急接近

第3話

次の週の日曜日。約束の懇親会の日だ。早番だった菜々子は19時で上がったためしばらく休憩室で時間を潰し、約束の20時が近づいてきた頃に参加するメンバーと落ち合った。


「おー、菜々子お疲れ」


 待ち合わせ場所である従業員用の出入口付近にいたマユが菜々子に声をかける。ちなみにマユはこの日出勤ではなかったのだが、わざわざ出てきて懇親会に参加するという実に付き合いの良い社会人なのである。今時の若者にしては珍しい方ではないだろうか。その他マユ以外にも懇親会に参加する従業員達が数人集まっていた。


「助かったわぁ、喋れる人誰もおらんかったんよ」

「え、マユちゃんって他店舗の人、誰とも付き合いないの?」

「ないない。休憩の時もいつも1人で外出てるし」

「そーなんだ。よく今回参加するって決めたね」


 マユは今年の4月に異動して来たので、まだ菜々子が勤務するこの商業施設内で交友関係が築けていない。ハキハキとした物言いから一見交友関係が広そうに見えるが、意外にも1人の時間を過ごすことが好きで、人見知りな一面もあるのだ。とはいえここでしばらく働くことになるのだから、今回のような集まりには積極的に参加するべきだと思ったらしい。

 先発組になっているメンバーが一通り集まったようで、その中の先輩従業員に当たる女性が「お店に向かうよ」と全体に声をかける。先輩従業員グループの中にはあの夕羅もいた。菜々子とふと目が合い、微笑みかける。菜々子もそれに応えて微笑み返した。その一連の様子を見てマユは不思議に思ったのか、列になって店に向かっている間、菜々子にそのことを問いかける。


「なぁ、さっきの人って向かいの店の人やんな? いつもパンキッシュな格好してて顔も綺麗な。菜々子仲良いん?」

「ううん、ついこの前ちょっと話しただけ」

「そうなん? めっちゃ親密な雰囲気やったけど……なんか隠れて付き合ってるカップルみたいやったで」

「な、なにそれ!」


 やましいことなんて全く無いはずなのに、何故か菜々子は動揺しているような反応をしてしまう。その反応にまたしてもマユは不審に思ったが、特別深掘りするようなこともないと判断し、自分達の店舗の業務内容に話題を切り替えたのだった。


 そうこうしているうちに予約した店に到着した。懇親会の会場になったのはお洒落なカラオケ店の一番広いパーティールームで、20人ぐらい入れる上に料理のメニューも充実していて、女子会目的に使われる人気チェーンだ。クローズ作業後に合流する遅番組も時間を気にせず楽しめるように、居酒屋ではなくこういう場所に決めたのだそうだ。

 先輩従業員グループが仕切ってそれぞれ飲み物の希望を聞いたり、カラオケ店のスタッフと予約に関する確認をするなどテキパキ働いている。本来若手である自分達が動くべきだろうと菜々子達が名乗り出たのだが「いいからいいから」と言われてしまい、端の方の席でちょこんと座って待つしかなかった。先輩従業員グループの女性達は立案者の彩奈の仲間でもある。彩奈曰く、今年入社組や異動してきた若手には今回の主役として気を遣わず楽しんでほしい、ということらしい。


「飲み物何頼んだ?」


 そう言って夕羅が菜々子の隣に来て声をかける。既に頼んだ1杯目の飲み物が到着し、それぞれ配っているところだった。ここに向かっていた途中で話題になっていた人物の登場に、側にいたマユも少し緊張しているようである。


「あ、私はカシスソーダって言いました」

「そう。菜々子ちゃんの隣にいる彼女は?」

「マユです……レモンサワー頼みました」

「了解。ちゃんと全員分来てるね」


 全員に飲み物が行き渡ると乾杯をし、そこからは順番に到着するコースの料理を突きながら、近くにいる者同士で会話を楽しむ。パーティールームは一般的な大勢の飲み会の、賑やかな雰囲気に包まれている。最初のうちは菜々子とマユと夕羅の3人が並んで座っていたのだが、途中で遅番組の彩奈達も合流し、いつの間にかマユは彩奈に近い場所に移動していた。


「え、じゃあさぁ? 口元にケチャップとかソースついたままなの気付かなくて、人に指摘された時の切り返しは?」

「そらもう……わざと付けてんねん、後で食べるために残してんねん! ですかね?」

「すごっ!! 切り返し早っ!!」

「こんなんいくらでも思い付きますよ!! 次のお題ください」


 何故かマユの関西人トーク大喜利が開催されていて、彩奈と仲間の先輩達も一緒に大喜利をしたり、お題を振ったりしてかなり盛り上がっている。普段は個人主義の人見知りと言っても、そこはやはり関西人だ。標準以上のコミュニケーション能力が備わっているものなんだな、と菜々子は遠目で見ながら感心していた。


