ジェンガ《2》

第10話

とある平日。この日仕事が休みだった菜々子は朝10時頃に起床、遅めの1日スタートとなった。とはいえ時間を有効活用させるべく、まずは朝食を用意してその間に洗濯機を回そうと考えていた。


「あれ?」


 洗濯機を動かすものの、水が出てこない。その数秒後菜々子はハッとしてリビングに移動し、ポストから取り出した郵便物を一時的にまとめて置いている収納ケースを漁った。


「しまった……今日だった……」


 数日前にポストに入っていた居住者向けのお知らせチラシ。そこには“設備点検による断水のお知らせ”と書いてある。仕事がない日だから注意しなければと思い、チラシをとっておいたにも関わらず日々の忙しさですっかり忘れてしまっていたのだった。断水は本日朝9時から15時までのようだ。当然忘れていたのだから、事前に水の溜め置きなどはしていない。これでは朝食の用意や洗濯も出来なければ、トイレの水さえ流せない。


「どうしよう、最悪だよ……」


 独り言を言いながらあと5時間近くをどう過ごすのか考える菜々子。とりあえずカフェかファミレスで朝食をとりながら決めようと思い、出かける準備をし始めた。冷蔵庫にあったペットボトルの水を使って歯を磨き、拭き取りシートなどを駆使してメイクを済ませる。水道から水が出ないだけでどれだけ不便になるのかを実感し、家を出た。


 結局自宅から10分ぐらい歩くファミレスのモーニングタイムに滑り込んだ。仕事がない平日にファミレスで遅めのモーニングとは一見優雅だが、断水が終わるまでどうやって外で過ごして乗り切るのかを考えなければならない。元々家でのんびり過ごす予定だったため、急に外で何をするかなんて思いつかない。今は特に観たい映画もないし、ショッピングも気が向かない。というか給料日前なので、決して高収入とは言えない販売員の菜々子は、今は支出を抑えておきたかった。


「ダメ元で浩司に連絡入れとこっかな」


 菜々子は浩司宛にメッセージを送った。平日の午前中なのですぐに返信が来ることはないだろうと思い、送信後はスマホをテーブルに置いてドリンクバーへ紅茶のおかわりを取りに向かった。

 先日価値観の違いから浩司に対して大きな不満を抱いたが、それでも菜々子はグッと堪えて何事もなかったかのように関係を続けている。かつてパートナー間で政治や思想の話をするべきではないと親から言われたことがあった。聞いた時はまだ学生だったのでピンときていなかったが、今はその意味がわかる。今後菜々子は同じ話題を浩司に振ることはないだろう。


 ドリンクバーから自分のテーブルに戻ってスマホを見ると、浩司からの返信があった。菜々子は“今日仕事だよね?”というメッセージを送っていたのだが、それに対して“今日は有休だけど”という返答。菜々子は“今から家に行ったら迷惑かな?”とまたメッセージを送ると、数分後浩司から着信が来た。


「もしもし? 菜々子どうした?」

「ああ、ごめんね急に……実は今日うちのマンション断水やっててさ。私そのこと忘れてたから貯水も出来てなくて、終わるまで外で過ごさないといけなくなっちゃったの」

「マジかー。いや、俺今ちょっと外出ててさ。多分帰るの夜遅くなるんだよな。合鍵持ってるんだし、俺んち使ってても構わないけど」


 それは流石に申し訳ないと思い、断るつもりでいた菜々子だったが、浩司はまた何か思い付いたかのような口調で言葉を続けた。


「それか、菜々子も今俺がいるところに合流する?」

「今俺がいるところって……?」








 浩司から指定された場所へ到着した菜々子。浩司の地元の地域で、昔ながらの商店街がある下町のようなところだ。しかしながら県を跨いでいないのに、電車の乗り換えなどで地味に1時間半も掛かってしまっていた。遥々遠方まで自分を呼んだのは一体何のためなのだろうか……と、菜々子が考えを巡らせながら最寄駅の改札口で待っていると、そこへ浩司が駆け足でやって来た。


