終了
第17話
〜side A〜
8月n+6日
土曜日の朝。俺は理恵の自宅マンション、リビングのソファーの上で目覚めた。
昨日の晩は終電を逃してしまったため、俺よりも新宿に近いところに住んでいる理恵の世話になることにしたのだった。
「……おはよ」
『おう、おはよ』
寝室のドアが開き、部屋着の理恵が顔を覗かせた。すっぴんで眼鏡をかけた理恵を見たのはどれぐらいぶりだろうか。
「ちゃんと眠れた?」
『うん、まぁ。ちょっと腰痛いけど』
「ごめんね、予備の寝具とかなかったから……着替えて朝ごはん用意するからちょっと待ってて」
『おう』
そう言って理恵は身支度のため再び寝室に引っ込んでいった。相変わらずきちんとした性格だな。
同じ寝室から今度は小夜が出てきた。髪はボサボサで、寝ぼけたような顔のまま洗面所に向かっていこうとしている。
なんとなく、元気かどうか確認したくて俺は声を掛けた。
『小夜、おはよ』
「おはよ」
『ちゃんと眠れたか?』
「……うん」
短く返事をして、小夜は洗面所に消えていった。泣き腫らしてしまった目は、今朝大分元に戻っているように見えた。
昨日、都庁近くの高架下でヨウコの遺体を発見した俺たち3人とホームレス支援団体の男は、その後支援団体の男が呼んだ警察によって軽い事情聴取を受けた。
詳しくは監察医による検死が行われてからの判断になるが、状況からして事件性はないだろうと警察は話していた。
事情聴取後は俺たちは帰っていいとのことだったが、小夜が「亡くなったホームレスは実母だ」と主張し、遺留品を見せて欲しいと申し出た。だが、小夜の話を一通り聞いても警察は期待に沿うことは出来ないの一点張りだった。夜も遅かったことから、これ以上この場に残ろうとするなら補導対象になると言われてしまい、やむなくその場を去ることとなった。
現場に残された私物からは身分証明書の
数日かけて
実母の悲しい過去を知り、最後は路上で1人孤独に死んでいたのを見つけるという、なんともやり切れない結果で終わってしまった。
一晩経ち、先程見た限り落ち着いているように見えたので安心したが、昨日の小夜の精神状態は相当危険だったと思う。俺も理恵も、ずっと小夜に付きっきりだった。少しでも彼女を1人にすると変な気を起こしてしまいそうな気がして。
しばらくして、着替えてきちんと髪もまとめた理恵が寝室から出て来た。俺に寝ていたソファーを整理するよう指示し、キッチンで3人分の朝飯を用意し始める。
洗面所から戻った小夜も自然と理恵の手伝いをしている。数日間一緒に生活しているうちに自然とそうなったんだろうな。なんだか本当の姉妹のように見えて微笑ましい。
「ねぇ、テーブル拭きたいからさっさと物
『へいへい』
俺に悪態つける程度には元気を取り戻しているようだな。言われた通りテーブルの上に置いていた俺の私物を片付けると、小夜が布巾でサッとテーブルを拭き、その後理恵と小夜によって出来たての朝食が並べられた。トースト、ハムが添えれれたスクランブルエッグ、色鮮やかなサラダ、バターとマーマレードの瓶に、ティーポットに入った紅茶とカップが3つ……普段スーパーで買うスティックパンで済ませる俺からしたら、旅行先のホテルか? っていうぐらい優雅な朝食だ。
『理恵、お前いつも朝飯こんな感じ?』
「いつもじゃないよ、休日だけ。まぁでも、小夜ちゃんが来てからは結構頑張ってるかもね」
「独身男じゃ考えられないって? 亘も理恵さんを見習いなよ」
『うるせーな』
朝飯を食いながら3人でたわいも無い会話をする。こんなのも、もうそろそろ終わりにしねぇとだな……結果はどうあれ、小夜の出生を
俺はバターを塗ったトーストを齧りながら、何気なく今後についての話を切り出した。
『小夜、今晩の夜行バスで岡山に帰れ』
「え……今日?」
『警察が言ってた通りなら、そのうちお前の元に連絡が行くよ。お前は普通養子縁組なんだから、実母との親子関係も残ってるんだろ?』
「そうだけど……」
『じゃあ、後は連絡待つだけ。もう東京で出来る事は残ってねぇよ。日曜の朝に来てるから、今日で1週間東京に滞在してることになる。これ以上日数延びるとパパママから理恵に連絡入るかもしれないぞ。理恵に迷惑かけたくねーだろ?』
理恵も苦い顔をしたので、小夜は渋々今夜東京を出ることには同意した。でも表情は憂鬱そうで、何か心残りがあるような雰囲気だ。
『なんか思ってることあるなら言えよ。何が不満なんだ?』
