身辺調査その3 ー驚愕ー

第16話

8月n+8日


 約束の月曜日。最後の調査活動のため、俺と武士は朝から行動していた。

 今日は真島さんの住むアパートの近くで1日中張り込み捜査だ。長丁場になることを見越し、コンビニで食料等を買い込んで挑んでいる。


“なんか動きあったか?”


 別の場所にいる武士からメッセージを受け取った。実際に張り込みを開始してから1時間ぐらいなのだが、数分置きにこうやって確認をしてくる。

 今日が最後と約束した以上、なんとかして成果を上げたいと焦っているのだろう。にしたって、落ち着きが無さ過ぎると思うが。


““何も。そっちは?””

“こっちも何もないな”


 お互い収穫がないことを報告し合い、再び監視を続ける。

 張り込み位置は武士が杉並区の公共施設入口付近で、そこは対象が住むアパートの玄関が見える位置となっている。俺は昨日の調査の時に通り過ぎた公園で、対象が住む部屋の窓が僅かに見える位置を奇跡的に発見したのだった。

 午前中は張り込み場所を確保するのに大分時間を使ってしまった。場所が住宅街なだけに、長時間待機する場所を探すのは難しい。他人が住むマンションの敷地内に入るわけにはいかないからな。場所がようやく決まり、それぞれの位置から対象の部屋を見張っているが、今のところどちらも対象の姿を確認出来てはいない。


 ぶっちゃけ、対象……真島さんが休日ずっと家にいるとは限らない。今日俺たちは朝の8時に荻窪駅で集合し、ここまでやって来た。だが、実は俺らがグダグダ張り込み場所を探している間、もししくは俺らが荻窪に到着する時間よりも早くに家を出てしまっていた、という可能性だって大いにある。そして1日中何処かに出掛けたまま結局夜まで戻らず……という可能性も。

 そう考えると、今日何か大きな収穫を得られるのかは微妙なところだ。もし何かが判るようなことがあったとしたら、それは物凄く幸運なことだろう。


 ……ま、何もなければそれが一番良いんだよ。俺の嫌な予感が外れ、武士の動画は視聴者に“釣りかよ”とののしられるだけなんだから。















 時間は14時過ぎ。ずっと公園のベンチに座り、コンビニで買ったパンとお菓子を食べながら、遊具で遊ぶ子供たちを眺めて過ごしている。事情を何も知らない人からしたら、俺は明るい未来を見出せず路頭に迷っている失業者のように映るのだろうか。って、いやいや。それにしては俺は若過ぎるだろ。


 暇潰しに、俺は過去の記憶を辿る旅に出ていた。

 声優になりたいという具体的な夢を持ち始めたのは小学校高学年になってからだったと思う。両親が共働きだったから低学年の時は学童通いだったが、高学年からは鍵っ子になった。母が帰ってくるまで家でゲームをして過ごしているうちに、ゲームの主人公の台詞を覚えて真似しだした……という、声優志望男子にはありがちなキッカケだ。

 中学・高校生の頃はスピーチ大会や放送コンテストに参加してみたりして、地元の市大会では度々入賞していた。そうすると周りの人間の中に“潤くん、声良いよね”とか“絶対に声優になれるよ”なんて調子の良いことを言うヤツが出始める。嬉しかった俺はその言葉を真に受け、こうやって東京までやってきた。


 地元にいた時、俺は特別だと思っていた。同級生の中で俺以外に声優志望はいなくて、学生時代に俺が残した輝かしい功績は唯一無二なものだった。

 だが、残念なことに俺と同じようなヤツは全国津々浦々に存在していることを知る。そしてそいつらはみんな東京に集まって来るし、その多くは夢破れて何者でもない人間となる。養成所に入ってすぐ“夢は声優になること”なんてことは恥ずかしくて言えなくなり、そこからは上手くいかなかった時のための保険について考えることが多くなった。


