ジェンガ《1》

第9話

「ほんでもう、そっからは完全にオトンが説教モードになってもうて『お前なんで家から出んの許した思てんねん、遊びに行かしたんちゃうんやぞ!』って怒鳴ってくるから、こっちも『別に遊んでるんちゃうわ!』って言い返したったんよ。オカンが止めに入ってなんとか収まったけど、ほんまにもう掴み合いになるところやったわ。叔父さんらはいつの間にか帰ってもうてたし、ほんまに最悪な雰囲気やったわ。もう年末年始は実家帰るんやめて働こっかな……なぁ、菜々子聞いてる?」

「うん、聞いてるよー」


 菜々子はバックヤードで発注書確認などの雑務をしながら、マユのお盆帰省時のいざこざ話に耳を傾けていた。夏の終わりからハロウィングッズなどの秋商品を取り扱い始めるので、マユの話は半分以上聞き流して大量にある発注書類のチェックに集中していた。春から一緒に働いているが、この頃にはマユの弾丸トークを2割だけ聞けば、ある程度概要がわかるようになっていた。


「めっちゃ適当な相槌やん、ひどっ」

「だって家族の問題は家族の間でしか解決出来ないし……」

「うーわ。やっぱこっちの人は冷たいんやな。全然親身になってくれへんやん。よそはよそ、うちはうち、ってことか」

「そんなことないって」


 マユが話していたことを要約するとこうだ。マユが関西から今のところに異動してきたのは、将来店長の役職が与えられることが社内で検討されているからなのである。マユの両親はキャリアアップ後はまた関西に戻ってきて欲しいと考えているようだが、マユにはその気がないらしい。そしていつまでも今の会社で働くつもりもなく、経験を積んだ後は独立してネットショップを運営したいと考えているのだ。それこそネットショップならば関西に戻っても出来そうな気がするのだが、より新鮮なトレンド情報を得るためには地元に戻るよりもこっちに留まる方がいいとのことだ。そのことを帰省時に親族の集まりで話したところ、父親が猛反対して喧嘩になった……ということらしい。

 デジタルに疎いマユの父親からすれば、ネット上で商品を売買するサイトを運営するというのが趣味や遊びの延長のように映るのだろう。それよりも勤めている会社で真面目に働き、時期がくれば結婚して家庭を築いて欲しいと願うのは一般的な価値観だ。

 どちらかというと菜々子はマユの両親が願っているような生き方をしたい側なので、意欲や野望に満ち溢れているマユにリスペクトがあった。しっかりと自分の意見を持ち、決断力がある彼女なら独立・起業も可能だろうとも思っている。


「離れて暮らしてるから心配なんだと思うよ? マユちゃんがこっちでどう頑張ってるかを具体的に話した方がいいんじゃない? お父さんに話すのが嫌ならお母さんに話せばいいし。そうすればマユちゃんの考えてることも伝わると思うけど。そりゃあ会社的には年末年始働いてくれる方がありがたいけど、私とかと比べてそんな気軽に帰省出来る距離じゃないんだし、なるべく会いに行ってあげた方がいいと私は思うなぁ」


 そう菜々子が言うと、マユは目を丸くして黙ってしまった。何か変なことを言ったのだろうかと、菜々子は書類の確認作業を中断する。


「え、どうしたの? 急に黙って」

「いや……なんか、最近菜々子変わったよなぁ」

「え、そう?」

「だってなんか……正直なんも考えんと適当に生きてる子やと思ってたから、まさか菜々子からこんなアドバイス受けるとは想像してへんかったわ」

「めちゃくちゃ失礼なこと言ってない?」

「いやまぁ今のは言い過ぎかもやけど。でも、自分の考えを人に言うなんてことなかったで? 前より垢抜けてセンスあるような気もするし。なんかあったん?」

「別に何もないって〜」


 全く何もないと言えば嘘になる。やはり夕羅に関わるようになってから、心境の変化が起こっているのは事実なのだ。それまで接したことがないタイプの人と出会ったことで新しい価値観を持ったり、何気ない日常の中に潜む問題と対峙した時は、じっくり考えを巡らせることも増えた。