「彩奈、完全にマユちゃんのこと気に入ってるっぽいね」


 夕羅はクスクス笑いながら、ロックグラスを傾ける。夕羅は大勢で大騒ぎするタイプではないのか、菜々子と共に隅っこの席で飲んでいた。談笑の声やカラオケ大会になっているグループもいる中、ここだけまったりした空気が漂っている。その様子はマユが言っていた通りこっそり付き合っているカップルか、合コンで互いに狙いを定めた男女のようだ。


「夕羅さん、今何飲んでるんですか?」

「スコッチ。飲んでみる?」

「スコッチってウイスキーですよね!? すごい……お酒強いんですね」

「まぁね。私何年か前まで販売員とスナック掛け持ちしてたの。その時に鍛えられたって感じかな」

「そうなんですね……私は強いお酒飲んだことないから無理かも」


 それなら、と夕羅は未使用のグラスを1つ手に取り、手慣れた様子で大きめの氷をアイスペールから3個程移し、マドラーでかき混ぜる。そうしてグラスを冷やすと自分が飲んでいたスコッチのボトルを開け、グラスの底から1.5センチ程の量を注ぎ、再びマドラーでかき混ぜる。最後に炭酸水を注ぎ、プロのバーテンダーが作るような見栄えの良いソーダ割りが完成した。


「飲んでみて。ちょっと薄めに作ってるから」

「すごい、綺麗……」


 菜々子は自分のために作られたスコッチのソーダ割りに恐る恐る口を付ける。今までアルコール度数控えめな甘い酒しか飲んだことがない菜々子にとって、それは初めて感じる酒の味だった。菜々子は思わず声が出る。


「んー、美味しい……なんかスモーキーな香りがする」

「それがスコッチの特徴だよ」


 すっかり夕羅が作るスコッチのソーダ割りにハマってしまった菜々子。残りが少なくなる度におかわりが作られ、作られた分はきっちり飲み干す。それを繰り返すうちにかなりの量を飲んでしまったようで、酔った菜々子は呂律が回っていない口調で浩司の愚痴を夕羅にぶちまけるようになっていた。


「だってぇ、素手れすよ!? ちゃーんと氷用のスコップも側にあるのにっ! 自分の家だったらわかりますけどぉ、いやいや、私んちだから!! 人の家の冷蔵庫の氷、素手で掴みますか普通!?」

「それ嫌だからやめて、って言えば良かったのに」

「そーなんれすよねぇ、そこがダメなんですよねぇ私……なんかー、どうせ論破されて終わるんだろうなとか思っちゃってぇー、いつも言えないんですよぉ……」

「そっかぁ。まぁそういうもんだよね」


 先日のエピソードを思い出して再び自己嫌悪モードに入ってしまった菜々子を、夕羅は優しく慰める。頭が重く感じるようになっていた菜々子は、夕羅の肩にもたれ掛かるようになり、夕羅はその身体を支えながら自分の酒を口に運ぶ。一定のリズムで身体を撫でながら菜々子に語り掛けた。


「でもさーその彼氏、菜々子ちゃんが何か言いたそうにしてたの察せない辺り、良い男ではないと思うよ」

「そーなんれすかぁ? 結構優良物件なんれすけどぉ」

「それは仕事とか年齢的に、ってことでしょ? 本当に良い男なら彼女の話ちゃんと聞くって。大体、彼女に服やメイクの好み押し付けるっていうのが私は気に食わない」

「“押し付ける”って程ではないと、思うんれすけど……」

「やんわり押し付けてるんだよ、それは。自分が制御出来る範囲の女に、俺に合わせる女に教育してやろう、っていう考えが透けて見える。菜々子ちゃんがさ、好きな男の色に染まりたい、っていう子なら良いんだけど……少しでも違和感あるなら、そいつとは別れた方がいいと私は思う……菜々子ちゃん?」


 明らかに菜々子の反応がなくなったため夕羅が顔を覗き込むと、完全に潰れてしまっている様子だった。なるべく体勢を変えないようにしながら、菜々子の頭を撫でる夕羅。お開きの時間近くまで2人はそのまま過ごしたのだった。

 
















「ねぇねぇ、残ってるメンツ全員出たー? あれ、菜々子ちゃんいないんじゃない?」


 懇親会が終わり、カラオケ店の入口前で人数を数える彩奈がそう言った。気の合う者同士でグループとなり、それぞれ通りで喋り込んで収拾が付かない雰囲気になっている中、すっかり彩奈の子分になったような振る舞いのマユがすかさず答える。