 真島さんも、かつて今の俺と同じようなことを考えたりしたのだろうか。

 以前休憩室で聞いた話だと芸大出身で、テレビ局で大道具作ってたんだっけ。確か芸大って普通の大学より授業料高いんだよな……専門外だからよくわかんねぇし、実際働いている人に対して失礼なのかもだけど、本当は芸術家になりたかったがそこまでの実力がなくて、テレビ局の大道具で妥協した……なんてことがあったのかもしれない。そしてその妥協した就職先も体を壊して辞めることになってしまい、今は決して向いているとは言えないコールセンターの仕事をし、木造ボロアパートで1人暮らし。その家はゴミ屋敷化しているというのが現状、か。

 なんだか、真島さんは未来の俺を映す鏡なんじゃないかって思えてくるな。自分はまだまだ若いから大丈夫、なんて思っていたらあっという間に彼の歳になっていそうだ。

 人の事を馬鹿になんて出来ない。俺だって何者にもなれない人間候補なんだ。そしてまだ、自分は特別な存在であると信じたいとも思っている……。








“動きがあった”


俺が絶賛負のスパイラルおちいっているのを、武士からのメッセージがさえぎった。


“部屋から出てきた”

“大量の空き缶を外に出してた”


 短い文章で連投してくることから、武士の興奮度合いが伝わってくる。なんせずっとなにも起こらなかったからな。

 こちらからは状況が全く見えないため、俺はさらに詳細を求めた。


““空き缶って、ビールや酎ハイの空き缶ってこと?””


“違う”

“あれはスプレー缶だな”


 スプレー缶……。それを聞いて数日前の記憶を呼び起こす。

 画材屋の2階で買っていた物……カラースプレーとアクリルガッシュ。そうだ、カラースプレーを買っていた。ということは今、対象はアパートの一室でスプレー缶を使って何かの色を塗っている……なら、換気のために窓を開けるはずだ!


 対象の部屋の窓の方へ意識を集中させる。……と、その前に。俺はコンビニで買った張り込みグッズの中から新聞を取り出す。ベタだが、顔を隠しながら様子をうかがうには必要不可欠なアイテムだ。新聞の端から一点をにらみ、窓が開けられるのをじっと待ち続けていると……ガラガラ、と音がして対象が顔をのぞかせた。ついに、俺はその姿をとらえることが出来たのだ。

 窓から顔を覗かせた対象はマグカップを持っていて、何か飲み物を飲んでいる。俺が盗み見しているところから対象の部屋の窓まで距離はあるが、かすかにその独特な香りを感じることが出来た。あれはコーヒーだ。おそらく前の尾行捜査の日に立ち寄っていたコーヒーショップのものだろう。

 カラースプレーでの塗装作業後という予想はおそらく正解だと思う。対象は窓から顔を出し、外の空気を味わうように深く呼吸をしていた。




“そっちはどう?”


 俺が対象の観察に集中していると、またしても武士から状況確認のメッセージを受信した。ちょうど良いところを邪魔されてるような気がして若干のいらつきを覚える。


““窓から顔出してるから観察中””


 さっさと返信をして観察再開しようとすると、またしてもメッセージを受信。なんだよ、今忙しいのに。


“動画で撮っとけよ”


 武士からのメッセージを見て自分の迂闊うかつさに焦った。そうだ、これを撮っておけば証拠映像になるのに俺はなんて気が付かなかったんだ……。

 急いで自分のスマホを取り出し、動画撮影モードにするが、新聞で顔を隠しながらの動画撮影は中々難易度の高い技のようだ。焦りながらどうするのが最適かを考え、結果新聞に穴を開けてその隙間から撮影するという方法を取った。明らかに不審なんじゃないかとも思ったが、そうこうしているうちに絶好の撮影チャンスを逃しかねないので、そのまま不審なスタイルを続行した。ここからは自分の目ではなく、スマホのカメラ越しで対象を観察し始める。