 普段テレビやネットのニュースから知る時事ネタに対し、きっと大多数は「へぇ〜、そういうことがあるんだ。大変だな〜」で終わってしまうのであろう。そんな事よりも好きなものの情報を熱心に集めるし、日々の自分の生活をより快適にすることを優先する。問題が自分の身近で起きて、初めてそれについて考えるのだ。

 菜々子は今、以前に比べて物事がより鮮明に見えるようになったと実感していた。自分が思っていたよりもこの社会は多種多様で、常に境遇が違う人々と折り重なって生きている。誰もがそのことを念頭に置き、想像力を働かせ、尊重の心を持って他者と対話することが出来れば平和な世界になるのに……そんな“お花畑”的なことを考えていたのだった。

 残念ながら菜々子が思っていることを綺麗事だと感じる人も世の中に存在する。だって“この社会は多種多様で、常に境遇が違う人々と折り重なって生きている”のだから。



















「なんか手伝うことある?」

「とりあえず大丈夫。出来そうになったらテーブルに並べるの手伝って」


 とある日。菜々子と浩司は休日を合わせ、菜々子の家で過ごしていた。昼は配信サービスで映画を見て、その後菜々子が夕食を振る舞うため一緒にスーパーの買い出しに出ていたのだった。浩司には今すぐに使わないものを冷蔵庫に入れるよう指示をして、菜々子はすぐに夕食作りに取り掛かる。最近ネットで見た簡単レシピ投稿を参考に、チキンステーキとそれに合った副菜を作る予定だ。自分1人で食事を済ませる時より品数が増えるため、テキパキ動かなくてはならない。


「待ってる間先にビール飲んでたら怒る?」

「別にいいよ。ちょっと時間かかるから」


 自炊を全くしない人間が下手に手伝うとかえって邪魔になってしまう。そう判断して購入した6缶セットのビールのうち1つを手に取り、テレビがある寝室の方へ移動する浩司。テレビを付けると夕方のニュース番組が流れ、その音がキッチンの方にも聞こえてくる。


「続いてのニュース。人気ロックバンド“truth(トゥルース)”のボーカル、西条 奏(さいじょう かなで)さんがゲイであることを明かしました。デビュー10周年、何故このタイミングでの告白だったのでしょうか。番組の独占インタビューをご覧ください」


 SNSのトレンドにもなっていた芸能ニュースが放送されている。人気アニメとのタイアップを機にインディーズからメジャーになって、大衆人気もある男性4人のロックバンドだ。報道されているのは中性的な見た目のボーカリストで男女問わず人気があった人物だったが、今回のカミングアウトは世間にかなりの衝撃を与えた。番組のインタビューでは結成当初からメンバーには明かしていて、理解のあるいい仲間だと話している。また活動10年の節目に、自分が世の中にカミングアウトすることで誰にも言えずに苦しんでいる人に勇気を与えられればいい、とも語っていた。


「いやー、これ結構ショックよなぁ」


 ビールを片手に、浩司は感想を言った。菜々子は料理をしながらだが聞こえていたので同じく感想を言う。


「びっくりだよね。中性的なのはキャラだと思ってたよ。全然わからなかった」

「ってことはさぁ、あの曲もこの曲も……恋愛テーマのやつは対象が男だったってことだろ? 俺今後歌詞見るたびにそう考えちゃうなぁー。カラオケでよく歌ってたやつもあんのになぁ〜、もう歌えねーじゃん」

「え?」


 菜々子は包丁を持つ手を止めた。西条 奏がゲイをカミングアウトしたのは自分的にも衝撃だった。でも言いたくても言えない葛藤がきっとあったに違いないし、理解のあるメンバーに恵まれて本当に良かったなぁと、ほっこりするニュースだと捉えていた。

