絶対に言わないでください
第8話
「おっせーよ、幹雄! 時間ギリギリじゃん」
「うっさいわねぇ、待ち合わせ時間には間に合ってるでしょ!?」
「あはは……2人とも声大きいなぁ……」
先日約束をした男装カフェに行くため、駅の改札口で集合した菜々子と夕羅、そしてミッキーの3人。その日は週末・金曜日ということもあり、駅前を離れても賑やかだった。仕事から開放されて浮かれた表情をしている人々とすれ違いながら、目的地を目指して歩いていく。
「でもさー、男装カフェってアニメ好きな腐女子とかが通うイメージなんだけど。アンタそーゆーの全然興味ないじゃん」
「確かに。私も夕羅さんにそっち系のイメージない」
向かっている途中ミッキーが疑問に思っていたことを口にし、菜々子も同調した。夕羅はそんな2人に対して得意げに説明する。
「わかってないなー。例えばさ、メイドカフェも完全にオタクを相手にしてる従来型店舗もあれば、メイド服着てるだけで営業形態はガールズバーみたいなところもあるじゃん? それと一緒。私がはしご飲みしてて、たまたま入った店がそんな感じだったの。そしたら顔がすんごいタイプの子がいてさ。それがカズキってわけ」
夕羅がその男装カフェに通うことになった経緯は理解出来た菜々子だったが、それでもまだ何処か腑に落ちなかった。菜々子の勝手なイメージだが、男装カフェに行くのはイケメンと話したいけど本物の男性が相手だと緊張してしまう、
そんな思考を1人で巡らせていたところ、ミッキーが別の話題を菜々子に振った。
「そういうば菜々子ちゃん、彼氏の反応どうだった? 新しいヘアスタイル」
「え? ああ……意外とそういうのも似合うんだねって言われた」
「はあ? なぁに〜その男! もっと上手く褒められないのぉ〜!?」
「ほら、幹雄もそう思うよね? 菜々子の彼氏絶対良い男じゃないよ」
実際に手を施したスタイリストであるミッキーの毒舌に、夕羅がさらに乗っかるので菜々子は苦笑いしながら宥めた。だが正直なところ、菜々子も浩司の反応に対して不満を感じていたのだ。
美容室に行った数日後に菜々子は浩司と会っていた。浩司は待ち合わせ場所で菜々子を見るなり「誰ですか?」と冗談を言ったのだが、その後は新しいヘアスタイルについて何も触れないので、カフェでまったりしている最中にさりげなく菜々子から聞いてみたのだった。
「髪型、似合ってると思う?」
「え? うんまぁ。意外とそういう感じのも似合うんだね」
「そう。なんか……あんまり好みじゃなさそうだね、反応的に」
「え!? いや別に、可愛いと思ってるよ?」
焦っているような様子の浩司を見て、菜々子はムスッとしながらキャラメルフラッペを
「でもなんで急にイメチェンしたの? 別に前から髪短くしたいって言ってなかったじゃん」
「え……それは、友達に言われたから」
「へぇー。でもさぁ、友達に言われて髪短くしよってなるもんなの? 女子のことはよくわかんねーけど、ロングだった人が肩上の長さまで切るって結構思い切り必要なんじゃないの、普通」
「まぁそれは……けど、その友達すごくお洒落だから。すごく参考になるんだよね」
浩司は妙なところで勘が鋭い。確かに普段の菜々子なら、友達に髪を切ったほうがいいと助言を受けたところで本当に切ることはない。言われたのがただの“友達”ではない夕羅だったからだ。
「なるほどねー。そういえば最近メイクも前とちょっと違う気がするけど、それもその友達の影響?」
「そう、だね。同じ友達」
「ふーん。……なんか、すげー信頼してんだね。その友達」
いつの間にか立場が逆転したみたいに、今度は菜々子が焦っていた。浩司はその後特に勘繰るようなことはなかったが、ふとしたことから疑われるのかもしれない、と普段の言動・行動について慎重になるべきだと再認識したのだった。
「いらっしゃいませ、どうぞ」
3人で雑談をしながら歩いているうちに、目的地である男装カフェに到着した。男装“カフェ”というが、小さな飲み屋が複数軒入っている雑居ビルの中にあり、店内は完全にバーやスナックの作りである。10席もないカウンター席がメインで、ボックス席も少しだけある小さな店だ。凛々しい声の男装女子に迎えられ、カウンター席を並びで案内された。時間が20時前だからなのか、先客が2組いるだけでまだ混雑はしていない。