 窓際でコーヒーを飲みながら煙草で一服をする調査対象、真島さん。

 以前、職場の喫煙所で遭遇した真島さんは生命力がないように見えたのを思い出した。それは、どう考えても性格的に向いていない仕事でも生きるためにやらなくてはいけない、詰んでる中年男性の悲壮感がそうさせていた。

 しかし、今スマホカメラ越しに見る真島さんはそうは見えない。少なくとも生命力はみなぎっているように感じる。

 実際見てるわけじゃないから想像だけど、きっと今真島さんは持てる力を振り絞り、立体アートに命を吹き込む作業をしているところなのだ。これがエネルギッシュじゃないはずがない。

 またコーヒーを一口飲み、遠くを見つめながら煙草を吸う真島さん。その姿、表情はまさに創作中の芸術家そのものだった。

 まさか俺が真島さんを見て、カッコいいと感じる時が来るとはな。普段とのギャップのせいだと思いたい。


 俺が見惚れていると、ふと真島さんがスマホの画面上から消えた。窓を開けたまま、部屋の奥の方へ消えてしまったようだ。

 しばらく戻ってこないのだろうか……。いや、このまま窓を開けて換気しながら作業を再開するのかもしれないな。調査対象は消えてしまったが、動画はまだ回しておいた方がいいのか? それか一旦止めてこの状態も撮っておいた方がいいのか武士に確認取るか。そう思って俺は撮影を止めようとした。その時。




 窓から僅かに見える、部屋の中にある物に目が行った。どうやら窓のすぐ近くに作業台があるようで、その作業台に先ほどまで手を加えていたであろう創作物が乗っている。

 その“創作物”が何なのか。頭が理解した瞬間、俺の身体に戦慄が走った。


 作業台には新聞紙が敷かれていて、その上にピンク、金色、黒という奇抜なカラーリングがほどこされた物体が鎮座ちんざしている。

 その物体は……どう見ても頭の骨だ。難しい言い方だと髑髏しゃれこうべだっけ。いやいや、この際言い方なんてどうでも良い。

 真島さんの芸術センスは悪趣味な方向性なんだな……でも、大きさとか結構リアルじゃねぇか? まるで本物の人間の頭蓋骨みたいだ。

 俺は夢中でその頭蓋骨にピントを合わせ、拡大ズーム撮影を試みる。すると、急に真っ暗になり、被写体が見えなくなった。

 ズーム状態から元に戻すと、窓際に真島さんが戻って来ているのが見えた。真っ暗になったのは、真島さんが着ている黒い服のせいだった。それにしても、さっきからやたら目が合っているような気がする……まさか。またしても俺の背筋を何かが通るような感覚が襲う。そして、恐る恐るスマホ越しではなく、新聞の端から自分の目で覗き込むと。



 じっと、真島さんが俺の方を見つめていた。

 その目から感情を読み取るのは難しい。焦って挙動不審になったりもしていなければ、覗き見していたことに怒ったりもしていない。無の表情のまま、ずっと真っ直ぐ俺を見つめてくる。逆にそれが俺にとっては恐怖でしかなくて、その場で凍りついたまま何も出来ない。

 やがて真島さんは、無表情を保ったまま窓を閉めてしまった。


 真島さんの姿が見えなくなった瞬間俺は座っていたベンチを離れ、近くにあった木にもたれ掛かった。心臓がバクバク鳴り、なんだか吐き気もする。

 震える手でスマホを操作し、動画撮影を切った。そしてそのまま武士に電話をかける。


「はい、もしもーし。どうした?」

『武士、今すぐそこ離れろ』

「は、なんで?」

『いいから離れろって! 俺、とんでもない物見ちまったかもしれねぇ……』


 俺の声色から武士も非常事態だと察知したらしく、すぐに落ち合うことにした。

 震える脚をなんとか動かせるよう拳で太腿ふとももを殴り、俺はすぐさま公園を離れたのだった。

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