『勇者』に疲れたので、敵国の姫様と夜逃げすることに決めました

ウユニ

プロローグ

 勇者泉岳ケイが牢屋の錠を開けたとき、異世界へと訪れ、勇者を任された遠い夏を思い返したにちがいない。


 地球とリンクした夏に、蝉の甲高い鳴き声を聞きながら、今いかにして世界が滅ぶかを説明されたあの時、初めからペテンは始まっていたのだと、まだ尻が青くとんまなケイには気づくはずもなかったのだ。




「勇者様お目覚めなさりましたか?」


 王女セントルイス・カルロス・ナタリアス、発色の良い琥珀色の髪に、透き通るようなヒスイ色の眼、西洋風の顔立ちに比して、象牙色の肌は同郷のそれであり、浮世だった可憐さと並外れた親近感という相異なる魅力を合わせもった不思議な印象を与えた。


 しかして、優れた魅力に、優れた人格が備わるなんてのは、恋愛至上主義特有の教義にすぎない。性格は見た目に反比例したもので、腹の底は月の裏側よりも黒いに違いなかった。



 無論、ケイはそんなこと知る由もなく、初めてエロ本を見つけたガキの様な間抜け面を晒して、ただ一言答えた。

「はい」


 場所は山小屋、王都公有地の一角、付近には厳重な警備がなされ、ねずみ一匹、どころかパンくず一つ許されない限界体制のもと行われた。


 ヒトが二人入るだけでも窮屈な現場には、王女ナタリアス、泉岳ケイ、付き人の兵士一名が並び、傍目に見れば儀式というよりかは尋問という言葉がよく馴染む。

 ケイは、世界が亡びかかっていること、彼が勇者であること、世界は勇者にしか救えないこと、の三つを教えられた。



 王女は屈みこむようにしてケイを見つめた。

 王女の髪がケイの顔に垂れ、その表面を優しく撫ぜたときようやく、ケイはそれが現実の出来事であると知った。いや、蝉の鳴り響く密室、美女に詰め寄られながら、世界を救って欲しいと縋られる体験は、優に現実を超越した。


 明日の宿題だとか、気になる幼馴染だとか、母の日が近いだとか、そんなものは『この瞬間』に色褪せてしまったのであった。



 今にして思う。全ては策略だった。柔らかそうな唇も、か細い手首も、悲哀を込めた瞳も、全ては平和に慣れたガキを騙すための手続きだった。

 だからこそ、そのあとは簡単だった。


 ナタリアスはまず、謝った。世界の命運を預け、異世界から拉致し、家族と別れさせ、不合理な運命を背負わせたと。罪を指折りに数え、気の毒な程に泣いた。胸が締め付けられるほどの罪悪感を吐露した。贖罪として、自分に出来ることはなんでもすると約束した。


 ナタリアスは崩れ込み。ケイの足元に縋りただ一言、潰れるような声で言った。

「許して」


 夏の熱気が小屋を満たした。汗はしとどに流れ落ち、濃い人間の香りが鼻を突く。

 どこかで蝉が鳴いている。



 ヘマをしたスパイに銃殺刑を言い渡す。一握りのパンと少女の身体は等価である。足の無い退役兵が空の物乞い皿を差し出し、女は中に痰を吐き出した。爆風がブローチを握りしめた腕ごと吹きとばす。

 戦争のイメージが頭を這いずりまわる。

 全ての罪悪が、教育によって植え付けられた道徳が、ケイに縋りつくのだ。その先は地獄だぞ、と。


 今や、ライトノベルなど非現実性の塊でしかない。頭にこびりついた血と灰が、決して楽な道を想像させない。


「分かりました」

 ケイの口は乾いていた。

 口内を舌でなぞると血の味がする。


 王女はむくりと立ち上がると、倒れるようにして扉へと体重を預けた。

 一言、期待しているわ、と続け外へと崩れ落ちる。


 かくして、救世の旅は始まった。

 夏もまだ、始まりの頃だった。




 眼を背けたくなるような過去を思い返し、ケイは思わず拳を握りしめる。手のひらに爪が突き刺さり、血が滲んでいく。次第に強まる痛みで、ようやく気持ちが落ち着いた。


 まるで、あの頃に戻ったかのような気分だった。

 高ぶる気分を崩さぬまま、扉へと向き直る。


 ゆっくりと鍵を開ける。


 石造りの牢屋には、何人もの囚人を打ちのめしたであろう無機質さだけが残っていた。血と汗と汚物と人間の諸々の臭いは、どう掃除したってもう取れない。

 ここは国家の薄暗い秘密を収めた金庫なのだ。


 お母さん、お父さんと、鼻水まみれの呟きが反響する。これでは、監獄に幽霊がいると噂が立つのも無理はない。

 表向きには、ここはもう利用を取りやめていると、ナタリアスは説明した。しかし、監獄の入口を使用人が横切るくらいよくあることだ。


 夜遅く、仕事が長引いたことに不満を覚える使用人が通れば、もうイチコロだ。硬い枕に頭を載せたとき、思い出すのは今にも泣きそうな少女の囁き声、お母さん、だ。寝付くこともできず、気が付けば朝日が昇っている。薄い壁を突き抜けて、他の住民が身支度を始める音が聞こえてくる。目の下には特大の隈を蓄えて、同僚に言うのだ。あの監獄には少女の幽霊が出るんだ、と。