「夕羅さん、今日はお友達と一緒なんですね」
3人をカウンター席に案内した男装女子はここの店長のようで、夕羅のお目当てのキャストは20時出勤だからもう少しだけ待って欲しいとのことだった。男装カフェを含むコンセプトカフェは、店によってメイド・執事モノや魔法学校モノなどテーマがあったりするが、この店は普通に男装をするだけのようだ。既に3人程キャストがいるが、皆シックな色のメンズシャツを着ていて、ホストをもっと中性的にしたようなビジュアルをしている。
「どもー、夕羅の飲み仲間のオネェでーす。ミッキーって呼んでくださいねぇ〜」
「あーこいつ煩いんで適当に流してくださいね、んでこっちは私の勤務先の友達です」
「あ、はい、菜々子です……すごい、みんなカッコいい」
初めて潜入した男装カフェに興味津々な菜々子と、相変わらずなやりとりをする夕羅とミッキーを見て爽やかな笑顔を見せる店長。だが3人の中で一番端に座っていた菜々子は、先客でいた2組のソロ女性客が、明らかに夕羅に対して敵対心的なものを向けていることに気づいてしまった。もしかしたら推し被りでもしていて、警戒しているのかも……などと、この時は想像していた。
「夕羅さん、お待たせしました〜!」
20時を過ぎた頃、カウンターを挟んで菜々子たち前にやってきたのは、胸に“
「待った。待ってる間に1杯目飲み終わったから、一希も私に追いつかないと」
「わー、ありがとうございます! ボクもドリンクいただきます」
そう言って夕羅は一希も含めた4人分のドリンクを追加注文する。菜々子は、夕羅のお気に入りが一希であることをなんとなく理解した。他のキャストは見た感じ落ち着いたお兄さんキャラなのだが、一希は人懐っこい弟キャラが担当のようだ。そして確かに顔タイプも犬か猫かで言うと犬っぽい。
「ちょっとぉ、一希可愛いじゃな〜い」
「あ、ミッキーさんですよね? 夕羅さんから話は聞いてました。ボクもずっと会ってみたかったんです!」
「一希ビビんないでいいよ、コイツちゃんと優しいオネェだから」
「そうよ〜、オネェは罵るキャラばっかじゃないんだから誤解しないでよね!?」
夕羅とミッキーはやはりこういう飲み屋遊びに慣れているんだなという感じだ。菜々子は一緒に盛り上がりこそしないが、目の前に広がる景色がどれも新鮮でそれなりに楽しんでいた。
メニュー表を見ていると、ドリンクやフード以外にキャストとのチェキ撮影などのオプションや指名料のことも書かれている。というかオプションではなく、こういったお店ではおそらくはこちらがメインなのだろう。先客の女性がチェキをリクエストしたらしく、チェキ撮影用の場所でご指名キャストに壁ドンやらハグやらをされてツーショットチェキを撮っている。その光景に目が釘付けになっていると、すぐ側でチェキをリクエストする声が聞こえた。
「んじゃとりあえずチェキ3枚ね」
「あ、はい! じゃあ今のお客様の次で」
ちなみにこの店ではチェキは1枚500円らしい。夕羅がよく通る声で宣言すると、菜々子の席から一番近い席にいる常連客が、目の前のキャストに小声で話しているのを耳にした。
「ねぇ、あの女なんで出禁にしないの? そのうち一希くん飛んじゃうよ?」
「うーん……オーナー的には出禁にする程じゃないってことらしくて……」
チェキを撮るだけで出禁? と聞き耳を立てながら菜々子は思ったが、いざ夕羅が一希とツーショットチェキを撮ってる様子を目にすると、他の常連客が厳しい視線を向ける理由がわかった。
通常このチェキ撮影というのは、キャストのリードで大胆なポーズに挑戦・撮影することによって、客側が胸キュンを味わえるという趣旨なのであろう。だが夕羅の場合、自分からガンガン迫っていくスタイルで一希の方が若干戸惑っているように見える。
「わっ! 夕羅さんっ、くすぐったい……」
「んん? 一希はこの辺が弱点なんだー?」
「あはは……夕羅さん、ちょっと絡みがディープ過ぎますねぇ……」
チェキを撮影する係のキャストがやんわり夕羅を制しているが、明らかに異質な雰囲気だ。確かにこれは店側でブラックリスト入りが検討されても仕方がない、と菜々子も少々呆れてしまった。
