酒が飲めないから

第19話

真島さんに連れて行かれたのは、尾行調査初日の最後に立ち寄っていた喫茶店だった。道路を挟んで画材屋の向かいにある、レトロな雰囲気のその喫茶店はどうやら24時間営業らしく、俺たちが入店した午前9時過ぎはパソコン作業をしているIT系の雰囲気漂う私服男性客や、この近くの飲み屋にお勤めらしい方がいたりと、かなり客層が個性的だった。ちなみに新宿三丁目は二丁目とも近い。“この近くの飲み屋にお勤めらしい方”というのは……どうか、察してほしい。


「いらっしゃいませー」

「3名です。喫煙席で」

「3名様、喫煙席ですね。ご案内致します」


 ピシッとした制服をまとったウェイターに案内され、広々とした店内の中で一番奥の4人掛けテーブル席に位置取った。


「真島さん、ここ行きつけなんですか?」


 恐る恐る話を振る武士。職場のビルのエレベーター前で鉢合ってしまい、一緒にモーニングを食べないかと誘われてしまったわけだが、真島さんが俺たちに何の用があって声を掛けて来たのかは未だに不明だ。いや、きっと覗き見の件なのだろうけど、それにしては特に怒っている様子ではない。ただ穏やかな表情なのにやたら圧を感じるのだけども。


「ああ、そうなんだよ。昔から何かとここを利用してるねぇ。プライベートでも、前職では仕事の打ち合わせでもよく来てた」

『前職って……休憩室で話してたやつですか、テレビ局の』

「うん、その仕事の時もだけど……別の仕事の時でもね」


 ダメだ、真島さんが話す言葉一つ一つが意味深に聞こえてきてしまう……。何だかジワジワ拷問を受けている気分だ。俺たちがやってたことに文句があるなら、回りくどい事しないでさっさと言ってくれよ。

 ウェイターがメニューとお冷をテーブルに置いた瞬間、俺は真っ先にお冷のグラスに手を伸ばした。


「モーニングのロールパンセット、ブレンドで。君たちは?」

「あ、はい……俺も同じで」

『はい、俺もです』


 メニューを熟考する余裕なんてないので、適当に真島さんに合わせた。しばらくすると、ウェイターが空のコーヒーカップだけを3つテーブルに置き、再び席を離れた。店のカウンターでは専用の機器を使って俺たちが注文したコーヒーが丁寧に作られている。特徴的な見た目のあの機器、名前何ていうんだろう。


「ここはサイフォン式なんだよ。2人は飲んだことあるかな?」

「いや、俺らはせいぜいファミレスのドリンクバーで飲むぐらいですから……」

「あはは、若い子はそうだよねぇ。僕はお酒が飲めないから、居酒屋とかに行くことが中々なくてね。代わりにコーヒーに凝っちゃったんだよ」

「へぇ〜、そうなんすかぁ……」


 武士が適当に話を繋ぎ、出来るだけ気まずい空気にならないように健闘している間に、サイフォンという理科の実験機器のようなものに入ったコーヒーと3人分のロールパンセットがテーブルに到着した。サイフォンから注がれたブレンドコーヒーは、びっくりするぐらい香りが良い。普段ドリンクバーで長時間粘るような俺からしたら、小さなカップ1杯で単品だと850円もするコーヒーなんて気安く頼めるものじゃない。いつもなら砂糖もミルクもドバドバ入れるところだが、こればかりはブラックで飲むべきだな。そして上品にワンプレートに盛り付けられたロールパン・サラダ・目玉焼き……なんか、急に大人になった気分だ。

 モーニングを食べながら、武士はなるべく世間話で済むように会話の流れをコントロールしていた。


「真島さんって、退勤後いつもこんな優雅な朝飯食ってるんすか?」

「まさか。たまにだよ。すぐそこにある、画材屋に用があった時だけ」

「へぇ〜、そうなんすねぇ……」

「……ちょうど先週もここに来たの、君ら知ってるよね?」


 俺は思わず、サラダをフォークでつつく手を止めてしまった。俺と武士が固まっているのを他所に、真島さんはもうモーニングプレートをペロッと平らげてしまっている。


『知ってるって、何のことですか?』

「いいよ、隠さなくたって。何となく、君らが僕のこと調べ回ってるのには気付いてたから」

『そう、なんですね……あの、すみませんでした! ただの悪ふざけだったんです……本当にすみません!!』


 空気に耐え切れなくなった俺は真っ先に謝罪の言葉を述べた。武士も俺に釣られて頭を下げる。どういう反応が返ってくるのか緊張しながら待っていると、意外にも真島さんはフレンドリーな雰囲気でこう言った。


