ヘアスタイリスト

第7話

次の週。昼過ぎに菜々子は夕羅の知人が勤めているという美容室に向かっていた。駅で夕羅と待ち合わせをして5分程歩くとその美容室はあった。店内は比較的広い、人気店のようだ。


「ここで働いてるの? その美容師さん」

「ううん、今日はここって感じ。あいつフリーランスだから」


 フリーランスの美容師と聞くだけでカッコいい印象を持つ菜々子。どんなカリスマ美容師が出て来るのか期待に胸を膨らませて足を踏み入れると、ファーストコンタクトで度肝を抜かれることになった。


「あ〜!! もう、遅いわよっ!! 待ちくたびれたっつーの!!」

「うるせーな、ちょうど予約時間じゃん」


 よく美容関係の仕事をするオネエキャラの人をテレビで見かけることがあるが、リアルで見たのは初めてだった。夕羅といつものやり取りかのように話すその美容師は幹雄みきおというそうだ。話すと煩いオネエキャラだが、見た目はかなりお洒落なイケメンである。


「ちょっとー、幹雄って紹介しないでくれる!?」

「は? だって名前幹雄じゃん」

「ミッキー!! アタシのことはミッキーって呼んでね? 菜々子ちゃん」

「は、はい……」


 雰囲気に圧倒されている菜々子に、夕羅は終わるまで近くのカフェで時間を潰しておくと告げて店を出て行ってしまった。完全初対面の幹雄、通称ミッキーと1対1になってしまい、どう接すればいいのか困っていると、それを感じ取ったミッキーの方からフォローが入った。


「ごめんねぇ、アタシと夕羅いつもあんな感じのノリだからさぁ。今日は大変身させちゃうから、期待してね?」

「よろしくお願いします……!!」

「じゃあ、席ご案内しますね」


 一気に仕事モードになるミッキー。カット席に菜々子を座らせ、ケープや道具の準備をしながらカウンセリングをする。


「夕羅からは思い切って短くしてって言われてんだけど、本当に大丈夫?」

「あ、はい……私、似合いますかね?」

「うん。所謂ショートカットじゃなくて、ボブ系だったらバッチリだと思う。今ちょーっと重た目な印象だからぁ、空気感持たせて軽くしちゃおう。髪色はもうちょっと明るくしても平気? お仕事的に」

「はい、奇抜にならなければ全然」

「オッケー、じゃあまずカットから入りますねー」


 ミッキーによる施術が始まる。それまで菜々子は短くしてもミディアム丈までだったため、ハサミが入る瞬間を緊張して待っていた。じゃあ切るね、とミッキーが一声かける。バツッという音と共に切られた髪が床に落ち、急に頭が軽くなるのを感じた。胸まであったロングの髪が肩より上のボブ丈になるだけでこんなにも違うのか、と菜々子は感動のあまり声を漏らした。それを見てミッキーは微笑んでいる。


「どう? 世界変わった?」

「はい……なんかものが落ちたみたいな感覚です」

「何それ〜、大袈裟よぉ。こっから更に軽くするからねー」


 大まかに切ってから次は整えていく。すきバサミなどを使いながら髪の量を減らし、段を付けたりしてフェイスラインがスッキリして見えるような形を作っていくミッキー。ある程度完成系に近づいたところで鏡で後ろの方の仕上がりを菜々子に見せ、その後カット用に濡らしてた髪にドライヤーをかけて乾かす。乾いた後に微調整で2、3回ハサミを入れてカットは終了。ロングヘアーから30分ぐらいでボブに仕上がってしまったので、夕羅の言った通りミッキーは腕のいい美容師だ。


「凄いです、ミッキーさん……めちゃくちゃ気に入りました」

「まだよ〜、これからカラーしていくからね! ブリーチなしで出来るだけ明るくなるように頑張るわ!」


 カラーは薬剤を塗ってから放置することもあり、カットよりも時間がかかる。そのためミッキーは施術をしながら世間話を始めた。菜々子と夕羅の関係をどこまで知っているのかは不明だが、自分と夕羅は行きつけの飲み屋で知り合った友達同士であると話した。


