秘密

第4話

タクシーの車内は静かだった。初老の男性運転手は、夕羅と最初に行き先のやり取りだけをするとその後は無言で運転に徹しているし、菜々子は乗り込んだ時から眠ってしまっている。そのため走行中、何もすることがない夕羅は窓の外の景色を見たり、スマホを弄るなりしていた。明るく賑やかな繁華街から居住エリアの方へ移動するにつれ、車内も暗くなっていく。ふと、暗がりの中自分の隣で寝息を立てている菜々子に視線を移してみる……その無防備さと、大人の女性として成熟しきれていないところが可愛いと思いつつ、激しく掻き乱したいという欲望も、夕羅の中には生まれていたのだった。


「んう……夕羅さん……ここどこ?」

「タクシーの中。私んち、もうすぐ着くから」


 途中で起きて寝ぼけながら問いかける菜々子に夕羅が優しく囁くと、安心した表情でまたウトウトし始める菜々子。この何処か異様な雰囲気を察し、タクシーの運転手は必要最低限の会話以外は無言を貫いていた。














 静かな住宅街の一角でタクシーは停まり、2人は車を降りた。菜々子は夕羅に支えられながらも、カラオケ店を出た頃に比べると大分具合は良くなっているようだった。夕羅は段差や階段に気をつけるよう声をかけつつ、自宅であるアパートの一室に菜々子を招き入れる。1Kほどの広さの、一般的な1人暮らし用の部屋だ。


「自分で靴脱げる?」

「脱げますよぉ〜、お邪魔しまぁす」

「真っ直ぐ進んで、ベッド使っていいから」


 玄関で履いていたパンプスを雑に脱ぎ捨て、菜々子は言われた通り寝室のベッドまで直進、雪崩なだれ込むように寝転んだ。ピークは過ぎたものの、まだ酒に酔った状態は続いているため、横になると頭がグラグラするような感覚におちいるのだ。身体がベッドに沈んでいく中、菜々子は初めて見る天井と、そこから繋がる景色をぼんやりと眺めた。

 夕羅が住んでいる部屋は意外にも物は少なく、洋服やアクセサリー類が収納されているクローゼット付近以外は最低限の家具だけがあるような雰囲気だ。普段のこだわりのファッションセンスから、てっきり自宅も凝った装飾がされているのを想像していたが、趣味嗜好が反映されていないどころか生活感すら感じられない、殺風景な部屋である。


「ごめん、飲み物水くらいしかないけど大丈夫?」

「あ、はい……ありがとうございます」


 水が入ったマグカップを手にして夕羅がやって来たので、菜々子は慌てて身体を起こす。受け取ったマグカップに口をつけ、勢い良く水を飲み干していく。全身に水が染み入るようだ。


「何もない部屋、って思った?」


 不意打ちのような問いかけに、飲みかけの水を口からこぼしそうになる菜々子。図星を突かれて返答に困っているのを見て、夕羅はクスクスと笑う。


「大丈夫、良く言われるから。あんまり物持ちたくないんだよね……その方が出ていく時に楽だし」

「え? ああ、確かに……引越しは楽な方がいいですもんね」


 菜々子は転居する際の話をしているのだろうと解釈するも、“出ていく時”という言葉に少しだけ引っ掛かりを覚えた。何の根拠も無い話だが、夕羅はある日突然姿を消してしまうような……そんな気がしたのだ。おそらく彼女の掴みどころのない、ミステリアスな雰囲気がそう思わせるのだろう。

 いつの間にか夕羅は菜々子の横にぴったりくっつくようにして座っていた。だんだんと酔いが冷めてきた頃、菜々子はこの距離感に対して急に緊張と恥ずかしさを感じるようになっていく。


「今日は飲ませちゃってごめんね?」

「え、あ、はい……もう、良くなってきました……あの、今までこの家に人、呼んだことあるんですか?」

「あるよ。いつも好きな“子”を誘うの」

「へぇー……夕羅さん美人だから、今までイケメンな彼氏ばっかりだったんだろうなぁ……」

「彼氏……?」


 一瞬きょとんとしたが、すぐに声を上げて笑う夕羅。その様子を見て、菜々子は何か自分が変なことを言ったのだろうかと戸惑いの表情を見せる。そんな菜々子に笑いが止まらないながらも夕羅は話しかけた。


