなヤツやし! 菜々子が店長やる方が将来安泰やんか。頑張りぃや、うちもサポートするし」


 マユにドンっと背中を叩かれ、菜々子はようやく吹っ切れたのだった。

 入社した頃は「この仕事は結婚するまでの繋ぎ」と考えていたが、ここ最近は雑貨販売の仕事にやり甲斐を感じるようになっていた。マユのような大した野望はないが、将来結婚して子育てをするようになっても続けていきたいと考えている。店長を任されたからには期待に応えたいという向上心だってある。まもなくクリスマスだ。店長に就任して最初の繁忙期なのだから、気合いを入れて準備をしなくては……心を奮い立たせ、菜々子はやる気に満ち溢れた表情で仕事に戻った。















 それから数日後の20時過ぎ、仕事が終わった菜々子は浩司との待ち合わせ場所であるカフェに急いで向かった。職場からあまり離れていない店だが、浩司の方が先に仕事を終えているはずなので、あまり長く1人で待たせないようにと速く歩く。


 夕羅を交えた話し合いの日以来、初めて2人で会うことになる。

 菜々子は少しばかり緊張していた。あの時は勢いで溜まっていた不満をブチまけスッキリしていたけれど、隣に夕羅という心強い味方がいたからこそ出来たことだ。謝罪と改心するという言葉は聞けたが、果たしてこれから2人で過ごす時も浩司がその約束通りに行動するのか、菜々子はまだ信じきれていないのだ。


「お待たせ」


 カフェに到着し、店内奥に1人でいる浩司を見つけて近付き声を掛けた。小さく返事をしたかしていないのかわからなかったが、浩司は菜々子の声掛けに顔を僅かに縦に振った。菜々子は一旦荷物だけ席に置き、財布を持って注文をしにカウンターへ向かう。周りに人がいるから声を抑えているのかどうか知らないが、待ち合わせの相手が来たのにほぼ無言で顔だけの反応なんて、やはりあの日の話し合いは浩司的に納得していなかったのではないかと勘繰ってしまう。そんなことを考えつつ、菜々子は自分の飲み物を注文して受け取り、再び席へ戻った。


「定時19時じゃなかったっけ。今日は最初から残業決まってたの?」


 菜々子が席について、ようやく浩司はまともに言葉を発した。菜々子は一瞬きょとんとしたが、すぐ何かに気付いて浩司の質問に答えた。


「そっか、言ってなかったごめん。今までは19時上がりだったんだけど、私役職変わったから勤務時間も変更になったの。これからは基本20時まで」


 菜々子は「仕事が終わった後の20時以降で会おう」とだけ伝えていたため、以前の19時が定時という情報しか知らなかった浩司は、普段より1時間遅いことにちょっとした疑問を持っていたようだ。


「へぇ。どう変わったの?」

「店長になった」

「ふーん、そうなんだ」


 想定外のリアクションに、菜々子は拍子抜けした。そこは「凄いね、おめでとう」ではないのか。自分で言うのもなんだが、入社3年・20代前半で店長就任というのは、小さな店舗と言えど結構優秀な方だと思っている。祝福の言葉が出てこないのは、何か引っ掛かることでもあるからなのだろうか……と思い、菜々子はすぐさま言及する。


「……おめでとうって言ってくれないの?」

「いや、本当なのかなって」


 またまた想定外なことを言う浩司に、菜々子は益々困惑する。何故店長になったことに疑いを持っているのだろうか。どういう意味かわからない。


「え、なんで私が嘘つく必要あるの?」

「店長になったってことにすれば、仕事が最近忙しいって言い訳出来るんじゃないかなーって思って。そうしたら俺の誘いを断って友達と遊んだりも出来るじゃん」


 考えも付かない斜め上の発想で、開いた口が塞がらない。だが、これでわかったことがある。菜々子が浩司に対して本当に改心するのか少し疑っているのと同じように、浩司も菜々子に対して小さな疑いを持っているということだ。


「本当ですから。っていうか、予定被るようなことあったら普通にちゃんと言うし」

「そっか。じゃあ俺が考え過ぎだった、ごめん。……でもさ、正直俺よりもあの夕羅っていう人の方に信頼寄せてるでしょ」

「そりゃあ……今はそうに決まってるじゃん。そもそも自分の立場わかってる? 浩司がちゃんと改善してくれるのか見極めるって話したよね?」

「ああ、わかってる。菜々子がまた俺のこと信じてくれるように努力する。けど、俺にもあの時は言えなかったモヤモヤがあるから。それをスッキリさせないと前には進めない」


 浩司はホットコーヒーを一口含み、目線を上に向けて何から話そうかと考え込んでいる。その気まずい空気を紛らわすため、菜々子も自分が注文したコーヒーを一口飲み込む。


「あの夕羅って人はさ、友達って言ってたけど年上だよね多分。職場か学校の先輩とか?」

「え? うちの職場の、同じフロアで働いてる人だけど……店は違うけど、休憩室で一緒になって仲良くなった、って感じ」

「ああ、なるほどね。まず1つ目の違和感が、彼女が本当に“友達”なのかってことなんだよ。俺的に友達ってさ、同級生だったり年が違っても対等な立場でコミュニケーション取れるヤツのことなんだよね。この前の2人を見た感じ、彼女の方が主導権握ってるなーって思った」