「あー、なんか潰れてもうたみたいで、まだ店のトイレの中なんですよ! 夕羅さんが介抱してはりました」

「マジでぇ〜? ちょっと様子見に行ってくる……おーい、みんな通行人の邪魔にならないようにしてー!」


 外で騒ぐメンバーに注意をしつつ、彩奈はマユと共にカラオケ店の中に戻っていく。受付付近にある女子トイレに入ると、ドアが閉まった個室の前で待っている夕羅を発見した。


「あー、夕羅。そこにいるの菜々子ちゃん?」

「うんそう。だいぶ復活してきたみたいだからもうすぐ出てくると思う」


 彩奈と夕羅のやり取りを聞いたマユはため息をつき、個室に向かって声をかける。ちなみに騒ぎ過ぎて喉が枯れたのか、ハスキーボイス気味になってしまっている。


「もー、菜々子何してんねん。みんな外で待ってるんやで!!」


 たまに裏返るが、気にせず大きい声で呼びかけながら個室のドアを叩くマユに、まぁまぁと抑えながら夕羅がフォローを入れる。


「マユちゃん、あんまりキツく言わないであげて? 私が飲ませ過ぎちゃったから」


 夕羅のその言葉を聞くと、ピンときた彩奈が今度は呆れてため息をつき、夕羅に対して説教をし始めた。


「やっぱりか……もう、夕羅程々にしなよ。酒クズ仲間増やそうとするなって! マユ、夕羅には気をつけなよ? この女若手を酒で潰す常習犯だから」

「そ、そうなんですかぁ!? 怖っ」

「人聞き悪いなぁ……美味しい酒の飲み方教えてあげてるだけじゃん」

「だから、スナック通いのオッサンにやるみたいに飲ませんなって!! つーか菜々子ちゃんって元々お酒強くない子でしょ!?」


 絶賛説教タイム中なのだが、ついつい可笑しくて笑ってしまう3人。するとようやくトイレを流す音が聞こえ、中からフラフラな菜々子が出てきた。すぐさま彩奈が声をかける。


「大丈夫!? もーほんと夕羅がごめんね?」

「いえ、私も調子乗っちゃったんで……ご迷惑おかけしました」


 3人が心配する中、菜々子はボサボサの髪を整え、ふらつきながらもカラオケ店を後にした。全体では解散となり、数名は二次会を開催するのか繁華街の方へ消えていったようだが、ほとんどの人は駅へ向かって歩き始めていた。ふと、マユは思い出したように菜々子に声をかける。


「あれ、菜々子もう終電ないんとちゃう?」

「え……あー、ほんとだ」


 菜々子の自宅は職場から遠いため終電は23時頃だ。現在時刻は23時20分。本来は途中離脱をするべきだったのだが、最後まで残ってしまったため完全に帰宅手段を失ったようだ。現実への焦りとは裏腹に、立っているのが辛くなった菜々子はついにその場にしゃがみ込んでしまう。


「オールする奴らに連絡して合流させてもいいけど、流石にしんどいよね……どうする?」

「うち、泊めたろか? 部屋狭いけど……」

「マユちゃん大丈夫、私が面倒見るから。……立てる?」

「うぅ……」


 この後のことを心配する彩奈とマユを制し、夕羅がそう言って唸っている菜々子をなんとか立たせ、支えながらタクシー乗り場の方へ向かっていく。自分が酔わせてしまったから、ということで自分の家に泊めるというのだ。3人の中では夕羅が職場に一番近い場所に住んでいるため彩奈とマユも納得し、タクシー乗り場まで2人を見送った。


「じゃぁ、よろしくね夕羅」

「うん、お疲れ。おやすみー」


 夕羅が先に菜々子をタクシーに乗せ、彩奈とマユにライトな別れの挨拶をするとすぐ自分も乗り込み、まもなく出発した。タクシーが見えなくなるのを見守りながら、マユは彩奈に何気なく問いかける。


「菜々子、ホンマに大丈夫なんですかね?」

「どうだろうね……」

「夕羅さんに迷惑かけへんか心配ですわ」

「え? ……あ、そっちか」

「え?」

「いや。ううん、こっちの話」


 どうやら彩奈とマユのこのやり取りは少し意味が食い違っていたようだ。マユは折角自宅に泊めて面倒を見ると言ってくれた夕羅に対し、菜々子が粗相を働かないか心配していたのだが、彩奈はそうではない。それは夕羅の秘密を知る数少ない友人だからこそ頭に過った心配事なのだが、マユには言うべきではないと判断し、言葉を濁して駅へと歩き始めたのだった。

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