誘拐

 少女の名をルイス・ハニーピークという。魔族国における今最も熱い人であり、人族撲滅ポスターの掲示は、彼女の顔が九割を占める。ポスターには一言、『我らの心を取り戻せ!』


「それで、誰の差し金で私を攫いに来たのですか。魔族国の救援?人族同士の内乱?エルフ達による軍事介入の線だってあります。そりゃ、この臭くて汚いところから抜け出せるのは嬉しいですが、次はもっと臭いところの可能性だってありますから、教えてください」


「聞いて驚け?俺は、俺のために来たんだ」

「つまり?」

「これは俺が画策した誘拐ということさ」


 ルイスは辟易とした。いるのだ、こういった勘違い男は、どの時代でも。ルイスが宮勤めの間だって、自分を籠の中の小鳥だと思った男どもは、何度もちょっかいをかけてきた。砂糖菓子を蜂蜜漬けにしたような甘ったるい言葉など聞き飽きるほどに。なにより、自分という存在が軽んじられているようで腹が立つ。


 これでも、信念を持って生きてきたつもりだ。愛と自由などという薄っぺらい表題にかまけるような、そんな生半可な気持ちを持った覚えはない。


「そうですね、想像していた中で最悪の結果かもしれません。全力で抵抗させていただきます」


 ケイは困惑する。

 もちろん、ケイと言えど、姫を攫う騎士道物語を夢見たわけではない。しかし、喜ばれることこそあれど、否定される謂れは絶対にないと思っていた。今、この瞬間まで。


「待て、何か勘違いがあるんじゃないか?」

「勘違い?」

 ケイにだって、プライドはある。


「三食おやつ付き」

 ルイスは目を見開いた。


「週三度の水浴び」

 ルイスは組んでいた腕を離した。


「ふかふかの枕も付けよう」

 ルイスは立ち上がり、ケイに握手を求めた。


 そう、ケイにだってプライドはある。

 しかし、そのプライドを今は端の方に置いておくという寛容さも、時には重要だ。

 それに、本当にルイスは勘違いしているのである。何もケイはナンパ目的に、ルイスの脱獄を手伝いに来たわけではないのだ。


 ルイスは手を離すと、少々胡乱な目つきでケイを見つめた。

「分かりました。とりあえずは、あなたに付いていこうと思います」


 とはいえ、ルイス・ハニーピークもケイの言葉を心から信じ込んでいるかと言えば、嘘になる。


 例えば、自分は今、王都で開発された新しい拷問法の実験台になっていて、この男の振る舞いは全て演技で、この石と鉄からなる監獄で、この男は会話だけで信頼を勝ち得ようとしている。そして、自分が心の底から、脱出できると信じ切った瞬間、後ろから兵隊が現れ言うのだ。こんな男を信じるなんて、趣味の悪い女だと、余計なお世話だ、と思う。いやいや、これは可能性の話。


 信頼という言葉が愛という言葉の次に薄っぺらいことを理解しているつもりだったし、この男だって自分にそのようなことを求めていないことは分かっていた。自分達はギブとテイクで成り立つ、健全な関係なはずだ。


 もちろん、暖かいご飯に、柔らかなベッドのためなら、色仕掛けだってやぶさかではない。ちゅーくらいは軽いものだ、おでこ、いや手の甲で充分だ。そう、きっとそうだ。



 駆け巡る思考を抑え、迸る恐怖を呑み込み、何とかルイスは笑顔を作る。

「それで、その個人的な理由は教えてくれないのですか?」


 ケイは語る。これは国と国の戦争の話。


 この世界には種族国家という概念がある。一種族一国家という考えだ。もちろん、国の中で、地域によって全く別の法律が適用されたり、内乱が起こったり、必ず同じ種族同士が仲良くできるとは限らない。しかし、今のところ、種族国家というやり方で上手くいっていた。


 どちらが初めに石を投げたかは分からない。ある日、人族と魔族は敵対した。片方がもう片方を殺せば、もう片方が片方を殺した。憎しみには怒りで、怒りには憎しみを返す。そのようにして、戦火は徐々に大きくなった。次第に、他の種族が横槍を入れ始めた。

 一人と一人の喧嘩が大勢と大勢の喧嘩になった。長い戦いに、人族の力は衰退していき、滅亡も間近となったとき、ケイが召喚された。


 その後は語る必要はないだろう。盗られた国境を押し返し、エルフと獣人を味方につけ、徐々に人族は息を吹き返し始める。そして、ついに魔族国の逆鱗といっていいルイス・ハニーピークの誘拐に成功した。

 人族はいよいよ、反撃の狼煙をあげようとする最中、それが今だ。


「人族には二つの切り札がある。それが分かるか?」

 ルイスは言葉を返さない。分かり切った質問だ。


「俺とお前だ」

 勇者ケイという剣、ルイスという盾。人族は攻防一体の神器を手に入れたのであった。

 魔族国としては、ルイスはどんな手を使っても取り返したいはずである。人族からすれば、ルイスを使えば、戦略の誘導も、兵の陽動も思いのまま。まさしく、最強の盾であった。


「人族は勝つ算段をつけた。魔族国は追い詰められた。そこで、俺とお前が失踪する、意味は分かるか?」

 ルイスは意味が分からなかった。分かるはずがなかった。なにせ、ケイは勇者だ。人の英雄だ。そのような身分のものが、魔族に利する行動をとる意味が分からなかった。


「今、この瞬間、俺とお前が消えれば、戦争は止まる。人族も魔族も動けない。俺は人族の切り札であり、弱点だ。お前も同様に、魔族の切り札であり、弱点だ」

 ルイスにとっては、やはりケイの言い分は分かる。しかし、意図が分からない。

 それはわざわざ、人族側の有利を排してまでしなければいけないことなのか、本当はもっと追い詰められたときに、がむしゃらに取る戦術ではないのか?


「二人が消えれば、戦争は止まる。なら、永遠に逃げ続ければいい」

 ルイスはようやく、ケイの考えの全貌が掴めた。

 もちろん、納得はできない。私たちにそれほどの価値はあるのか?そもそもどうやって逃げ続けるのか?私が裏切らない保証などあるのか?そのような生活で、三食飯付きお菓子付きの生活は維持できるのか?


 疑問は多い。

 しかし、ようやく意図が掴めた。


 つまり、ケイは戦争の中にある平和を見出したのである。人族と魔族、両者から一つずつ大事なものを取り上げ、その行方を分からなくすることで、疑似的な休戦状態を作り上げる。


 そのまま、休戦を永遠普遍のものとするのだ。

 人族と魔族、両者は互いを永遠に憎しみながら、しかし、高い壁によって、決して触れられないところに隔離する。


 その取り上げ、に適切なものは、なるほど、自分とケイをおいて他にない。



 次に、ルイスは疑問の中で最も大きなものを聞いてみることにした。


「そもそも、どうやって、この王城から脱出するんですか?」

 ケイはニヤリと笑い言った。

「俺が勇者を全うできた理由がそこにある」

 ケイの脳裏に浮かぶのは、彼のペテンの師たるナタリアスの顔だ。彼女もまた邪悪な笑顔を浮かべていた。

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