「不満とかじゃない……ただ」
『ただ?』
「昨日見つけた遺体が実母だと判明して、血縁関係も確認取れて私の元に連絡が来たとして。その時はパパとママも知ることになるんだよね……そうなると、今回私が東京に来た本当の目的にも気付くことだってあるかもしれない」
『ああ、それは……そうかもな』
「パパとママを悲しませることになるんじゃないのかな……って思って。そう考えると家に帰って2人に会った時、どう接したら良いのかわかんないよ……」
小夜はずっと
警察から小夜に血縁者として遺留品や遺骨の引き取りを頼まれれば、嫌でも養父母たちも知ることになる。その後小夜と養父母の関係が今まで通り良好であり続けるかどうかは判らない。こればかりは当事者ではないため、アドバイスしようがない。俺は気の利いた言葉が見つからず、ただ黙っているしかなかった。
すると、理恵が恐る恐る会話に入ってきた。
「あのね、小夜ちゃん。実は言ってなかったんだけど……私、小夜ちゃんのママとメッセージのやり取りしてたんだ」
「え……?」
「ごめん。正直に、小夜ちゃんが東京に来た本当の理由、私が説明してた。だから事情ちゃんと知ってるよ」
「ママは……なんて?」
「ママ……養父母の2人は、小夜ちゃんを家族に迎えてからもずっと不安だったんだって。だから、小夜ちゃんが夜家に帰って来なかった日“やっぱり、自分達を家族として認めてくれなかったのかな”って、ネガティブに考えたりもしてたの。だから小夜ちゃんが亘に話した、“自分のルーツを知った上で、パパとママの元にいたい”っていう気持ちを伝えたら、すごくホッとしたって。パパもママも、ヨウコさんのことについて小夜ちゃんがどんな決断をしようが尊重するって……そう言ってたんだよ」
「そうか。そうだったんだ……」
「うん。だから早く2人の元に戻ってあげて。ずっと心配してたよ、小夜ちゃんのこと」
理恵の言葉を聞いて、小夜は今日初めて笑顔になった。
これで安心して岡山に帰れるんだな、小夜。それにしても、夏休みの東京母親捜索ツアーはあっという間だったな。
今日の夜、バスに乗って帰っちまうのか。今日の夜までに、俺が小夜にしてやれることは何なのだろうか。昨日一昨日は急遽有給を使って休んじまったし、流石に土曜の夜勤は人員的にも出なければなるまい。東京観光は流石に厳しいか……ならば。
『なぁ、小夜。今晩バスに乗る前、ラーメン食いに行くか』
「ラーメン?」
『関西出身の職場の同僚曰く、“基本関西風の味付けが好きだけど、ラーメンだけは東京が美味い”なんだと。折角だから東京でしか食べられないとこ連れてってやるよ。理恵も一緒に行くか?』
「え、うん……いいけど」
先に理恵の方が返事をしたが、肝心の小夜からはまだ返事がない。なんだよ、また却下か? だとしたら俺と食の趣味が合わなすぎだろ。
しばらく黙っていた小夜だったが、やがていつも通りの生意気な表情で俺にこう言った。
「……辛味噌ラーメン」
『辛味噌?』
「有名なやつあるでしょ。コンビニのカップ麺にもなってるやつ」
そう聞いて、俺の頭には社長の姿がカップ麺パッケージに印刷されていて、各インスタント商品も店の内装も真っ赤なデザインが特徴的な、とある有名ラーメン店が浮かんだ。俺の想像が合ってるとしたら相当ボリューミーでガッツリ系な店だけど大丈夫か? いや、そこが美味いんだけども。
『いいけど、お前ちゃんと食い切れるのか? 辛いし、結構量多いんだぞ?』
「全然いいよ、記念だもん。っていうか、亘が
憎たらしい口調で話す小夜にたじたじになる俺。その様子を見て理恵は密かに笑いを堪えている。
クソッ……結局俺は最初から最後まで良いように利用され続けてるような気がするなぁ。妹を持つ兄の気持ちって、こういうもんなのか?
『……当然、俺の奢りに決まってんだろ。その代わり一番辛いメニュー頼んでやるからな。レディースサイズも禁止』
「はぁ〜? 何それ、食ハラですかぁ〜??」
『うるせぇ、何でもハラスメントって言ってんじゃねぇよ』
「このご時世にその発言問題なんじゃないでしょーか、オジサン」
『誰がオジサンだよ!』
俺と小夜のやり取りに、耐えきれなくなった理恵が爆笑する。気にせず言葉の応酬を繰り広げる俺と小夜。
途中で手を止めていた朝食の時間が再び動き出し、俺たち3人は賑やかなひと時を過ごしたのだった。
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