「お待たせ〜、ちょっと遠かっただろ?」

「うんまぁ、普段使わない路線だったかな。浩司今何してるの?」

「あー、じゃあ連れて行くわ。俺ももうすぐ食事休憩終わるから」

「休憩?」


 イマイチ話が見えないまま浩司について行くが、目的地らしき場所に近づいて行くにつれて菜々子は察してしまった。そして察した通り、到着したのは商店街の中にある大型のパチンコ店であった。彼女をパチンコ屋に連れて来るというのはどういう事なんだ、パチンコデートがしたいという事なのか? 菜々子は浩司の考えが理解出来ずにいた。


「ちょっと、いいよ私は……全然入ったこともないしルールもわかんないから」

「まぁまぁ、とりあえず1回入って! 食事休憩で外出してんだけど、時間過ぎたら台取られるかもしんねーから」


 よくわからない言い分で菜々子は店内に連れ込まれた。自動ドアをくぐるとパチンコ屋特有の大音量が菜々子の耳を刺激する。普段パチンコ屋に行かない人間にとっては耳が壊れるのではないかと思うような煩さだ。

 浩司は小走りで自分が座っていた台に戻り、外出札を店員に返却して遊戯を再開する。菜々子はこの状況でどうしたらいいのかわからず、騒音に負けないようにいつもより声を張って浩司に問いかける。


「ねぇ! 私どうしたらいいの? 後ろで立って見てろってこと!?」

「あー、見たかったら見てていいし、なんなら教えてあげるからちょっとやってみる?」

「だからやらないってば!!」


 呆れて思わず怒り口調になってしまった菜々子と、それを茶化すような浩司。すると別の島の方から客らしき男が近づいて来て浩司に声をかけた。


「浩司〜、マジで彼女呼んだのかよ! しかも全然こういう場所似合わねぇ子じゃん」


 どうやらその男は浩司の知り合いのようだ。男性にしては髪が長く、根本のプリン部分がかなり目立っている。無精髭にヨレヨレのシャツとサンダルという見た目なので清潔感があるとは言えない。突如見知らぬ人が近くにやって来て菜々子が警戒していると悟ったのか、浩司がすかさずその男の紹介をする。


「コイツ俺の地元の友達。慎也しんやっつーの」

「……どうも」


 菜々子はとりあえず挨拶をしたが、慎也を一目見た瞬間から“生理的に無理”な人だと感じた。清潔感のない見た目もそうだが、話し方や目線からも品性の無さが滲み出ていたからだ。浩司が慎也のようなタイプの人間と連むことなどないと思っていただけに、戸惑いと混乱が隠せない。


「とりあえず休憩所に居て貰えば? あっちだったら時間潰せるっしょ」


 慎也がそう提案すると浩司もなるほど、と自分の出玉で交換したコーヒーを菜々子に持たせ、休憩所の場所を教えてそこでしばらく待ってて欲しいと頼んできた。この場所に到着してから終始無茶苦茶なことを言われていると菜々子は感じていたが、とりあえず今いる場所を離れたかったので渋々従うことにした。


 言われた通りの場所に行ってみると、椅子とテーブルがいくつかあって、漫画や雑誌が並ぶ本棚も設置されている空間があった。おまけに自販機や無料Wi-Fiもあるのでちょっとした漫画喫茶のようである。パチンコの騒音もそこでは多少軽減されているので、先程のように浩司の後で立って見てるよりはマシかと菜々子は思った。


 そうは言っても、今の自分の状況に何の意味があるのだろうかと菜々子は途方に暮れていた。そもそもマンションの断水が終わるまでどう過ごせば良いのかということから始まったのだが、スマホで時間を確認したところもう14時近くになっていた。予定ではあと1時間程で断水は終わるし、浩司は友人とパチンコを楽しんでいるのだから放っておいて帰ってしまっても良い筈だ。

