脱獄準備

 ルイス・ハニーピークは魔族である。

 しかし、魔族の中でも特別人間に近い、プレーンという種であるのだ。


 では如何にして、人族との差異を見出せるかといえば、それは不可能に近い。薄っすらとクチナシの匂いがするだとか、瞼が二重であり、蜥蜴のような内膜を携えているだとか、そういった細かな特徴を追う必要がある。

 解剖が許されるならもっと簡単かもしれない。

 しかし、一目で見わけを付けるのは不可能だ。


 ヒヨコの雌雄を判別する方がまだ、現実的だろう。


 そういうわけで、今、遠い北にある特製の牢屋に輸送され、厳重な封印の下に投獄されているはずのルイスを、脱獄させるのはそう難しいことではない。

 ある一点を除けば、このまま、手を繋いで王城の門まで連れていき、さるお方のお子様が迷子になって…………とでも言えば、外に出ることは可能である。


 ではケイを悩ませる一点の問題とは?

 王女セントルイス・カルロス・ナタリアス、彼女をおいて他にない。


 ナタリアスは大事なものを手元に置くことを好む。だからこそ、ルイスは今だ王城に幽閉されている。そして、その事実を知るのは、ケイが知る限り、ケイとナタリアスのみのはずだ。


 しかし、あの女が全くの用意なしに、ルイスを牢屋に置いているとは、思えない。そんなはずはないのだ。


 ケイの話を聞き、ルイスは眼を丸くして言った。

「ナタリアスさんというのは、そんなに恐ろしい人なんですか?」

「そうだな、その恐ろしさを話すには、人族側の最重要機密を明かさないといけないんだが、こうしよう。俺が一つ、人族の秘密を明かすごとに、ルイスも一つ魔族の秘密を明かす」

「勝手に決めないでください、まぁ、私が納得する秘密だったらいいですよ?」


 ケイは再び、不敵な笑みを浮かべた。秘密を明かすというのはどうにも気持ちの良いものなのだ。言ってはいけない、というストレスが一気に晴れる気がする。


「勇者に特別な力はない。ぶっちゃけ、ただの人だな、あと魔法も使えない」

「は?嘘は駄目ですって、ルール違反ですよ」


 ルイスは思う。やはりこの人は根本的に信用ならない人だ、と。表面上では、人と魔族両方の益を考えているが、本心では、ルイスを騙すことしか考えていない。


「いつか納得してもらえると思うから、そのときに秘密を教えてくれ」

「それならいいですけど、その秘密がどうしてナタリアスさんの恐ろしさと繋がるんですか?」

「全くの無能、勇者という肩書きしかない俺を、ペテンと政治力で勇者たらしめたのがナタリアスだからな。言ってしまえば、俺は何もしていないのと同然だ」


 ルイスは思う。それは恐ろしいとは違うのではないか、ともすれば凄いとか、敬意を向けるべき種別のはずだ。なにせ、ケイの話が本当であるなら、魔族を追い詰めたのは…………。


「さて、ルイス。魔法は使えるか?」

「使えますけど、今は使えません」

 ルイスは自身の手に嵌められた魔封印の枷を見せつけた。ずっしりとした重みに、ルイスの細い手首も相まって、肘までずり落ちてきた。

 封印という用途はこなせているが、枷としての体裁は保てていないのではないかと、ルイスは敵ながら不思議に思う。


「それを嵌めたのが誰かは覚えているか?」

「ええと、濃い髭の…………」

「兵士か?」

「ええ、そうです、はい」


「なら、大丈夫。枷の封印コードは俺が全て覚えている。総当たりでいけば、外れるぞ」

「今やるんですか?」


 ケイは当然だと頷いた。


「バレたらどうしようとか考えないんですか?」

「バレたら、ルイスは再び幽閉。俺は死刑だろうな?」

「じゃあ、何でそんな行き当たりばったりなんですか」

 今度のケイはしばらく考え込んだ。答えに悩むというよりも、答え方に悩むという風だ。


「ナタリアスは計画で察知する。俺がちょっとでも調べる動作を見せれば、今ここに立っているのは、俺でなくてナタリアスだろうな」

「なら…………」

「だから、だよ。人生賭けた計画を即興でやってかないとアイツには勝てない。そういう相手なんだ」


 これほど適当で、図々しくて、場当たり的な人間が、本気で恐れている。ルイスにも少しばかり、ナタリアスの恐ろしさが分かった気がした。




 あれから、しばらく時間が経った。二人は百通りのコードを試し、百度のミスを犯した。途方もない作業だが、美味しい飯が待っていると思えば、ルイスにとっては簡単な作業だった。


