よくわからない関係

第6話

「お品物です、ありがとうございます」


 レジに並んでいた客を捌ききったところで菜々子は一息ついた。祝日ということもあり、今日はいつもより忙しい。レジは一旦アルバイトスタッフに任せ、社員である菜々子はやりかけだった商品チェックの作業を再開した。店頭に出ている商品を一通り見て在庫がある商品はバックヤードから補充、完売したものに関しては定番商品ならば追加発注……など、在庫管理表を見ながら店頭とバックヤードを忙しそうに行き来している。


 既に懇親会があった日から数日経過していた。あれ以来も菜々子と夕羅は勤務中のフロア内でも、休憩室でも当然のように顔を合わせている。夕羅に関しては以前と全く変わらない距離感で接しているのだが、菜々子の方はというと変に意識してしまい、若干挙動不審な人のようになっていて周りから不思議がられていた。

 とはいえまもなく夏休みの時期になるため、どの店舗もサマーセールなどの準備で忙しく動いている。菜々子のちょっとした不可解な行動はさほど気にされるようなことではないのだ。


「あれ? 5番のポーチ、在庫ないじゃん……」


 バックヤードの商品棚で補充商品をピックしながらブツブツ呟く菜々子。在庫表にはあと2つあることになっている商品が裏になかったのだ。アルバイトが補充時に表への記入を忘れたか、もしくは万引きにあったか……こういった小さなズレは月末の棚卸しの際に色々と面倒になったりする。店の混雑で疲労を感じている時になんなんだ、とイライラしていると、急に背後から知っている香水の匂いがした。


「独り言、癖なの?」

「ひゃっ!!」


 小さく悲鳴を上げる菜々子に、大袈裟な反応だなと笑う夕羅。この商業施設の場合、バックヤードの商品棚は同じ場所にあり、店舗ごとに使うところが区切られている仕様だ。なので同じフロアで働く夕羅もここに来たっておかしいことはない。にしても急に懐まで距離を詰めてくる夕羅の行動は、菜々子にとっては非常に心臓に悪いのである。


「前もブツブツ言ってて、すっ転んでたよね?」

「そ、そういえばそうでした……っていうか! 夕羅さん、すごく距離感バグってますよね!?」

「そう?」

「そうですよ!! しかも近くに来るまで気配ないし……忍者ですか?」

「例え、古臭いね」


 軽くディスられたところで菜々子が集めた補充商品を持って立ち去ろうとすると、夕羅に掴まれグッと引き寄せられた。耳元に吐息を感じ、ブルっと全身が震える。


「彼氏にはバレてない? 私とのこと」

「バレて、ません……っていうか、想像もしてないと思います」

「ま、そりゃそうか」


 メッセージの既読がなくて心配はされたが、女性ばかりの飲み会に参加しただけなので、そこで何かやましいことがあるかもなんていう考えは浩司にはなかっただろう。おそらくよっぽどのことが起きなければ、今後も浩司には隠し通せるような気さえしてくる。


「あれから、彼氏とヤッた?」

「……しました。次の日に」

「そうなんだ? 盛んなんだね」

「なっ、からかってるんですか!?」


 顔を真っ赤にして反抗する菜々子を、夕羅は余裕の表情で宥める。念のため確認だが、今は施設の営業時間内でどちらも勤務中の身である。


「ごめんごめん。で、どうだった? 私と比べてみて」

「それは……前にも答えたじゃないですか」

「改めてもう1回聴きたいんだよ。彼氏と私、どっちの方がよかった?」

「……」


 菜々子はわかっていた。完全に夕羅に敗北しているということを。先日夕羅のことを思い浮かべながら自慰行為をしてしまったのがその証拠だ。この事実を決して本人には知られたくはないのだが、何か言葉を発すればそれらも全て夕羅に見透かされてしまうような気がしてうまいこと返答が出来ない。そんな菜々子を見て少々意地悪が過ぎたか、と夕羅は笑った。