 だが菜々子はそこまで浩司に強くあたることが出来ないでいた。パチンコで遊んでいる所に呼んだ意味は全くわからないが、どう過ごすか困っていたのは事実だし、ひょっとしたら浩司なりの気遣いなのかもしれないと思う部分もある。……いやいや、“浩司なりの気遣い”とは? 彼女も一緒にパチンコを楽しんでくれると思っているのか? 普通に考えて、パチンコデートを楽しめる女性はかなり少数派だろう。本気でそう考えたのなら、浩司にはセンスがなさ過ぎるのではないか。

 そもそも……浩司にパチンコを打つ趣味があるということが意外だと菜々子は思っていた。これまで付き合っていて浩司がパチンコの話をしたことは1度もなかったし、煙草も吸わないのでこういう場所とは縁が無さそうだと、勝手なイメージを持っていた。正直どちらかと言うと好感度はマイナス方向に動いたが、もしかすると男友達で遊ぶとなると案外パチンコは定番なのかもしれない……そう無理矢理納得しようとしていた。……それでも、浩司が友達だと言う慎也に関しては謎の嫌悪感を持っていた。人を見た目や第一印象で判断してはいけないとは十分にわかってはいるが、どうしても良い人柄の人物だとは思えなかった。なんならまともに働いているのかも疑わしい。いくら地元の同級生だからといって、IT企業で働くそれなりにスペックが高い浩司が連む相手として違和感があり過ぎるのだ。


 こんな風に思うこと考えることは山ほどあるが、何故か菜々子は帰ることはせず、大人しく言われた通りパチンコ店の休憩所で待ち続けている。やがて不満や疑念を膨らませたところでどうしようもないと悟り、休憩所にある漫画を読み始めるのであった。
















「菜々子、お待たせ〜。今日はもう引き上げるから」


 17時頃、菜々子が1巻から読み始めた漫画本を5巻まで読み終わったぐらいで浩司と慎也が休憩所にやって来た。ビニール袋に入っているお菓子と、これから換金するであろう特殊景品を手にしている。


「2人合わせて5万ぐらい勝ったから今から飯行く。菜々子もおいで」

「え、うん……」


 いちいち文句を言う気力もなくなっていたので、菜々子は諦めて承諾する。

 ということで、何故か3人で食事をすることになってしまった。謎に1人で長時間待たされたし、収益もあったということで当然菜々子は奢って貰えるわけだが、初対面に加えて良い印象がない慎也も一緒なので、決して楽しい食事会ではない。それでも浩司的には友人に彼女を紹介したいということなのではないかと思い、不満な気持ちを顔に出さずに付き合うことにした。


 食事をする場所として選んだのは焼肉屋だった。高級店とまではいかないが、有名国産和牛のメニューもあるところなので3人ならそれなりの金額になるような店だ。浩司と慎也は酒を飲みながら楽しそうに今日のパチンコの話をしている。危うくボロ負けするかと思っていたのを何とか立て直せて良かっただとか、全然当たりの出ない台に見切りをつけて移動するようにアドバイスをしたのは自分だとか、浩司が慎也にマウントを取っている。菜々子は話の内容が理解出来ないため、唯々愛想笑いをしてその場をやり過ごしていた。


「おいー、菜々子ちゃん全然話ついて来れてないじゃん。かわいそ〜」

「はぁ? お前が彼女見たいから呼べって言ったんだろーが」

「まぁそうか。つーか、菜々子ちゃん可愛いじゃん。なんか従順そうだし」


 A5ランクの肉を頬張り、クチャクチャ咀嚼音をさせながら慎也は菜々子を見た感想を述べた。別に嬉しくもなく寧ろ不快だが、菜々子は顔を引き攣らせないよう注意しながら返答する。