「こぉぉらぁ酔っ払い女!! 一希もお店の人も困ってんでしょーが!!」
店側がキツく注意出来なさそうと悟ったミッキーが助けに入ったことでなんとかその場は収まったが、その後も何かと夕羅は一希に対して距離感のバグったスキンシップで迫っていて、同じ現場に居合わせている菜々子にとっては複雑である。別に夕羅と付き合っているわけではないし、友達宣言をしたのだから、夕羅の行動を怒る資格はない。そして一希に嫉妬しているわけでもない。だがどう形容したらいいのかわからない感情が芽生えているのは事実だ。
それからしばらくすると、夕羅に沢山飲まされた一希が少し席を外したようで、別のキャストが代わりにやってきてワイワイ盛り上がっていた。時間も混み合う頃になっていて、全体的に店内が騒がしくなっている。夕羅が一希の売り上げ貢献のためにスパークリングワインのボトルを開けたりもしていたので、一緒に飲んでいた菜々子もそれなりに酔ってきていた。
「すみません、お手洗いってどこですか?」
「あー、ここのビルはフロア共通になるんです。女性用は店を出て右の突き当たりですね」
店長にそう教えられ、菜々子はトイレに向かった。店の外に出るとさっきまでの騒がしさがなくなり、少し頭がスッキリしたような感覚になる。
言われた通り突き当たりまで行き、女性用トイレのドアを開けた瞬間、思わずビクッとした。一希が手洗い場の側で
「か、一希さん!?」
「あっ……」
一希も菜々子の姿を見るなりビクッと体を震わせる。何かに怯えているかのような雰囲気だ。
「大丈夫ですか? 飲み過ぎて気持ち悪くなっちゃったとか……」
「いや、違うんです、あの、ボク……」
菜々子は最初、てっきり一希は飲み過ぎて吐きそうになっているのかと思っていた。だがよく見るとそうではなく、そこらじゅうに除菌用のアルコールシートが散乱しているのを目にした。そして、そのシートには夕羅が付けていた紅リップの色が滲んでいる。おそらく先ほどのハードなスキンシップを受けたところをシートで全て擦り落としていたのだろう。
「一希さん……?」
「あの……絶対に言わないでください、夕羅さんには」
そう言って一希は泣き崩れてしまった。突然のことで菜々子は戸惑うも、しゃがんで話を聞くことにした。
一希はこれまでお店の中では人気が伸び悩んでいたのだが、夕羅から指名を貰えるようになってようやく店での居心地がよくなったのだそうだ。だが、夕羅から受けるスキンシップを実は苦痛に感じていて、営業成績維持のために必死で耐えている……そういう状況らしい。
「うちの店、オーナーは男性なんですよ。だから別に女同士のはセクハラのうちに入らない、それより指名客離さないようにしろって言われて……でも、今日のは結構キツくて。ボク……私、こういう仕事してますけど普通に彼氏いるんです。メンズファッションが好きで、仕事で男装出来るなら楽しそうだなって思って始めたんですけど……本当、考えが甘かったなって思います」
菜々子はなんと声をかけていいのかわからなかった。夕羅にとっては自分も一希もお気に入りの同性だ。自分は夕羅に特別な感情を抱いたり、新しい自分を見つけるきっかけをくれたりしたことで感謝の気持ちもある。だが一方で、一希にとって夕羅は同性の性加害者なのだ。同一人物から同じように過剰なスキンシップを受けているが、人によって受け取り方が違えばこうも変わるのか、とショックを受けた。そして、この問題に対して最適な答えを今は出すことが出来ない。
「酷い姿見せてしまってすみませんでした……ボクもう戻らないと」
「本当に大丈夫? 無理しないほうが」
「駄目ですよ、今は仕事中ですもん。夕羅さんも待ってるし、お店にこれ以上迷惑掛けたくないですから」
一希は人に打ち明けられたことで気が楽になったのか、気合を入れ直すように深呼吸をしてトイレから出て行った。
自分も早く戻らないと、何かあったのかと夕羅が探しに出てきてしまうかもしれない……そうわかってはいるものの、菜々子はまだ店内に戻る気にはなれなかった。
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