「あはは……もう、やめてよぉ。男なんかキモくて付き合うわけないじゃん」

「え?」

「私はね、女の子が好きな人なの。あーそっか、今は事情知ってるヤツ少ないか……身近だと彩奈ぐらいかも」

「え、え??」

「私、菜々子ちゃんのこと気にいっちゃったんだよね」

「え、え、ええっ!?」


 頭の整理が追いつかずに混乱している菜々子を、夕羅は抱きしめ首筋にキスをする。菜々子はビクンッと身体を震わせるも、何故か拒絶をしようとは思わない。それを察知した夕羅は耳元で甘く囁く。


「無神経な彼氏より、私の方が気持ち良くさせてあげられるよ?」

「夕羅さん……あの、私……」


 菜々子がどうするか決めかねていると、夕羅は強引に唇を重ねた。夕羅の香水の匂いと柔らかい唇の感触に、酔いから醒めたはずが再び沸騰するかのように顔が熱くなっていく。ああ、きっと元の自分には戻れなくなる……そんな不安と躊躇ちゅうちょは、すぐに自身の好奇心と夕羅から与えられる快楽の波によって押し流されていった。






















「んん……」


 重たかった瞼が次第に軽くなり、目が醒めた頃に菜々子はようやく自分が裸でベッドに横たわっていることに気付いた。隣に夕羅の姿はなく、身体を起こしてみると裸のままキッチンの換気扇の下で煙草を吸っているのを見つけた。夕羅のスレンダーで色白な美しい裸体には所々にデザインタトゥーが入っている。腕に入っているタトゥーは職場で見たことがあったが、胸元や腰回りにも入っているのは今日、今先程知った。特に腰にある鮮やかな蝶のタトゥーは彼女の妖艶さを際立たせていた。


「起きた?」

「夕羅さん、私眠っちゃってたんですか……?」

「眠っちゃったっていうか……失神した、って感じかな」


 夕羅がそう言うと、菜々子の脳内につい先程までの記憶が鮮明に蘇ってくる。


 女性同士の性行為が初めてだったのは勿論だが、菜々子は夕羅の手によって人生初のオーガズムを経験したのだった。これまで付き合ってきた男性、現在の恋人である浩司とのセックスですらなかったのに。そして男性との行為とは決定的に違うことがある……女性同士には明確な終わりがないのだ。男性相手の場合は射精をすればひと段落するが、女性同士ならば満足するまでそのまま続行可能なのである。

 夕羅が何の躊躇ためらいもなく自分の陰部に顔をうずめているのを実際に直視した菜々子は、その羞恥心と与えられる刺激によって1回目の絶頂を迎えた。しかしそれで夕羅の気が済むことはなく、舌の次は指で執拗に攻め倒した。そうして何度も押し寄せる絶頂の末、菜々子は失神してしまったのだった。


 一連の出来事を思い出した菜々子は赤面し、布団で顔を隠す。その様子を見て夕羅は満足そうな笑みを浮かべると、菜々子のいるベッドまで戻っていく。


「ねぇ、彼氏よりよかったでしょ?」

「……」

「……怒ってる?」

「怒ってるんじゃ……ないです……」

「やっぱ嫌だった?」

「そういう訳じゃ……」


 菜々子は今の感情をどのように表現したらいいかわからなくなっていた。完全に怒りがない訳ではないし、かと言って本当は嫌だったのに無理矢理襲われたという感覚でもない。ただ、憧れのカッコいいお姉さんぐらいの気持ちだった夕羅と成り行きで一線を超えてしまったということと、それまで自分で勝手に作り上げていた夕羅のイメージと違う一面を見てしまったことへの戸惑いがあった。


「嫌じゃなかったよね? 少しでも拒否ってんなって思ったら、やめてタクシー代渡して帰すつもりだったよ」

「絶対嘘だぁ」

「本当だって。……で、彼氏よりよかった?」

「……はい」


 望んでいた答えが聞けた夕羅は菜々子の髪を撫で、また身体のあちこちにキスをし始める。もう1回戦始まってしまいそうな雰囲気を察知し、慌てて夕羅の肩を自分から離そうとする菜々子。


「ちょ、ちょっと待ってください! 今日はもう……」

「“今日はもう”っていうことは、別の日に続きしてもいいってこと?」

「いやあの、そういう意味じゃなくて」


 咄嗟に視線を逸らしてしまった菜々子。それを見るなり、夕羅はスッと菜々子から離れた。自分用のルームウェアを着ると、今度は箪笥たんすを漁って普段あまり着ていないTシャツを取り出し、ベッドの下に脱ぎ捨てられていた菜々子の下着と共に渡して着るよううながす。