「えぇ、そうですかー? 別にそんな従順ってこともないですけどね……」

「ふーん、まあそっか。だってマッチングアプリで知り合ってんだもんなぁ2人。ぶっちゃけ意外とヤリマンだったりする?」

「え……」

「ちょ、お前! 人の彼女に向かってクズかよ!!」


 下衆な質問をする慎也に対し、浩司は言葉ではクズとさげすむが、ケラケラ笑ってその場のノリを楽しんでいるように見えた。その態度が菜々子には不愉快で、その後あまり言葉を発しなくなったのだった。










 夕方から食事を始め、3時間近く飲み食いをしたところでお開きとなった。会計は3万円以上、4万円いかないぐらいだったらしい。2人で5万円ほど勝ったと言っていたので少し余ったということになる。会計が終わって外に出ると残った金を慎也が握りしめ、このまま自分は風俗に行くと言い出した。それに対して浩司は笑いながら了承する。


「マジ、俺のお陰で楽しめるんだから感謝しろよ」

「うーっす、んじゃ一発行ってくるわ。お疲れ〜」


 適当な返事をして慎也は風俗街がある方へ去っていった。それを見送ると浩司は菜々子を連れて駅の方へ歩き始める。ここは浩司の地元ではあるが、現在住む家がある場所は別なので、菜々子と一緒に電車で移動しなければならない。終始楽しく遊んだ浩司は上機嫌だが、菜々子は明らかに不貞腐れているので実に対照的だ。浩司がそんな菜々子を宥めようとテンション高めで声をかける。


「ねー、怒ってる? ごめんねパチンコのこと黙ってて」


 それはとりあえず謝って当たり前なことであり、菜々子がそれだけで許すわけがない。


「……怒ってるのはそれだけじゃないです」

「え? ああ、慎也もいるのが気不味かった?」

「気不味いっていうか……はっきり言って、私ああいう人苦手」


 菜々子は遠慮することなく本当のことを言う。恋人の友達だからということで今日は我慢はしたが、この先出来れば関わりを持ちたくないと思っているからである。だが、浩司は菜々子の発言をある程度予想していたようで、特別驚いたりもしなければ申し訳なさそうな素振りも見せない。


「あーやっぱ苦手かー、だろうなとは思った。でもさ、慎也みたいなヤツ面白くね?」

「面白い? 何処が?」

「いやなんかさ、あそこまでクズ極めてると逆に見てて面白いっつーか。日頃俺が仕事とかで上手くいかないことがあって落ち込んだとしても、まぁ俺よりヤバイ底辺がいるしなーって元気出るんだよな! アイツといると自尊心保てて、精神衛生上良いっつーか。そーゆーこと菜々子にはない?」

「……ごめん、ちょっとわかんないや」


 浩司からは一切悪意が感じられなかった。ついこの前のゲイのアーティストのニュースを一緒に見た時と全く同じだ。これ以上話してもモヤモヤが膨らむだけだと菜々子は悟り、曖昧な言葉だけを吐いた。


 今日、浩司に会いに来なければ良かった。また浩司の嫌な部分を見つけることになってしまうとわかっていれば、大人しく自分の家の近所の公園でひたすらボーッと過ごし、断水が終わるのを待っていたのに。

 でも浩司に何かを期待したから、1時間半かけて移動してまでここに来たのだ。浩司の地元だと聞いていたから地元巡りをしたり、もしかしたら家族と会う展開もあるのではと妄想もした。そんな都合の良い妄想をしたから、今こんなにも喪失感があるのだろうか。

 パチンコだとわかった後だって帰るチャンスはあったのに、待ち続けることを選んだ。彼女をパチンコ屋に呼ぶなんてありえないと思っていたなら、怒って帰るという意思表示をすれば良かったのに。そうはせず1人で待ち続けるなんて、慎也の言う通り“従順”過ぎる。

 今日は1日、全ての選択を間違えてしまった……と、菜々子はひたすら後悔しながら駅に向かう。だが隣にいる浩司はそんな菜々子の胸の内を知らない。ジェンガゲームのブロックを引き抜いた場所が増えてきて、徐々にバランスを崩してきているような……菜々子はそんな心境だった。

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