「もーごめんって。きらいになった?」

「確認するぐらいなら、意地悪しないでくださいよ……」

「ねー、次はいつにする?」

「……夕羅さんにとって、私はセフレ的なやつなんですか?」


 堪らずそう投げ掛ける菜々子。夕羅に主導権を持たれてしまっているのは仕方がないが、せめてもの反抗心を示したかったのだ。この鋭い質問にどう答えるのか、困るところを菜々子は見たかったのだが、残念ながら夕羅は何のダメージも受けていないようだ。


「んー、まぁそういうことになるのかなぁ。私恋人作らない主義だし」

「そんな……よく何の悪びれもなく言えますね」

「だって、色々面倒臭いじゃん。って言うか、彼氏いるのになんで菜々子は私からの愛情を求めるの?」


 痛いところを突かれ、菜々子は口籠くちごもった。確かにそうだ……自分には既に恋人がいる。それなのに夕羅との割り切った関係には何故か抵抗を感じているという矛盾。一体夕羅にこれ以上何を求めているのだろう? しばし自問自答した末、菜々子は小さく呟く。


「……せめて、フレンドでいてください」

「んん? どういう意味?」

「その、そういうことするためだけの関係じゃなくて……ってことです」


 精一杯の答えであった。恋人じゃないのなら、罪悪感が少しでも和らぐような名称の関係がいい。菜々子の訴えに夕羅はクスッと笑い、身体の密着を解いた。


「オッケーオッケー。じゃあさ、今日って何時に上がるの?」

「え? 早番なので18時ですけど……」

「お、私と一緒じゃん。じゃあ終わったらデートする?」

「デート……?」

「あ、心配しなくても普通にショッピングしたりお茶したりだからね。都合悪い?」


 妖しげな雰囲気で迫って来たかと思えば、あっさり切り替えてフランクに接してくる。夕羅の行動は全く読めず、菜々子はずっと振り回されっぱなしだ。しかし戸惑いながらも急な遊びの誘いに嬉しさも感じている。こんな状況で断るはずがない。


「悪くないです……上がったら休憩室で待ってます」












 退勤後。休憩室で落ち合った菜々子と夕羅は商業施設の裏口を通過し、夕方の街に繰り出した。


「どっか行きたいところある?」

「えっと……ちょっと思い浮ばない、です」

「あ、今後敬語なしね。“友達”なんだから」

「はい……あ、うん」

「んじゃとりあえずカフェ入ろ。暑いし」


 自分から言ったものの、果たして自分は夕羅の“友達”として釣り合っている存在なのだろうか、と菜々子は考えていた。美しくて個性的なファッションの夕羅の隣にいる自分は、頑張って背伸びしている芋女なのだと自覚している。そもそも、夕羅は何故菜々子の“顔が好み”なのだろうか。顔面偏差値平均の量産型からどうやって菜々子を選んだのか、そこが知りたい。






「菜々子は髪型と服装変えたらめちゃくちゃイメージ変わると思うよ。そもそも今着てる服も実はそんな気に入ってるわけじゃないでしょ?」


 カフェに入って雑談をしている途中、菜々子は夕羅にズバッと言われてしまった。まさにその通りである。ファッションアイテムを売っている仕事柄、客からダサいという印象を持たれたくないと思い、とりあえず流行は外さないようにし、無難に万人受けする物ばかりを選んでいるのだ。加えて自分に似合うものなんてわからない。


「夕羅さんにはわかるの? 私に何が似合うか」

「まー、なんとなく。私、一応服飾系の専門行ってたんだよね」

「そうなんだ……なんか納得」

「髪さぁ、バッサリ切りたくはない?」


 夕羅は菜々子の無難な茶髪ロングを見てそう言った。そういえば今まで肩より上に切ったことがないと、菜々子は気づく。万が一失敗した際、ショート丈は取り返しがつかなくなるので今まで避けてきたのだ。もし似合うのなら挑戦してみたい……そんな気持ちになってくる。