「真面目な話、今日のことなかったことにしたいって思うなら言って。そしたら職場でも必要以上に声掛けないし、なんなら異動願出すか辞めていなくなるからさ。菜々子が望むならね」


 冗談を言って翻弄してくるかと思えば、急に淡々と現実的なことを言う夕羅。だが菜々子は妙に腑に落ちたような気がした。“ある日突然姿を消してしまう”かもしれないというのは、なんとなくそんな風に見えるだけではなく、きっとこれまでもそういったことがあったのだろう。だからこんなにも殺風景な部屋に住んでいるのだ。

 夕羅が姿を消すか近くに留まり続けるか、今はその決定権が菜々子にある。今後の彼女の生活に関わる重大な問題なだけに菜々子は言葉を詰まらせるのだが、当の本人はどうってことないというような顔をしている。


「……なかったことには出来ません。夕羅さんと会えなくなるのも嫌です」

「本当に?」

「はい……でもどうしよう、これって完全に浮気行為ですよね」

「浮気に入んないでしょ、女同士でじゃれあっただけだもん。チンコ入れてる訳じゃないし」

「そ、そういう問題ですかっ!?」


 夕羅が考える浮気に対する基準はともかく……菜々子は自分にとって夕羅の存在が浩司よりも大きくなりつつあることを自覚していた。やはり自分にとっては後ろめたいことで、同僚のマユや家族などにも絶対に打ち明けることは出来ないだろう。頭を抱える菜々子に対し、夕羅は早く服を着ろと急かす。誰のせいでこうなったと思ってるんだと言いたくても、全てを見透かされたような瞳を向けられると何も言えなくなってしまう。


「……私の、何処が気に入ったんですか?」


 服を着ながら菜々子は呟いた。いけないことをしている罪悪感を持ってこれからを過ごしていかなければならないのなら、せめて納得出来る理由が欲しかった。だがそんな菜々子の意思とは反し、夕羅の答えは余計に混乱を招くものであった。


「顔が好みだったから」

「へ?」

「あと、なんとなく押しに弱そうだなって思って。エロいことするなら見た目好みの子じゃないと興奮しないじゃん」

「なっ……いや、ええ??」


 押しに弱そうという部分は納得できる。実際これまでもマッチングアプリで知り合った男たちに散々言われてきたことだし、相手が女性だとしてもやはりそう思われるのかと、ちょっとした落胆ポイントではあったのだが問題はそこじゃない。顔が好みだなんて、今まで一度も言われたことがなかったのだ。自分はこれといって特徴のない“量産型”のはずだ。


「顔が好みって、私別にそんな可愛くないじゃないですか! 平均か、むしろそれより下か」

「そうだね、平均ぐらいだよね」


 率直かよ、と心の中でツッコミを入れる菜々子。益々わからなくなる。身近な存在で言うと少々ギャルっぽい彩奈や、活発で表情豊かなマユの方が明らかに自分より顔面偏差値が高いと思っている。選りに選って何故平均的なビジュアルで量産型である自分なのか。


「いやいや彩奈なんかそんな目で見れないし! アイツは完全に友達だからねー。マユちゃんは可愛いけどタイプではないかな。菜々子のことは前から遠目から見てていいなって思ってたよ? ちょっと垢抜けてないところも、危なっかしいところも……私の目に留まる度、滅茶苦茶にしてやりたいって考えてた」

「なっ!? 仕事中そんなこと!! 夕羅さんって、とんでもない変態なんですね……」

「そう言う菜々子だって、しょっちゅう私のこと見てたでしょ?」

「それは……」


 菜々子が言葉を詰まらせると、夕羅はグッと距離を縮めて耳元で囁く。


「これからは思う存分見ていいよ、私のこと。そんで私にも見せてよ、菜々子の全てを」

「す、全てって!?」

「彼氏にも見せたことない一面、私が全部見てあげる」


 赤面する菜々子を見て満足した夕羅は早々に布団を被って横になった。未だ混乱と興奮がおさまらない菜々子だが、頭が沸騰しそうになっているのを必死に抑えて目を閉じる。ようやく眠りについたのは、外が徐々に明るくなり始めた頃であった。

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