 もちろん、ケイは物見雄山に監獄に来たのではない。確固たる理由を持ってこの場に足を踏み入れたのだった。


 ふと、泣き声が聞こえない。


 カツカツ、と響くケイの足音に、泣き声の主はグッと押し黙ったのだ。

 それは彼女の気丈な振る舞いによるものか、或いは天真爛漫な想像力の為せる技か。どちらにせよ、敵国の英雄を前に、涙を見せるのを良しとしなかったのだろう。


 暗い牢獄のずっと奥、昔は拷問部屋として利用された部屋に、少女はいた。



 銀髪碧眼に小さな体躯。震えながらも、臆することなくこちらを睨みつけている。か弱い小動物を思わせる雰囲気、強いストレスを与えるだけで死んでしまいそうなか弱さだ。


「私は何も喋りませんからね。あなたたちが何をしようとも、絶対に」

 少女は凛として言った。彼女の決意は、その見た目を思えば、あまりに貧弱にみえる。


「実際、どうなんだろうな。うちの姫様は言っていたぞ、痛みには限度があるって、熱さも寒さも、苦しさもそういう心的外傷には限度があって、許容量も人によっては違うらしい。だから、拷問に耐えられるかどうかは、才能、生まれつきのものだってな」

 牢屋の端を鼠が横切った。ふと、ケイは少女の耳へと視線を走らせた。彼女の形の良い、ピアス穴一つない耳がそこにはあった。良かった、かじられるなどという不始末は起きていない。

 冗談の様に思えるが、ここではよくあることだ。


「脅しですか?」


「いんや、疑問だ。そうだな、一つだけ限界なく与えられる精神ダメージがある、なんだと思う?」


「こんなの脅してるのと一緒ですよ!」


「まぁ、そう言うなって。答えはそうだな、恐怖だ。分かるか?人間の想像力それ自体なんだ。だから、拷問するにしたって、下手に右腕を切るよりも、じっくりと右腕を切る想像、切った後の想像をさせる方が、ずっと効率がいい。それに、幾分か人道的だ」


 少女はいよいよ、涙を浮かべている。

―あれ?おかしいな。仲良くなりにきたのに。

 ケイの思考を過ぎったのは、そのような言葉だった。


「よし、次のクイズだ。俺がどうしてここに来たか分かるか?」


「拷問ですか?」


 少女の声は震えている。


―なぜだ?俺はこの娘と楽しいクイズをして打ち解け合う腹積もりだったのだが、怖がられているぞ?


「違うとも、正解はな…………」

 少女は顔を背け、覚悟を決めた。


「お前の脱走を手伝いに来たんだ」

「へ?」

 そう、ケイはこの少女を連れ、城から出る。そのためには、出来るだけ仲良くなっておく必要がある、のだが。

「つまり、あなたは…………?」

「味方だ」

 少女の顔はみるみるうちに赤くなる。感情が決壊して涙があふれている。


「ど、どうして、脅かすんですかー?」

「脅かすもなにも、俺はお前と仲良くなりたくて、関係を深めるためのレクリエーションを考えてきたんだ」

「それが今のクイズですか?」

「ああそうだ、楽しんでもらえたか?」

 無論、ケイの言葉は全て真実である。


「あなた、もしかして人と仲良くするのが苦手なタイプじゃないですか?」


 図星だった。ケイは元々の悪人顔をも相まって、人から避けられることが多い。


 ついでに彼と関わった人からはこうも言われる、善い人だってのは分かるんだけどねー。けどね、の部分を詳細に教えて欲しい、とケイは切に願っている。


 修学旅行の夜だって、トランプもウノも用意した。持ち運びの麻雀だって持って行った。ただ、ケイが使う機会はなかったのだ。

 彼らは今も、クローゼットの中で埃を被っている。


「まぁ、そうだが。なぁ、この際だから教えて欲しい、俺の何が悪いんだ?」

「全部です」

 少女は若干の八つ当たりも込めて叫んだ。


「そんなはずはないだろ?」

「いいえ、全部です」

 もはや、この男が拷問官だろうが、味方だろうがどうだっていい、自分の緊張を返して欲しい、という思いを込めて、少女は叫んだ。


「いや、ごめんごめん、そんなに怒らなくたっていいじゃないか?もしかして漏らしたりしたか?そう、強張るなって」

「もう、全部いや」

 少女は思う。いっそのこと、こいつは拷問官であってくれ、そうじゃないと辻褄が合わない、と。

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