「夕羅めちゃくちゃ酒癖悪いのよー。今はだいぶマシになったけど、前はスナックの看板に突っ込んで倒したりしてたからね」

「えぇ、意外……顔色変えずに淡々と飲んでるイメージでした」

「それはカッコつけてんのよ! ほんと酷いエピソードいっぱいあるんだから〜。あ、菜々子ちゃんアタシに敬語じゃなくていいのよ。夕羅の友達はアタシにとっても友達だから」


 コミュニケーション能力の高さは流石だな、と感心する。フリーランスの美容師ということは日によって勤務する場所が異なるので、元々その美容室に勤めている人より腕や人柄で集客しなくてはならないのだろう。技術とコミュりょくの高さを目の当たりにし、菜々子は大満足な時間を過ごした。




「はーい、完成。どう……?」

「うわぁ……」


 鏡を見た菜々子の顔に笑みが溢れる。イエローベージュの髪色が顔を明るく元気な印象にし、顎周りをスッキリ見せるボブカットで垢抜け感のあるスタイルに仕上がった。先日夕羅のチョイスで購入したコスメでメイクした顔と絶妙にマッチしている。1週間前までの自分と今の自分を写真に撮れば、美容コンテンツのビフォーアフターのようになるだろう。そして、施術がちょうど終わる頃を見計らったかのように夕羅が美容室に登場した。


「終わった〜? おお、いいじゃん。すげー可愛い!」

「あったりまえでしょ〜!? アタシがやったんだから。菜々子ちゃん、気に入ってくれた?」

「勿論!! 本当にありがとう……」


 時間は17時頃になっていた。今日ミッキーはこの後にもう1人だけ接客して上がるとのことで、終わった後に3人で飲もうという話になった。落ち合う場所は後で連絡すると言って夕羅は菜々子と共に美容室を出た。














 


「お疲れ〜!! 待ったぁ〜?」

「チョー待った。待つのダルいから遠慮なく先に始めてた」

「ミッキーさん、お疲れ様!」


 19時過ぎ、待ち合わせ場所に指定した個室居酒屋にミッキーが賑やかに到着した。先に注文をして飲み食いしていたため、夕羅は既にテンション高めになっている。


「ミッキーさん、何注文する?」

「とりあえずビールかなー。あとお腹空いてるから、ガッツリ系の食べたい!」

「幹雄ダイエット中じゃなかったのかよ」

「今日はチートデイなんですぅ〜。いいわよね、食っても太らないやつは」


 ミッキーのリクエストを聞いてタッチパネルで注文する菜々子を他所に、夕羅達はハイテンション・ハイスピードな会話の応酬を繰り広げている。菜々子はなんとか取り残されないよう心掛けるが、2人の会話を聞くのが精一杯だった。

 夕羅とミッキーが知り合った飲み屋というのは所謂ゲイバーで、ミッキーはお気に入りのスタッフ目当ての常連客、夕羅はたまにフラッと来る女性客だったらしい。たまたま居合わせた時に異様に馬が合ってしまい、それ以降はそのゲイバー以外でもつるむ飲み仲間となったそうだ。


「でもさー、幹雄そのゲイバー出禁になったんだよ。お気に入りだった子と付き合うことになったから」

「ええっ!? やっぱそんなことあるんだ……」

「まぁー、仕方ないわよね〜。タクミ人気なんだもん、事情知ってるヤツに殺されかねないからさぁ〜」

「今も進行形……ってことなんだよね?」


 菜々子がそう問うと、待ってましたと言わんばかりにミッキーの恋バナが始まった。それを見て夕羅はうんざりな表情を見せるが、ミッキーは構わず菜々子に対して恋人のタクミとのことを熱弁する。


「もう、ほんっとーに可愛いのよタクミは〜!! アタシより5つ年下なんだけどね、ちょうど菜々子ちゃんと同じぐらいかなー? ほんと不器用でね、ついついお世話したくなっちゃうのよ〜。母性本能くすぐるってやつ? この前も一緒にご飯食べてたらもうずっと何かしら溢しててぇ、白いシャツにソース汚れ出来ちゃったから『もういっその事赤ちゃんの食事用エプロンつける?』って冗談で言ったら『その方がいいかも……』ってマジでしょげちゃったのよ〜!! 純粋〜〜!!」