「別に気にしてないよ。良いから先に食べて。パンが冷たくなる前に」













 モーニングプレートを3人共食べ終わり、テーブルにはコーヒーカップと灰皿だけが残った。“喫煙目的店”と看板にも書かれている通り、ここは席で煙草が吸えるという、禁煙ブームの昨今では非常に有難い喫茶店なのだ。

 それぞれが煙草に火を付け、3人分の吐いた煙で辺りが一瞬白く濁る。さてこれから一体、俺と武士は真島さんに何を言われるというのか。


「前に川上くんには話したけど、僕は芸大出身で立体造形について勉強してたんだ」

「ああ、はい。潤からチラっと聞いてました」

「そうか……小っ恥ずかしい話をすると、よく街中にある奇抜な立体アートを見ては、僕も将来こんな風に不特定多数の人の目に触れるようなものを作ってみたい……そんな夢を描いていた時期もあった。でも、そこに辿り着けるのはほんの一握りの天才だけでね。当然僕はその中には入れず、普通に造形知識が活かせる就職先を探すことになったよ。加えて僕はこの通り、社交性がない。君ら2人をモーニングに誘うのだって、実はドキドキだったんだよ? こんなだから企業の面接は苦労しっぱなしで、結局はテレビ局の大道具制作に決まったんだ」


 社交性がないと言うが、普段の真島さんより流暢に話しているように思える。前も思ったけど、やっぱり芸術系の話になるとこうなるもんなんだな。


「さっき、仕事の打ち合わせでもこの喫茶店を利用することがあったって話しただろ? 僕がテレビ局の仕事をしていたのは新卒採用から28歳までなんだ。多分君たち世代では考えられない程の長時間労働だったから、体を壊してしまってね。次の働き口を探していた時、“ある人”から是非一緒にやって欲しい仕事があるって話を持ち掛けられた。その話を聞いたのもここなんだ」

『“是非一緒にやって欲しい仕事”っていうのは?』

「本格的なショーパブを新宿でオープンさせるから、店内のデザインで力を貸して欲しい……そういう依頼だった」



 真島さんはブレンドコーヒーを一口含み、昔話をし始めた。

 話を持ち掛けてきたのは、テレビ局で働いていた時に何度か仕事で会っていた人物だという。その人は元々芸能事務所のマネージャーをしていた男性で、話をしに来た時はもうその仕事は辞め、ショーパブオープンのために色んな人と会って協力をあおいでいたのだった。真島さん曰く男は情に厚い性格で、また一緒に仕事しようと言えば社交辞令で終わらせず、必ず声を掛けてくれる人だったらしい。そんな人からの誘いということもあり、真島さんは二つ返事で承諾したのだった。


「さっきも言ったけど、僕は全くお酒が飲めないから、新宿にオープン予定のショーパブだなんて未知の領域でね……一般的にそういうお店はどういう雰囲気なのか、実際ショーに出演するのはどんな人なのか気になるって彼に言ったんだ。そうしたら、ダンスレッスンをしているところまで見学に来れば良いって言ってくれた」

「へぇ〜、凄いっすねー!! 俺も見てみたいっすわ」


 余裕が出てきた武士が調子良く真島さんの話に相槌を打つ。いやいや、もう余裕ぶっかませてるお前の方が凄いよ。真島さんもそんな武士に笑い返していたが、急に何か言いにくそうな感じでモゴモゴと喋り出した。


「ところで……君たちは今まで、女性とお付き合いはしたことある?」

『へ?』

「ああ、まだ若いから学生時代のも含めてで良いよ。彼女がいたことはあるのかな?」

『え、いや……はい』

「俺もまぁ……今はいないっすけど」


 突然何の話を始めたんだと、俺も武士もキョトンとしてしまった。真島さんだけはそうかー、としみじみ考えを巡らせている様子。

 え、20代前半の俺たちと、20ぐらい歳の離れたオッサンで恋バナするんすか?