「知り合いに美容師いるんだけど、そいつに頼めばいい感じになると思うんだよね。すんごいうるさいけど、腕はいいから」

「ほんと? じゃあ、お願いしよっかな……」

「じゃあ、連絡しとくね。あとさ、メイクも色味変えた方がいいよ。菜々子は絶対イエベだから、オレンジとかがいいと思う。服も今みたいな白やピンクのふわふわじゃなくて、ビタミンカラーの方が似合う」


 夕羅がファッション系の勉強をしていたという発言に信憑性が生まれる。今まで出たアドバイスは菜々子には全く考え付かなかったことばかりで、夕羅に任せれば新しい自分に出会えるのではないかと、菜々子は期待に胸を膨らませていた。


「よければ夕羅さんに……選んでほしい」

「いいよ。普段コスメ買うのデパート? ドラスト?」

「ドラストだと、ありがたいかな……」

「よし。じゃあ行こ」


 菜々子の返事を聞くと夕羅はさっさと席を立った。菜々子を連れて街の中で一番大型で品揃えが豊富なドラッグストアに向かい、店内を一通り見て回る。プチプラで色味が豊富なのが特徴のコスメブランドの棚まで来て、アイシャドウを物色し始める。オレンジやイエローなどの、単色アイシャドウの見本を手の甲に取り、隣にいる菜々子と見比べる。


「菜々子が今使ってるやつ、完全にブルベ向けの商品だよ。菜々子はどう見ても100%イエベだから、ピンク選ぶなら青みが強いやつじゃなくてコーラルピンクとかに今度からしな? ってか、パーソナルカラーの概念はわかってる?」

「なんとなくは知ってたけど、調べたりはしたことなかったかな……」

「やっぱそうなんだ。スマホでも診断は出来るから今度やってみ?」


 菜々子はこれまで流行っているメイクやファッションを見たまま再現しているだけだったので、パーソナルカラーまで意識したことはなかった。言われてみれば、今自分がしているメイクは変ではないけどこれじゃない感がある。とりあえずブラウンとピンクを使っておけば間違いはないだろうと思っていたので、夕羅の的確なアドバイスは非常にありがたい。


「リップはこの色かなー」

「そういえばちょっと前に彼氏とのデート中、夕羅さんみたいな赤リップ見つけて買おうかどうか迷ったの……彼氏にもあんまりって言われたから結局買わなかったんだけど」

「あーそれは彼氏が正解。私はブルベ冬だからね。菜々子とは真逆なの」

「そ、そっか……」


 容赦無くぶった斬られて菜々子は軽く落ち込んだが、こうして夕羅チョイスのコスメセットが完成した。会計を済ませて店内を出た頃、時間は20時近くなっていた。


「んじゃ、今日はこの辺にしとこっか。明日も出勤?」

「うん」

「じゃあ遅くなってもあれだしね。私はさっき話した美容師とこの後飲みに行くから、菜々子のこと話しとくよ」

「……わかった」

「今日、帰ったら試しにそれでメイクしてみな? 絶対可愛くなるから」


夕羅はそう言って微笑み、そんじゃお疲れー、と颯爽と繁華街の方へ消えていく。菜々子はその後ろ姿を見て、下手な男よりもカッコいいな……と見惚れていた。



















「すごい……」


 鏡に映る自分を見て思わず声が出る菜々子。自宅に帰って、言われた通り早速今日の購入品を使ってメイクをしてみたのだ。それまではメイク後になんの感想も持ったことがなかったのだが、初めて自分の顔に満足出来たような気がする。黄味が強い肌がワントーン明るく透明感を持ち、オレンジとブラウンのアイメイクで垢抜け、オレンジのチークやリップで健康的な印象になった。試しにヘアゴムで髪を束ねてみると、今まで見たことがない新しい自分がそこにいた。


 絶対に可愛くなる……夕羅はそう自信満々に言っていた。量産型だった自分にもこんな一面があるのだと、見つけてくれていたのだと思うと、菜々子はときめきを感じずにはいられなかった。

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