「英雄シガイン、セオル島にして死す」

「英雄シガイン、セオル島にして死す」

 魔力を込める。反応はない。失敗だ。


「ええと、次は、登頂するはルブラン山脈」

「登頂するはルブラン山脈、違います。というか、コードって固有名詞を含めた文章の形式なんですね」


「言っておくが、覚えても意味はないぞ。毎月三百ずつ更新するからな。ソー都に星が墜つ」

「ソー都に星が墜つ、これも違う。覚えませんよ。三百、遠いですね?」

「運が悪いだけかもしれん。レスト院の僧」

「レスト院の僧、違います。もし、魔封印の枷が外れたら次は何を?」

「王城の牢獄には隠し通路が付き物だろ?それを探すんだ。ガーラ海の成獣」

「ガーラ海の成獣、違います。随分と悠長じゃないですか?もっとこう、ドでかいスケールの秘密作戦は用意してないんですか?」


 ルイスはドでかいを伝えるために、腕を挙げた。重力に引っ張られた枷が頭に落ちる。

「痛い!」


 ケイは苦笑し、続けた。

「あるにはあるが、もう終わったな、カールコーの叙勲式」

「カールコーの叙勲式、違います。いったい何を?」

「ナタリアスの暗殺だ、セプマン塔の崩壊」

「セプマ…………え?」


 ケイはほら、手を止めるなと合図をした。しかし、ルイスからすれば、それどころではない。

「待ってください、それなら、ナタリアスさんを警戒する必要はないでしょう?」

「殺した、だが、墓に納まるのは見てないんだ。生き返って第二形態に進化するかもしれないだろ?魔王みたいに」

「お父さんはそんなことになりません。大体、ナタリアスさんだって人間でしょう?それなら…………」

「それなら?」

 ケイはじっとルイスを見つめた。ケイのもってきた蠟燭の火が揺らめている。火の揺れるに従って、彼の瞳孔の中でもルイスは揺れていた。


「あなたは一体なにを?」

「確かにナタリアスは俺が殺した。それでどうなる?奴の支配は、策略は、全て無に帰すのか?」


 ルイスは動揺が抑えられなかった。ケイの様子がおかしい。死者をそこまで警戒する人間など見たことない。


「俺はチェスというボードゲームでナタリアスに負けている。俺が何十回も遊んだボードゲームだ。それを彼女は初見で、それも、一度しか盤面を見ずに勝った。そういう女なんだ」


 ケイの言っていることは分からない。しかし、その語り口調はあまりに真が迫っている。まるで、自分に言い含めるように、ケイは話すのだ。

 ルイスは自分の心拍数がみるみるうちに上昇していくの感じていた。


「セプマン塔の崩壊、だ」

「セプマン塔の崩壊」

 外れない。


「まぁ、時間はたっぷりある、ゆっくり互いの認識をすり合わせていこう?サルマン山の噴火」

「は、はい。サルマン山の噴火」

 聞きたいことはたくさんある。何から聞くべきか、ルイスが吟味しようとしたとき、手元の妙に軽いのに気が付いた。


「あ、外れました」


 警報が響き渡る。外の兵士たちの騒々しさが伝わってくる。第二級警報、要人暗殺、脱獄、不審者の捕縛、を意味する警報だ。ケイはふと、違和感を覚える。ナタリアス暗殺が見つかったのであれば、第一級警報が鳴るはずなのだ。であれば…………。

 ちょうど、思考が一周巡る内に、地響きのような足音がそぞろになる。音の中心はゆっくりと牢獄へ向かってくる。


 逃げる時間も、隠れる場所もない。

 ルイスは腹から出そうになる悲鳴を一心に抑え、壁にへばりついた。


「そこの者、手を頭の後ろにつけ、地に伏せるんだ!」

 怒声が鳴る。ちょうど、騎士団たちが牢獄へと踏み込んでくる瞬間であった。

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