「そうだよねぇ、普通は女性とのお付き合いなんて一度や二度はあるよなぁ。……いやね、僕は小さい頃から恋すらした事がなかったんだよ。というより女性が苦手だったんだな、特に学生時代は。でも、ダンスレッスンの見学に行った時……僕は初めて胸の高鳴りを覚えた。恋とはこういうものなのか、なるほど悪くない……それはとても心地良い感覚だった」


 オッサンが急にポエムかの如く初恋エピソードを語り出したので、正直俺も武士も勘弁してくれという気持ちだったのだが、ぐっと耐えて淡々と事実を確認する事に徹底した。

 ダンスレッスンを受けていたショーキャスト候補の人々は、皆真島さんを誘った元マネージャーの男が集めた女性ばかりで、その多くは苦労している女優やアイドルの卵だったそうだ。その中で、ステージ未経験のとある女性がいた。ダンスをやったことがないその女性は、他のキャスト候補に比べて振り付けを覚えるのに遅れをとっているように見えていたのだが、誰よりも真剣にレッスンに取り組み、休憩時間でも1人鏡の前で熱心に踊り続けていた。その直向ひたむきさに、真島さんは心を奪われたらしい。


「常に真剣でキリッとした表情、真っ直ぐ鏡を見つめ、踊り続ける彼女を見ていると、段々と彼女は聖女なのではないかと思えてきたんだ。彼女の凛々しい表情から、僕はフランス軍に仕えて百年戦争に身を投じたジャンヌ・ダルクはこんな風だったんじゃないかと想像した……それでいて、彼女は誰に対しても優しく微笑みかけてくれる。僕みたいな根暗でコミュニケーション下手な男でも。あの慈悲深さはまさに、聖女そのものだ」

「は、はぁ……」


 完全に引いてしまっている武士を、俺はテーブルの下で小突いた。武士、その気持ちは俺も一緒だ。でも態度に出すのは良くない。

 ところで……なんでこんな話を真島さんは俺たちにするんだろう?


「でも……残念ながら、彼女には既に恋人がいたんだ。相手は僕に仕事を依頼してきた人でね」

「えー、それは辛いっすね……」

「いや、そうでもなかったんだ。彼は僕が感謝している人でもあったし、お似合いのカップルだと素直に思ったよ。それに、彼女は僕みたいな男には到底手の届きようのない素敵な女性だ。だから遠くから眺めているだけで、それで本当に十分だったんだ」


 不覚にも、切ない話だなと感じてしまった。現在40代中頃のオッサンが話すからキツいだけで、当時は28歳の青年なわけだ。コミュ障の若者が初めて恋をして、その相手は自分がお世話になっている人だったなんて、自分に置き換えて考えると胸が苦しくなってくる。

 新宿にあるショーパブか。検索したら出てくるのかな。


『あのー、真島さん』

「ん? 何、川上くん」

『話の腰折ってすみません。真島さんが店内デザインで関わったっていうそのショーパブ、なんて言う店ですか? 新宿って結構そういう店ありますよね。モノマネ芸人が出る有名なところもあるし』

「ああ、今はもう残ってないよ」

『そうなんですね……潰れちゃったとか?』


 俺のその言葉を聞くと、真島さんはそれまでの穏やかで楽しそうに昔話をしていた表情を一変させ、真顔のまま喋らなくなってしまった。

 俺はゾッとした。それは、アパートの窓から俺をじっと見つめていたあの時と同じ。まさに既視感デジャヴだった。何なんだよ、その表情は。


『あの……』

「……潰れちゃったね。経営者が良くなかったからね」

「経営者? 真島さんを誘った人ですよね?」

「いやいや。彼はプロデューサーなだけで、経営者ではなかったんだ。経営者は新宿界隈で水商売の店をグループ展開しているヤツだ。2人はお店の運営方針で意見が合わなかったみたいでね、プロデューサーの彼は辞めさせられちゃったんだよ」

「へぇー。やっぱそういうこと、よくあるんすかねぇ?」


 武士の適当な相槌に返事はなかった。そして、そのまま再び沈黙が訪れる。そんな真島さんに武士は少々困惑しているようだ。

 さっきまであんなに饒舌に話していたのに急にどうしたんだ、と武士だけは思っているんだろうな……俺には判ってしまった。真島さんがエレベーター前で俺たちを呼び止めたのは優雅なモーニングに連れて行くためでも、昔の恋バナを語るためでもない。異常に喉が渇き、俺はコーヒーもお冷も全て飲み干してしまった。


「川上くん」

『は、はい』

「前に休憩室で言ってたよね? いつか僕の作品を見てみたいって」

『……言いました』

「見せてあげるよ。南野くんも一緒に」


 俺と武士は顔を見合わせた。ここでようやく武士も、とんでもない事態になっていることに気付いたようだ。

 店内の他の客の話し声と、サイフォンによってコーヒーが抽出されるコポコポという音が、嫌な程大きく聞こえてくる。


「荻窪なんだけど、大丈夫かな?」

『はい……』

「お、俺も問題ないっす……」

「そっか、良かった。散らかってるけど許してね。じゃあ行こう」


 またしても真島さんの静かな圧力により、俺たちは断ることが出来なかった。

 真島さんは再び穏やかな表情に戻り、伝票を持って先に席を離れて行った。

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