回避

第18話

〜side B〜


8月n+8日


「はぁ、はぁ……いた、潤……急に、どうしたんだよ?」


 俺よりも遅れて荻窪駅前のバスロータリーに到着した武士は、走って来たのか息切れをしていた。まぁ、急げって言ったのは俺なんだけど。

 真島さんの自宅アパートがあるあの一帯は危険だと判断し、駅周辺まで戻ってくるように指示したのも俺だ。武士は何も見ていないから、呑気に俺が張り込みをしていた公園の方に向かうなんて言っていた。早く事の重大さを知らせないといけないのに、俺の身体はまだ震えが止まらないままだ。


 窓からずっと俺を見つめる真島さんの姿が頭に焼き付いて離れない。あの無表情に隠されていた感情は一体どんなものだったのだろう。

 手に入った“いい素材”とは、あの作業台に乗っていた頭蓋骨のことなのか? あれは……何処から仕入れて来た代物なんだよ……。


『……これを見てくれ』

「お! どうだどうだぁ〜、決定的瞬間を捕らえたか?」


 俺のスマホを武士に渡し、例の動画を再生するようにうながす。最初は何が映っているのかとワクワクが止まらない様子の武士だったが、やがてあの頭蓋骨を確認すると顔をこわばらせ、笑顔が消えていった。


「え……いや、流石に模型だよな?」

『わかんねぇ。でも、俺が思うに……あのサイズ感はリアル過ぎた』


 そう言って俺は目の前にいる武士の頭の大きさを手で測ってみる。やっぱり、あれは成人男性ぐらいの頭蓋骨だったように思う。

 武士に気味悪がられ、すぐに手を跳ね除けられた。今まで生き生きしていたのが嘘みたいに顔が引きっている。


「いやいやいや……やめろよ、潤。あれだ、精巧な模型だろ? ほら、なんか……服とか部屋の装飾とか、やたらドクロだらけのヤツいるじゃん! 大体イタい人種だけど」

『真島さんは普段そんな趣味じゃないだろ』

「わかんねーよ!? 隠れドクロオタクかもしれねーじゃん」

『俺、隠し撮りしてるのバレたんだよ!! 目が合った……新聞で顔隠してたけど、撮ってるのは絶対にバレてたんだよ……ずっとこっち見てきて……もしかしたら俺だってことにも気付いてるかもしれねぇ』


 パニックでどんどん声が大きくなっていく俺を、武士は必死でなだめていた。通行人がジロジロ俺たちの方を見てくるが、人の目にどう映ろうが知ったこっちゃない。俺は唯々ただただ今の状況が怖いんだ。もしあれが本物の人骨だったとしたら、なんで真島さんはそんなものを持ってるんだよ。そもそも骨の状態になる人物がいないと、だろ? ……もしかして。


「潤!! 悪い方にばっか考えるなよ。新聞で顔隠してたんだろ? それじゃあ潤だとは気付いてないって。つーか、普通に考えて頭蓋骨は模型だろ。やべー、悪趣味なオブジェ作ってんの誰かに見られちったー、としか思ってねぇって!!」

『……』

むしろさ、俺らがキョドってたらそっちの方が怪しまれるって。だからさ、職場で会った時も徹底的に知らないフリを突き通さねぇと。な、演技できるよな? 未来の大物声優!」


 武士にさとされ、今後如何いかなる場合も俺たちは真島さんの前では平然を装うよう努めると示し合わせた。

 そしてこの尾行調査に関しても本日を持って終了にしようと、2人の同意の元、正式に決定したのだった。調査内容を動画にするかどうかも一旦は保留ということになっている。俺も武士も、今のところはそんな気分にはなれないからな。

 兎に角一刻も早く荻窪を離れてしまいたかったので、これで解散することにした。変な汗をかいてしまった……帰ったら真っ先にシャワーを浴びたい。
















8月n+10日


 最後の尾行調査から2日経った水曜の夜。若干の緊張感はあるが、俺は何とか平常心を保ちながら出勤することが出来た。あの日はかなりショックだったが、時間が経ってきて俺も冷静に、ポジティブに考えられるようにはなっていた。