 一方浩司は、西条 奏が作詞したラブソングは同性愛者の視点で作られたものだから、自分はもう歌えないと嘆いている。彼が手掛けた楽曲が男性の恋人に向けて作られたのかは彼にしかわからないことだ。その通りではないかもしれないし、その通りなのかもしれない。あらゆる可能性がある中で、浩司は男性に向けて作られた曲なのだと決めつけ、明らかに引いている態度をとっている。なんだろう、自分とは違う。しばらくは感じていなかった恋人への違和感の再来。


「あんだけヒット曲出しまくってる人なんだから、全部自分の気持ちを投影させて歌詞を書いてるとは限らないでしょ?」

「そうかねぇ? つーか、メンバーみんな理解してくれてとか言ってるけど、ゲイのヤツと一緒にバンド活動するの普通に気まずいだろ。もしかしたらあの中の誰かとデキてるのかもなぁーとか想像すると見てらんないっていうか……」


 偏見と差別を含む言葉に、菜々子は眉をひそめる。交際相手がそういう価値観の人であって欲しくないという思いから、意を決して指摘することにした。


「そうゆーの、あんまり言わない方がいいんじゃない? 人によってはめちゃくちゃ怒ると思うけど」

「いやいや、菜々子は寛容に受け止めるタイプなのかもしれないけどさ。全人類LGBTを理解しろ、積極的にカミングアウトしろって押し付けるのも違くない? 俺は突然友達から実はゲイですって言われたらソイツとは距離置くし、同性カップルで結婚したい人は認められてる国に行けばって思う派なのよ。俺みたいに考える人のことだって尊重されるべきだろ」

「それは、そうかもしれないけど……」


 菜々子は口篭ってしまった。夕羅やミッキー、一希など性の多様化の縮図のような環境に突然入り込んだからか、現代的で意識が高い女になったつもりだったのかもしれない。浩司の方が菜々子より4年長く生きていて社会人経験もあり、頭も良いリアリストなのだ。悔しいが言い返す言葉がなかなか思いつかない。が、今の自分で口に出すことが可能な言葉を、なんとかして絞り出す。


「……でもさ。もし友達とかじゃなくて、会社の同僚とか先輩・後輩とか……そう言う人の中にいたらどうする? 勇気がないから言えないだけで、ひょっとしたら身近にいるかもしれないじゃん。そういう場合、自分が知らないうちに誰かを傷つけてしまうかもしれないんだよ。友達なら距離を置くでいいかもしれないけど、仕事仲間だったら上手くやっていかなきゃだめじゃん」


 絞り出した反撃はこれが精一杯だった。でも間違ったことは言ってないと思うし、浩司の考えが少しでも変わってくれればと菜々子は願う。

 だがそんな菜々子の気持ちとは裏腹に、浩司はヘラヘラ笑っている。


「ははは、うちの会社にそんなヤツいるわけないだろ〜。心配しなくてもあーゆー人達は自分らのコミュニティーがちゃんとあって、同じ境遇の人同士でつるんでんだよ。つーかうちの会社の男共はみんな体育会系のノリのバカばっかだしな。合コンやキャバクラに行った話ばっかしてて、アッチ系のヤツなんて1人もいないよ」

「……そう。ならいいけど」


 副菜で作ったしめじとほうれん草の和物はうまく出来た。チキンステーキにかけるソースも味がちゃんとキマっているし、鶏肉はまだフライパンで焼いている途中だが、皮がこんがりパリパリに焼けていて絶対に美味しいに違いない。……だが、菜々子は食欲が失せていた。

 これまで浩司に対して癖やマナーエチケットの面で不満に思うことはあったが、価値観や人間性に不満を持つことはなかった。そしてなんとなく、これは我慢では乗り越えられないような気がしていた。

 浩司とこれまで過ごしてきた数ヶ月はジェンガゲームを始めるためにブロックを積み上げてきた期間であったに過ぎない。今まさにゲームがスタートし、積み上げたブロックの最初の1つを引き抜いた……そんな感覚に菜々子は陥っていた。

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