「あはは、確かに純粋で可愛い……」


 ミッキーの弾丸惚気トークになんとか辛うじて相槌を打てている状態の菜々子を見て、夕羅が割って入る。


「もういいって……菜々子も、幹雄の惚気話真剣に聞かなくていいから」

「何言ってんのよぅ!! 普通女子会は恋愛トークで盛り上がるもんでしょ!!」

「お前、女子じゃねーじゃん」

「うっさいわよ、細かいことばっか言ってほんと嫌な女ねぇ〜。ホント菜々子ちゃん、なんで夕羅なんかと一緒にいるの?」

「え? あの、えっと……」


 菜々子の戸惑いの表情を見てミッキーは一瞬ハッとし、さっきまでとは打って変わって優しいトーンで話を続けた。


「あ、大丈夫よ。アンタたちのことは知ってるから。夕羅から聞いた時は、こいつまたストレートの子を狂わせて……って呆れちゃったわよ。この女のこと好きになっても幸せにならないわよ? 絶対恋愛しないって豪語してんだから」

「人の生き方にケチ付けるの良くないと思いまーす。うちら“多様性訴える人間の代表”なんだから」

「あ、菜々子ちゃん今こいつ皮肉を言ってるのよ。最近活発になってるLGBT系の活動家のことなんて『知らねー、興味ねー、勝手にやってろ』って思ってるタチだから。まぁアタシもそうなんだけど」


 ミッキーにとっては何気ない言葉に過ぎないのだが、菜々子の心には強く印象に残った。レインボーを掲げている人達が、あらゆるところでデモや抗議の活動をしているのを見かけるが、あの中には当事者ではない人も含まれているとSNSなどで目にする。セクシャルマイノリティーの人にとって本当に居心地の良い社会を作りたいと考える人もいれば、こういうことに関心がある自分はカッコいいしお洒落だと思っている人もいるだろう。そして商売や政治などに利用している人、組織も……。そんな彼らに対して、夕羅やミッキーは少なくとも好意的ではないのだろう。

 異性とだけ恋愛をしてきたマジョリティーな自分では気づく事ができない視点。夕羅もミッキーもひょんなことから生まれた縁だ。そんな2人と今後も付き合っていく上で、今までよりも一層他者へのリスペクトを持って接していかなければならない、と菜々子は思った。




「菜々子ちゃん楽しんでる? そう言えばさー、いつ行くのよ? 夕羅のお気に入りがいるって店」

「え?」


 深く考え事に耽っていた菜々子をミッキーが呼び戻す。既に5杯以上濃い目のハイボールを飲んでいる夕羅はいつもより話す声が大きくなっていた。


「あー、あれね。“カズキ”が次の出勤、来週の金曜日って言ってたんだけど幹雄も行く? そしたらカズキの売り上げ上がるしね。ってか、菜々子も一緒に行く?」

「えっと……どこに行くっていう話?」

「男装カフェ。行ったことないでしょ?」

「ちょっと、どういう神経してんのよ夕羅! ジジイが嫁連れて指名してるキャバ嬢に会いに行くみたいなもんじゃない!」

「幹雄こそ菜々子いる時に話振っといて何言ってんだよ……菜々子は菜々子、カズキはカズキ。カズキは菜々子とは全然雰囲気違うけど、あの子の顔も好きなんだよねー。犬顔で」


 夕羅が男装カフェにも通っているということも衝撃だし、ミッキーの言う通り複雑な心境ではあるが、夕羅達の勢いとノリに流されて菜々子も同席することになった。そうこうしているうちに2時間以上経ってしまったので、その日はお開きとなった。美容室でミッキーが話していたように、居酒屋を出ると近くにあったラーメン屋の看板に突撃しそうになっている夕羅。懇親会の時にクールにスコッチのロックを飲んでいたのは幻だったのだろうか。


「じゃねー菜々子ー!! 明日またバックヤードでイチャつこうね〜」

「バカ女、外で何言ってんのよ!! 菜々子ちゃん気をつけてね〜。彼氏の反応、後で教えて!!」


 3人ではお開きとなったが、夕羅とミッキーは軽くもう一軒行くと言ってディープな飲み屋街の方へ消えていった。菜々子は帰る途中どっと疲れを感じたが、3人で過ごした時間を思い出してはニヤニヤしてしまい、酔いさえも心地よいと思った。

 浩司には髪を切る事は伝えていなかったので、どういう反応をするのかドキドキである。だがカリスマ美容師によって作られたヘアスタイルなのだ。きっと褒めてくれるに違いない。自然と鼻歌が漏れ、足取り軽く駅へ向かうのだった。

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