 そうさ、完全に顔を隠していたんだから盗撮していたのが俺だと判るはずがない。あの時俺は、後ろめたいことをしている意識が強かった。だから真島さんが盗撮犯は俺だと気付いて怒っているに違いないと、脳がそのように変換させていたんだ。

 あの頭蓋骨だって、武士の言う通り模型に決まってる。俺が妄想したように、かつて真島さんが人を殺していたとしても、その人物の頭蓋骨を使ってアート作品を制作するなんて、あまりにも突拍子もない話で非現実的だ。後で調べて判ったのだが、人が白骨化するまでかかる時間は乾いた土中に埋められていた場合、大人で7〜8年かかるらしい。ということは、殺してから美術の素材になるまで少なくとも7〜8年経過しているということだ。一般的にそんな簡単に殺人を隠し通せる筈がない。急に人が姿を消せば、誰かしらが捜索願いを出すだろうし、日本の警察は優秀だ。死体が発見されればすぐに犯人も逮捕されてしまうだろう。要するに、真島さんが現在家で作品造りに勤しむことなど、本来出来るわけがないのだ。

 あの時の俺は本当にどうかしてたな、ちょっと考えれば判ることじゃないか。


「ういーっす」

『おう、武士おはよっす』

「川上くん、おはよ」

『亘さん、おはよっす』


 運用室に入ると、先に来て自席のパソコンを立ち上げている武士や、管理者用のファイルに目を通しているところだった亘さんから挨拶をされる。

 夜勤組だろうが、出勤時の挨拶は“おはよう”だ。別に業界人振っているわけではない。


「なんか、最近亘さん表情明るくなりましたね! いいことあったんすか?」

「え? いや、別に大したことねーけど」

「絶対大したことあるわー。アレっすか、彼女出来たとか」

「まぁ……復縁したっつーか」

「フゥ〜、いいっすねー! 羨ましいっす」


 武士が亘さんにウザ絡みをしていた。アイツ、中々強者だな。俺はようやく不安を払拭ふっしょく出来たっていうのに、全く動じてない雰囲気だ。

 俺は自席に座り、いつも通りパソコンを立ち上げていると、俺より少し遅れて真島さんが運用室に入ってくるのが見えた。ホワイトボードで今日割り当てられている席を確認し、こっちへ近付いてくる。真島さんの席は悪魔の悪戯いたずらか、俺の真後ろだ。


『おはよっす、真島さん!』

「……おはようございます」


 平然を装うとするあまり、やたら元気に挨拶をしてしまった。これではかえって不自然になっちまう……!!

 武士も遠くから何やってんだ、と言いたげな表情で俺のことを睨んでいる。変な雰囲気にしてしまったことを後悔していると、さらに真島さんから声を掛けられてしまった。


「あの」

『は、はい!?』

「椅子、もうちょっと引いてもらってもいいですか?」


 見ると、俺が座っている椅子が自分のデスクから大きく離れていて、真後ろの席の真島さんが座れなくなる程狭くなっていた。


『あ、ああ。すんません、気が利かなくて』


 俺が椅子を引くと真島さんは軽く俺に会釈して、自分のパソコンの立ち上げ作業を始めた。

 だから、考えすぎなんだよ俺。普通の、いつも通りの夜勤だろ?










8月n+11日


 夜勤の間に日付が変わって木曜日。現在は午前8時30分を過ぎたところだ。

 俺が勝手にビビったりしていたが、特に何事もなく勤務時間が過ぎ去っていき、気付けばあとは30分もすれば退勤出来る。平日なので忙しくもなかったし、無事定時で上がることが出来るだろう。今日はこのビルの喫煙所には寄らず、新宿駅前まで行って一服し、ファミレスに行こうと武士と約束をしている。