 なんだろう、今の時間は。まるで取り調べを受けているような気分だ、と菜々子は思った。浩司は夕羅のことが単純に苦手なだけではなく、疑いを持つ存在のようだ。もしかしたら、浩司は自分達の“真の関係”に辿りつくのかもしれない……菜々子は動揺を悟られぬよう、慎重に会話を続けた。


「浩司が思う友達の形は分かった。けど、私は夕羅さんのことは友達だと思ってるよ。年上で頼もしい性格だから、何かと頼りにしてることはあるってだけ」

「で、あの時は俺のことで悩み相談したら駆けつけて来たってわけか。俺が帰った後はそのまま菜々子の家でお泊まり会?」

「そうだけど」

「俺が家行った時、2人とも髪濡れてたよな? 風呂上がりだったの?」

「そう」

「結構どっちもガッツリ濡れてた記憶なんだけど、一緒に入ってたってこと?」

「え? そう……」


 答えた直後、菜々子は「しまった」と後悔した。勿論口にしたり表情に出したりはしていないが、頭の回転が早い浩司はそのおかしさを逃すことはない。


「1人暮らし用の風呂なのに一緒に入るの? 温泉旅行とかじゃないのに?」

「そんなに変?」

「俺だったら絶対ないけど。女子同士だと、別に普通なの?」

「そんなに気にしたことない……私の家のお風呂、追い焚き機能ないから一緒に入ったほうがお湯冷めなくて良いかなって」

「……そういうもんなのか?」


 浩司の反応は当たり前だと思いつつも、菜々子は「これが自分の普通です」という姿勢を崩さないように心掛けた。ここで少しでも焦ってしまうと、やましいことがあるんだと勘付かれてしまう。


「まぁ、いいや。とにかく俺は、彼女に対して色々と違和感があるんだよ」

「それは、浩司が夕羅さんへの苦手意識が強すぎるからなんじゃない? 私だって慎也さんのことは気に食わないし、2人の友達付き合いは理解に苦しむけど、浩司にとっては切ることが出来ない腐れ縁なんでしょ。それと同じだよ」

「そっか。……俺達、お互いの友達込みで海行ったりバーベキューしたりするの無理そうだな」


 ジョークっぽい口調でそう言って、浩司はようやく納得したようだった。

 その後は何気ない普通の会話を一通りして、お互いコーヒーを飲み切ると退店し、それぞれの家に帰って行った。なんとか浩司の疑いを逸らすことに成功したが、ふとした時にまた疑いの目が向くこともあるかもしれない。夕羅という存在を浩司が認知してしまった以上、今後気をつけなければと菜々子は思った。
















 店長就任以来、菜々子は以前よりも忙しくなった。繁忙期に向けて従業員確保のためアルバイトの面接をする準備、クリスマス向け商品の情報収集、陳列レイアウトの変更など……毎日やることが山積みだ。帰宅時間は遅くなるし、プライベートタイムの確保もままならない。だが、この上ない充実感がある。


「お疲れー、菜々子」

「わっ」


 従業員用エレベーターの前。その日の仕事がようやく片付き、少々顔に疲れが見える状態で退勤しようとしていたところ、後ろから夕羅に声を掛けられた。どうやら夕羅も残業をしていたようで、丁度帰る時間が重なったのだ。


「頑張ってんじゃん、店長」

「知ってたの? まだ言ってなかったと思うけど」

「私の情報網舐めんなよー? ねぇ、今から久しぶりに幹雄と飲むんだけど、一緒に来ない?」

「え、ミッキー!?」

「そうそう。私も聞いたよ、アイツのパートナーのこと。ちゃんと検査結果出てアイツは大丈夫だってわかったから、もう飲酒解禁するんだって。幹雄もだけど、菜々子だって積もる話あるでしょ? パーっといこう」


 夕羅は有無を言わさないとばかりに菜々子の背中を押して一緒にエレベーターに乗り込んだ。元気に酒が飲めるコンディションかと聞かれるとそうではないが、菜々子は今無性にミッキーや夕羅と同じ時間を過ごしたかった。

 もし近いうちに、浩司との関係が終わったとしても。夕羅とミッキー、自分の3人で明るく楽しく過ごせるのならそれで十分だと思い始めていた。自分にとっての“リア充”とは、将来が有望な男性と交際・結婚ではなく、仕事にやり甲斐を感じながら、信頼出来る友人に囲まれていることなのかもしれない……そう、心変わりしていた。


「はいー、行くよ行くよ!」

「ちょっと、夕羅さん! 私今日ヒールだから走らないで! もう〜!!」


 夕羅が菜々子の手を取り、歓楽街に向かって走ろうとする。それを言葉では止めつつも、同じように楽しそうにはしゃいでいる菜々子。

 20数年生きてきてこれほど声を出して笑い、はっちゃけたことがあっただろうか。新たな自分を引き出してくれたのは、間違いなく夕羅だ……菜々子は手を引いてズンズンと前に進む夕羅が、振り返りざまに自分の今の表情を見ることがないようにと下を向いた。こんな、愛しさの余りニヤケが隠せない状態を見られるのは恥ずかしいから。




 2人が職場の商業施設からどんどん離れていき、完全に居なくなった頃。隣のビル入口から、1人の男がひっそりと出て来る……それは浩司であった。

 浩司は自分のスマートフォンを操作し、先程隠れて撮影した写真画像を確認する。そこには商業施設の従業員用出口から出てきた菜々子と夕羅の姿が映っていた。画像の中の2人はしっかりと手を繋ぎ合っている。その写真画像を特別なフォルダに移し、浩司はその場から去って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る