 思えばちょうど1週間前だったな、暇潰しに真島さんのプライベートを探ろうぜって言ったのは。完全に武士の悪ノリがキッカケだったけど。

 とは言っても、俺だって実際やってみたら意外と楽しくなってたし、武士の動画制作に関わることで自分にも旨味が発生するんじゃないかってよこしまな考えがあった。

 その結果、他人の私生活に踏み込み過ぎて余計な心配をすることになってしまった。これは今後生きていく上での教訓だな、人との距離感を見誤ってはならない。

 真島さん、色々すんませんでした。気が向いたら今度休憩室で一緒になった時、どんな作品を作ってるのか具体的に教えてくださいね。







「おっはよ〜。パソコンはシャットダウンしなくていいからねー。ログアウトだけしておいて」

『はい、了解っす』


 あっという間に30分が経ち、退勤する夜勤組と、入れ替わりで来た日勤組の人が入り混じり、運用室が騒がしくなってきた。この後俺の席に座るらしい日勤のおばちゃんに声を掛けられ、口うるさくデスク周りの整頓を指示された。ったく、毎回言われなくたって判ってるっつーの。

 自席で退勤の打刻をして、この慌ただしさに混じってさっさと運用室から出た。休憩室には既に武士が待ち構えていて、俺に早く帰り支度をするよう急かしてくる。


「なんでババアに絡まれてんだよ、急いでんのに」

『向こうが勝手にペラペラ喋ってくんだよ』

「今日席近かったけど、何も言って来なかったか?」


 席が離れていた武士は、ずっと俺と真島さんを気にしていたようだ。この頃にはもうなんの心配もなかったから、肩をバシッと叩いてチャラけて見せる。


『何もねーよ。俺らは勝ったんだよ』

「勝ったって何だよ、勝負でもしてたか?」

『ある意味勝負だったろ。つーことで、勝利祝いに打ち上げでもすっか? ファミレスやめて朝飲み行っちゃう?』

「それは同意だわ。東口方面だったら、この時間でも開いてるとこあるよな?」


 ようやく心から安心出来た俺たちは、テンション高めで休憩室を後にした。エレベーターに乗り込んでから1階まで辿り着く間、スマホで朝から営業している居酒屋の検索をした。飲み物・食べ物オール290円のチェーン店が無難だな、という意見で一致。外は相変わらず暑いし、早いとこ向かおうぜと話したところで1階に到着した。



 エレベーターのドアが開いた瞬間、背筋に悪寒が走った。俺たちの目の前に真島さんがいたからだ。

 言葉を失う俺と武士に、追い討ちを掛けるかのように真島さんが声を掛けてくる。


「川上くん、南野みなみのくん。お疲れ様」

『お、お疲れ様です』


 かろうじて返事をすることが出来たけど……何なんだ、一体。俺と武士より先に退勤して、エレベーターで降りて来るのを待ってたっていうことなのか……?

 いや、いやいやいや。忘れ物して取りに戻るところだろ。だったら、エレベーター前で待機することも何ら不思議なことじゃない。考えすぎだ。

 今んとこ何とか帰り際の挨拶として成立してるんだ、早くここを立ち去ろう……と、エレベーターから降りて真島さんの脇をすり抜けようとした。


「あの……2人共、この後予定ある?」

『え?』

「え?」


 またしても声を掛けられた。しかも、この後の予定だと? これは、明らかに俺らに用があるってことだよな??

 マズい……どうしたらいいんだ。正直に飲みに行こうとしていると言うべきか。いやいや、ご一緒していい? とか言われてしまうかもしれない。それは勘弁してほしい。

 急いでると言って逃げるか? ダメだ、その手を使うには時間が経ち過ぎてる。だし、明らかにやましい事があって接触を避けていることが伝わってしまう!!

 そうだ、俺は夕方から養成所に行くんだ。早く帰って仮眠取りたいって言えばいい!! 武士は? 武士は何か断り文句が浮かんでるのか!?

 物凄い速さでこれらのことが頭を錯綜さくそうし、一体どれが最適解なんだと混乱していると……全てを断ち切るかのような真島さんの言葉が耳に入ってきた。


「良かったら……僕の好きな喫茶店で、一緒にモーニングでもどうですか?」

『モーニング、すか?』

「新宿三丁目まで歩くんだけどね。すごく落ち着くんだよ、席で煙草も吸えるし。君らも喫煙者でしょ?」



 穏やかな表情の真島さんはかえって不気味だ。だが彼から発している静かな圧力に俺と武士は敵わず、誘いを断ることが出来なかった。

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